かくして彼は蜥蜴に戻る。
「業務命令です、明日から三ヶ月会社を休みなさい」
「……はい?」
思わず素っ頓狂な声を上げた俺に三日前に新しく赴任してきた美人女課長は表情を一切緩めず、
こちらをきつい目でにらみつけながら告げた。
「あなた、最後に休んだのはいつか覚えてる?」
「あー、3ヶ月くらい前ですかね?」
「その前に休んだのは?」
「そのさらに3ヶ月前ですね」
「……はぁ……あなた、おかしいとか思わないの? 私の前の課長もいったい何をやっていたのよ」
女課長にため息までつかれてしまった。
えぇー、いや、俺そこまでおかしいことしてないと思うんだがなぁ。
「いや、高校卒業後二年もニートしていた俺が正社員として就職させてもらえただけでも御の字なので、正直休みなんてもらえるだけありがたいというか」
「会社に恩義を感じてくれるのは結構。けどそれとあなたが休みを取るのと取らないのはそもそも別問題だわ」
「う、ぐ、いや、正直高卒の自分が誇れるのは本当体力くらいだったので、そういうところでがんばりを見せないと……」
「決められた時間内でしっかりと成果を残すのが本来の社会人よ。時間を無制限にすれば誰だって結果なんて残せるの。そもそもあなたが休まないで労基署に睨まれるのは会社そのものなのよ」
おおう、ぐうの音もでねぇ。
なんだ、この女課長。俺とそこまで年が違うわけじゃないのに。
これがキャリアウーマンってやつか。
「……とりあえず、明日から三か月会社には来ないこと。その間はすべて有給扱いとします。私から社長に話はしておきます」
「あの明後日までに作らなければいけない営業の資料作成とか……」
「こちらで引き継ぎます。本日中に引継ぎの内容をすべてまとめて私によこしなさい」
「まじっすか」
「マジです」
即答してくる課長。
何者なんだ、この人。
「じゃ、じゃあ、俺、休みに特にやることがないんで、暇つぶしに仕事をやるってのはどうですか?」
「……あなた、喧嘩売ってるの?」
「め、滅相もない!! じゃあ、三ヶ月何をやってすごせばいいんですか、俺?」
「そんなこと私に聞かないでよ。彼女とデートするとか、友達と遊びに出かけるとか、家族と旅行行くとかいくらでもあるでしょう」
「いやー、俺、彼女も、友達も、家族もおりませんでして――」
「……っ」
女課長が頭抱えた。やーい、勝ったー。
いや、なんか気持ち的にはむしろ負けた気分だけれども。
「じゃあ、昔やり残したことでも見つけるとかしたら? 正直私にそこまでの面倒見る義理はないわ」
「……やり残したことですか」
そういわれてもなぁ……さすがに女課長も呆れ顔になってきたので、ここらが潮時と思い、一礼して自分の席に戻る。
やりのこしたことか……なにかあっただろうか。
◆◆◆
俺には高校を卒業して三年間ニートをしていた時期がある。
大学に行く気にもなれず、とはいえ働く気にもなれなかった。
別にいじめがあったとか、精神的につらいことがあったとかそういうわけではない。
ただただ、何かをする気力というのに欠けていた。
そしてそのまま当時出たVRMMOにはまり、ひたすら毎日のように仮想現実の世界で理想の自分を演じて遊んでいた。
両親がニートでゲームに遊びほうける俺をどう思っていたのかは当時もわからないし、今でもわからない。
わからないまま彼らは交通事故であっさり死んでしまった。トラックに追突されて両名とも即死だったそうだ。
ちょうど、俺が高校を卒業して三年がたったころだった。
かくして俺は非常にあっけなくニートをやめざる終えなくなった。
現実と嫌でも向き合わなければいけない時期が思ったよりもはるか早くにきてしまったのだ。
それでも野垂れ死にしたくないという気持ちはあったようで、ハローワークや自分の数少ない知り合いのツテをたどり、なんとか高卒でニートでも正社員となることができた。
なれない業務、覚えないければいけない内容、次から次へと襲い繰る仕事、仕事、仕事。
忙殺されるような日常、目が回りそうになりながらも生きるために必死に食らいつき……
◆◆◆
「……気づけば七年が経っていましたとさ」
三ヶ月有給の初日。
俺はそうつぶやきながら自分の家を片付けていた。
大掃除も久々に行っている気はする。
こういうまとまった休みが取れたタイミングでなければ片づけができないのは、やはり一人暮らしの身に実家であるこの一軒家は広すぎるからかもしれない。
とはいえ、俺はここを出る気はなかった。
いや、むしろ両親がいなくなったからこそ守って継がなければという思いがはじめて生まれた気がする。
それまではここが当たり前のようにある場所だと思っていたからだろう。
そんな簡単なことに気づくのは、いつだって大切なものを失ったときばかりだ。
「さぁて、親父の書斎は片付け終了。あとは俺の部屋かぁ」
一番最後に回していた自分の部屋。
まぁ、そこが一番散らかっているってだけの話なんだがね。
嫌な仕事は最後に回すのが俺のポリシー。
自嘲気味に笑みを浮かべながら、自分の部屋の隅に積み上げていたダンボールをあける。
その中には……
「あー……」
白い光沢を持ったゴーグル型の物体。
Head Mounted Display。略称HMD。
かつて、VRMMO(仮想現実多人数)RPG『story』をプレイするために俺が使っていた代物だ。
当時としては非常に高価なもので、自分で言うのもどうかと思うが、今考えてもニートの俺にこれを買い与えた両親の判断はなかなか理解しがたいものがある。
そりゃ、ニートやめられないわ。
結局、両親がなくなり現実に引き戻された俺はそれ以降一切このゲームに触れていなかった。
忘れていたわけではないのだ。
まぁ、まったくそんな暇がなかったというところだ。
かくして、これはダンボールの奥底で埃をかぶって七年ほど眠りについていた。
見た限りでは端子なども特に劣化が認められず、おそらく以前までと同じようにプレイすることになんら支障はないだろう。
ただし、このHMDでプレイできるゲームで手元にあるのは『story』くらいしかないのと、そしてその肝心の『story』は……
「あと三ヶ月でサービス終了なんだよなぁ……」
プレイヤーとともに物語を紡ぐMMORPGをうたっていた『story』は、さまざまなプレイヤーのちょっとした行動の一つ一つがゲーム全体の物語の進行に影響を与え、進んでいく。
ただ、終わりがない物語なんてどこにもないように『story』も気づけば全体のエンディングまであと少しとのことで……
「三ヶ月……か」
奇しくも俺の有給期間とぴったり重なってしまった。
『じゃあ、昔やり残したことでも見つけるとかしたら?』
ふと、昨日の女課長の言葉が脳裏をよぎった。
やり残したこと……か。
少し違う気はするがひとつだけ、ずっと心の片隅で引っかかっていたことがある。
それは……
「突然いなくなったこと、ギルドのみんなに謝ってないなぁ……」
両親が死んでどたばたしている間に仕事をするようになって、毎日を必死に生きていた俺は当時のギルドの仲間たちにも何も告げずに、ログインをしなくなってしまっていた。
正直、突然仲間が顔を出さなくなるなんていうのは、オンラインゲームの中ではよくある話。
それでもそういう形での別れというのは、なぜかいつまでも当事者たちの胸に小魚の骨のようにつっかえて、ふと思い出した際にチクリとした痛みを喚起させるのだ。
このまま『story』がサービスを終了してしまえば、別れの挨拶すらできずに終わってしまうだろう。
ただ、所詮はゲームの世界なのだ、それまでの関係だったと開き直ることもできる。
謝罪なんてしたところで、自己満足にすぎやしないのは十分自覚している。
結局は自身の胸のつっかえを飲み込みたいだけの話なのだ。
だが、ふと『story』を最後にログアウトしたときの光景が脳裏をよぎる。
その日は一番仲良くしていた同じギルドの女性プレイヤーキャラクターがログアウトの際に見送ってくれたのだ。
『……また明日、会おうね』
笑顔でそういって、別れたその光景が。
「……そうだな、『会おう』って言ったもんな」
俺は箱からHMDを取り出す。
腹はくくった。