(3)羽なんて要らないから!
胡乱気な視線の意味に気付いたのだろう、国永は続けて言った。
「こっちの姿でも、猫並みの身体能力持ってるから。普段は制御してるけど。古比奈を抱えてジャンプするくらい、余裕」
「残念ながら、私、重いから」
「……ふっ」
言い出したのは確かに私だけど、そこで鼻で笑うな。
きっ、と睨み付けた私の視界が、不自然に傾いた。
「安心して。軽いよ」
国永は、片手で軽々と私を持ち上げると、肩に担いだ。いわゆる俵担ぎ。つまり、完全に荷物扱いだ。
「ちょ、降ろしてよ!」
足をばたつかせると、身体が前方に傾いた。やばい落ちる――反射的に手が動き、国永の肩と背中を強く掴んだ。怖い、めっちゃ怖い。さあっと青褪めたが、身体に回った腕は予想以上にがっしりとしていて、安定感があった。
しかし、頭から地面に突っ込む事態は免れたものの、怖いものは怖い。本能的な恐怖心から、私は足……どころか、指先ひとつ動かせなくなった。呼吸すらも、なるべく静かに、を心掛ける。いっそ置物になるのだ、私。
ぴくりとも動かなくなった私には頓着せずに、国永はこてりと首を傾げた。さらりと揺れた黒髪が、肩を掴んだ手を擽る。
今更のように、奇妙な密着度に心臓が跳ねた。
いや、そもそもなんで私、こんなことされてるの。
私の動揺を余所に、国永は相変わらず頓珍漢なことを言う。
「お菓子を日常的に食べてるのに、よく体型維持できるね?」
「そりゃ、それなりの努力をしてますから……って、常に食べ続けてる国永に言われたくないよ!」
突っ込んでから気付く。違う、そうじゃない。問題はそこじゃない。
「ていうか、なんで持ち上げるの!?」
「あ、口、閉じといた方が良いよ。舌噛んだら大変だから」
言いながら、国永はもう片方の手で、私の脚をきつく固定した。
「だから――」人の話を聞きなさいよ、そして離しなさい。
言い切る前に、ぐん、と身体が強く引っ張られた。地面が急速に離れていく。否、私の身体が地面から遠ざかっているのだ。
口を閉じろ? ――無理だ。
「あああああああああっ!?」
私は盛大に悲鳴を上げた。上げなきゃやってらんなかった。
ある程度まで跳んだところで、不意にふありと身体が浮いた。
待って、これ知ってる。あれでしょ、ジェットコースターとか大型ブランコで落ちる直前にGが無くなるアレでしょ!?
幸か不幸か、答え合わせはすぐにできた。
「―――――――っ!!」
今度は悲鳴を上げる暇も無かった。落ちてる! 人間サイズの猫ならまだしも、私が単体で落ちたら確実に死ぬやつ!!
私は死に物狂いで国永の上着を掴んだ。皺が寄るかもしれないが、それこそ私になんの非も無いと思う。こっちは生き残ることに必死だ。頭の中を、とんでもないことをしでかしてくれた彼に対する文句が次々と流れていく。無事に済んだら、少なくとも一発は殴る。絶対に殴る。恨み言を唱え続けていると、ドン、という感覚が全身を襲った。跳ね上がりかける身体を、国永が押さえ込む。
無事に着陸したらしい。
「くになっ……」
「まだ大人しくしてて」
早速文句を言おうと口を開いたが、国永はそれを遮り、即座に離陸した。
「ひっ……ゃあああああっ!?」
私は再び悲鳴を上げる。
こいつ、実はわかった上でやっているんじゃなかろうか。
地獄のアトラクションみたいな人体ジェットコースターを四回以上(途中から数えるのをやめた。両手の指で足りていた、と信じたい)繰り返し、ようやく完全に止まった頃には、私はくたくただった。叫び過ぎて、途中から声を出す体力すらもなくなったのだ。ただでさえ慣れない山道で疲れていたところに、この仕打ち。鬼畜の所業だ。ふざけんな。殴る体力すら残ってないじゃないか。
全身ががくがく震えている。歩き疲れたためではない。極度の緊張で力を入れ過ぎた結果、反動で全身がぐにゃぐにゃしている。手も足も、何もかも、上手く力が入れられない。
「大丈夫?」
大丈夫なわけあるか。正直、泣きたい。もう一生、遊園地なんて行かなくて良い。絶叫マシンなんて二度と御免だ。
一向に動かない(動けない)私の様子に何を思ったか、国永はぽんと手を打った。
「安心して。ジャージだから、パンツは見えなかった」
「うるひゃい」
この発言について、一から十まで、全てに対して激しく文句を言いたいが、最悪なことに、身体が言うことを利かない。
仕方なく、私は代わりに、全力で呪詛を唱えた。
――国永なんて、みんなの前でバナナの皮を踏んで滑って転んでしまえ!
ふにゃふにゃな舌を駆使して言葉を紡げば、国永は肩を震わせて笑っていた。し、失礼なやつ!
しばらく経ってようやく周りを見るまでに回復した私は、そこが自分が目指していた山頂だということに気付いた。
「で? 何が目的だったの?」
「…………」興味が無いふりをして、相当気になっていたようだ。それが確認したいがために、私を抱えて跳んできたのか、この男。技術の使いどころがおかしい。
どれだけ待っても国永は、私から目を離そうとしない。いつになく爛々と輝いている瞳を前に、私はぎゅーと唇を真一文字に結んだ。
言いたくない。言いたくないが、だからといって相手がハイワカリマシタと引くような玉ではないことは、今さっきのことで証明された。
「…………」
「何が目的?」
国永が、重ねて訊ねてくる。とうとう観念した私は、俯き加減で、びしっと指を真横へ向けた。指が示す方向を追った国永が、首を捻る。
「甘味処?」
「……春期限定いちごパフェ。期間、今週末までってチラシに書いてあった」
しばしの無言。沈黙が痛い。
やがて、閃いた、とばかりに国永が指を鳴らした。
「もしかして、パンツの柄がいちごなのも……」
「それは関係無いわよ馬鹿! 変態っ!」
どうしてなんでもかんでも、パンツ方向へ繋げたがるんだ、この男は!
「関係、無いの?」本人が否定しているのに不思議そうに首を捻っている。逆に問おう、疑う要素がどこにあるっていうの。
しばらく睨み合っていたが、「そういうことにしておこう」という国永の言葉で終いとなった。……どういうことにしておいたのか、小一時間問い詰めたいところだが。
「店、早く行かないと時間なくなるよ」
そう、時間が無いのである。
「ついてくる気なの?」
「むしろ、置いていく気なの?」
ここまで連れて来たの、俺なのに。国永は恩知らずを見る目を私へ向け、残念そうに眉尻を下げた。私は、ぐ、と言葉を詰まらせる。到底納得はいかないが、自分一人では山頂に辿り着かなかったことは明白だ。彼がいなければ、私に限定パフェを食べるチャンスは巡ってこなかっただろう。だとしてもやはり納得はいかないが、それだけは事実だ。
「かっ」言いたくない。どうしようもない葛藤が、言葉に微かな空白を作った。「勝手に、すれば……?」
苦渋の決断だった。
「ん、勝手にする。派手に動いたから、そろそろ小腹も空きそうだし」
「そこは、空いた、じゃないの?」
「お腹が空いてたら、俺、猫になってるよ」
ああ、と納得する。空腹を感じると猫になる彼は、空腹感を覚える前に、何かしらを胃に詰めなくてはならない。難儀な体質だ。
多少の同情心が湧き上がる。彼はそうやって常に、自分の腹の虫を先回りするように行動しなければならないのだ。さぞ気が張ることだろう。
しかし、同情心がもったのは、ほんの数分間のみだった。
カフェの若い店員に迎え入れられ、各々注文をする。離れていく店員の背中が見えなくなるよりも早く、国永はしれっと言った。
「もし猫になったら、服の回収よろしく。下着も含め」
純粋無垢な乙女に、なんてことを頼むんだ、この男。そりゃあ、下着が無かったら困るだろうけれども。でも女の子相手に下着のことを強調しなくてもいいでしょう!?
というか、そういう時のための従者じゃないのか、碓井は!(国永が猫になることを知っているか知らないか、わからないけれど)
……ところで本当に彼、どこに行った? それに、志乃も。
例の恐怖のジェットコースターが始まる前には、私たちの後方にいたはずだった。その時点で距離はかなり開いていたが、今は更に相当な距離が開いているはずだ。班行動ってなんだっけ、と突っ込みたくなるような事態である。
必死で前に進む志乃を想像していると、心が痛んだ。ごめんね志乃さん、あなたが尊敬してくれている私は、不正をして、一足先に頂上へ到着してしまいました。
完全自己満足の懺悔をしていると、注文をした春期限定いちごパフェが運ばれてくる。いちごソースがマーブル状の層になった上に、花弁を模したいちごが盛り付けられたパフェを前にして、つい目が輝く。これは、絶対に美味しいやつ。ごくり、と生唾を飲み込む。
普段食べるパフェよりも一回り大きなそれに、私はぶすっとスプーンを差し込んだ。そのままゆっくりと上にあげ、危ういバランスで塔になっているパフェをぱくりと頬張る。いちごが甘酸っぱい。クリームが程よく甘い。最高だ。私は幸せな気分になって、次々にパフェを口に運ぶ。
目の前でハムエッグトースト+サラダセット(珈琲付き)を注文した国永が、「美味しそうだね」とじっとパフェを見つめる。
じいい、と。じいいいいい、と。
まるで、一口くれ、と言わんばかりに。
私は、そのプレッシャーに屈した。
「……食べ、ますか?」
「食べる」
遠慮もへったくれも無い、この態度!
仕方ない。スプーンをもうひとつ貰おう。すみません、と手を挙げようとした私の手元に、国永の黒い髪がすっと近付いた。いちごとクリームを綺麗にすくったスプーン一杯を、一口でぱくりと食べてしまう。
「…………ぎゃあ!?」
「何その色気の無い悲鳴」
余計なお世話だ。色気なんて食欲の前では不要である。……じゃなくて!
「私のスプーン!」
「気にする方だった? ごめん」
やけに素直に謝られて面食らっている間に、国永は店員からスプーンをもう一本貰っていた。はい、と渡されたそれを、思わず受け取る。
代わりに彼が手にしていたのは、つい今さっき国永が口に入れたスプーンで、つまりそれは私が使っていたスプーンでもある。だから、要は、それ、間接キ――ス?
ぶああっと顔が熱くなる。国永は素知らぬ顔だ。気にしていないのだろうか。いないのだろうな。気にしていたら最初からスプーンを貰うはずだ。うら若き乙女をなんだと思っているんだ、この男め。