第97話~腫瘍を取り除くと傷痕が残る、という話~
悪党を退治してめでたしめでたし。ご隠居の世直し旅ならそこで終わりなのだが、現実はどこまでも現実的だ。
盗賊ギルド制圧から既に3日、混乱はまだまだ収まる様子を見せない。
商業ギルドは癒着していた商会や役員の存在が明るみに出て、その処分や制裁措置で機能が麻痺してしまい、正常に業務が回っていない。癒着していたのはいずれもこの街の顔役だったそうで、今回の処分でしばらくの間は流通にも影響が出ることになるだろう。トーマさんには悪い事してしまったかな。今の商業ギルドでは、海エルフ達の救出にまで手が回らないかもしれない。
冒険者ギルドも副支配人以下数名が盗賊ギルドと癒着していた事が発覚し、その処罰と組織再編でテンテコマイのようだ。
とはいえ、実は想定されていた事態だったらしく、既に後任人事は決まっているそうだ。なんでも以前から疑惑はあったらしく、内偵が進められていたのだそうだ。今忙しいのは、単純に一時的に人手不足だかららしい。そうミーシャさんがこぼしていた。
街も混乱している。
盗賊ギルドというのは昭和のヤクザ的立場も担っていたらしく、意外と街に根差した組織だったようだ。それが消えた事で、色々な所で問題が噴出している。
まず、街の治安が悪くなった。それまで盗賊ギルドが暴力で押さえつけていた無法者共が、その盗賊ギルドの後釜を狙って早くも蠢動を始めたのだ。今はまだ小競り合い程度で死人は出ていないが、いずれ大きな衝突が起きる事は間違いない。
これには冒険者ギルドと領主が協力して対応する予定だが、戦争の影響もあって人手は全く足りていない。ギルドも、大事に至らないように祈る事しか出来ないでいる。暴動に発展しなければいいんだけど。
そして、物価が上がった。商業ギルドの機能不全が主な原因だが、盗賊ギルドが仕切っていた歓楽街や街娼達も混乱しているという理由もある。経営者やまとめ役が居なくなって、商売が回らなくなっているのだ。彼ら彼女らにしてみれば、今回の件は突然降ってわいた災難だ。俺やギルドを逆恨みしてそうで怖い。
とはいえ、こちらはしばらくすれば落ち着くだろう。経済というやつは、変化してもいずれ落ち付くものだ。状況に合わせて変化していかなければ、すぐに淘汰されて消えてしまうからな。そして適応した者だけが生き残り、新たな秩序を作る。自然界と同じだ。
さて、俺達の現状だが、まだボーダーセッツで足止めされている。混乱の片棒を担いでいた責任…というわけではなく、ギルドから滞在をお願いされているのだ。街の無法者共の小競り合いがいつ大きな抗争に発展するかわからない現状で、腕の立つ冒険者に去られるのは非常に不安という事だった。気持ちは分かる。強制力のないお願いであるし、無視して旅に出ても問題はないのだが、取り敢えずしばらくは留まる事にした。次に顔を出した時にミーシャさんに弄られるのも嫌だし。
◇
「オーナー、先月までの宿帳と帳簿をお持ちしました。」
「ああ、ありがとう。帳簿はキッカに渡して。宿帳はこっちに。」
生成りシャツに黒いベストを着た、宿の中年男性従業員が分厚い冊子を2冊持ってくる。去年一年間の帳簿と宿帳だ。本来なら宿泊客に見せてはならない物ではあるが、俺達は遠慮なくそのページをめくる。何故なら、俺がこの宿のオーナーになったからだ。
俺達が泊まっていた宿の元オーナーは、盗賊ギルドの準構成員と看做され、財産没収の上、街から放逐された。盗賊ギルドの構成員が漏れなく奴隷に落とされたのを考えれば、かなりの温情措置と言えるかもしれない。妻と幼い息子は実家に帰ったそうだ。
しかし、この温情措置でも困った事になるのが宿の従業員達だ。オーナーが居なくなった上に宿をギルドに没収されるということは、端的に言えば失業してしまうという事に他ならない。
ギルドとしても、失業者が増えて治安が乱れるのは望ましくないが、今は他に多くの案件を抱えていて、とてもいち宿屋の現状を考慮してはいられない。それどころじゃないのだ。
そこで、俺が報酬の一部を現物で頂く提案をしたのだ。つまり、宿の権利書である。今回の依頼で、俺達は非常に多くの盗賊ギルド構成員を生け捕りにした。数えてはいないが、100人以上なのは間違いない。正確な数はクリステラが知ってるから問題ない。
その売却額が俺の報酬に上乗せされる事になっていたのだが、すぐに売れる物でもないため、その分は一時的にギルドの金庫から出る事になる。しかし、混乱する街の現状を鑑みるに、ギルドとしてもすぐに動かせる現金はなるべく手元に置いておきたい。なので俺の申し出はギルドにとってもありがたい提案だったらしく、すんなりと移譲契約が交わされた。
俺にとってもこの取引には益がある。
そもそも従魔と一緒に泊まれる宿というのが多くないため、この宿屋の存在は貴重なのだ。他にも宿が無いわけではないが、満室だったり従魔だけ畜舎行きだったりする事もあるだろう。ウーちゃんをひとり(1匹)ぼっちにするのは論外なので(感情的な理由だけでなく、俺と仲間数人のいう事しか聞かないから)、確実に一緒に泊まれるというのは非常にありがたい。
この街にも家を買うという選択肢が無いではなかったが、年に数回来るだけの街に家を買うのも馬鹿馬鹿しい。維持費が掛かるだけだ。その点、宿屋なら利益で維持費を賄える。従業員も路頭に迷わなくていいし、八方丸く収まって良い事づくめだ。
「ふんふん、経理は別に悪いとこ無いな。前のオーナーが作った借金は盗賊ギルドの違法金貸しだけみたいや。あっちは踏み倒してええから、このまま営業しとっても問題無さそうや。」
「そっか。それじゃ内外装と看板を張り替えて、調度も新しくしたらすぐに営業できるね。ついでだから、料理もちょっとテコ入れしようか。」
「ビート様、どうしてわざわざ色々変更するんですの?今のままでも問題無さそうですのに。」
ひと通り帳簿に目を通したキッカから、経営状況に問題無しという報告を受ける。その上で変更を決めた俺に、クリステラが疑問を投げかける。うん、まぁそうだよな。この宿屋、そんなに古くもないし、すぐに改装しなきゃいけない理由は見当たらない。しかし、今改装しなければならない理由があるのだ。
「理由はみっつ。まず、前のオーナーのイメージを払拭するためだね。盗賊ギルドと結託して宿泊客を襲うような宿屋に泊まりたがる人は居ないでしょ?だからオーナーが代わった事を示すためにも、大きな改装が必要なんだよ。」
分かり易いのが見た目だ。内外装と調度、看板が変われば別の宿だと分かり易い。元は『南の引綱亭』という店名だったが、それを『湊の仔狗亭』に変えるつもりでいる。
ええ、ウーちゃんの事ですが何か?
「ふたつ目は店の売りになるものを作る事。どうせなら儲かった方がいいからね。他の宿よりうちの宿を選んでもらえる理由付けが欲しいんだよ。料理が美味しいっていうのは分かり易い理由になるからね。どうせ改装中は営業できないんだから、その間に新しい料理を作ればいいかなって。離れていったお客さんを呼び戻す意味もあるしね。」
折角色々な食材が集まる街なんだから、それを活かした商売をした方がいい。
この街は比較的魔物が少ない地域だから、酪農もそこそこ行われている。つまり卵や牛乳も手に入るのだ。もっとも、鶏でもなければ牛でもない、よく似た魔物のそれだったりするのだが。とりあえずプリンを作ってみようかな。それくらいなら俺でも作り方は分かる。マヨネーズは…殺菌に不安があるからやめとこう。
「はぁ~、坊ちゃんは色々考えてるなぁ。アタイ、うちの手伝いしてた頃でもそんな事考え付かなかったぜ?」
「…美味しいは正義。」
サマンサに感心されるが、このくらいは普通に考え付く事だろう。もっとも、物事が上手く行っている時には変更など考えないのが普通でもあるが。そしてダメになった時に初めて改善しようとするのだが、往々にしてその時には手遅れである事が多い。改善は常に行わなければならないものなのだ。某塾講師ではないが、『いつやるの?今でしょ!』である。
デイジーはいつも通りだ。微妙にずれてる気もするが、言いたい事は分かる。正義とは勝った者しか口にできない。つまり『美味しい』で勝利をもぎ取るという事だ。すなわち食戟である!ちょっと違うか。
帳簿を持ってきた男性従業員は、俺を見て目を丸くしている。珍獣を見る目だ。およそ子供らしからぬ発言をしているという自覚はある。でも、もう今更なので気にしない。魔法以外は自重しない。
「ボス、みっつ目はなんだみゃ?」
「暇つぶし。」
「…みゃ?」
「あらあら、うふふ。」
アーニャも目を丸くし、ルカはいつも通りの微笑みをこぼす。男性従業員は何とも言えない顔になる。自分の仕事を暇つぶしと言われたら、普通は怒るところだが、仮にも相手はオーナーだ。意見が言える立場じゃない。うん、なんかゴメン。
でもしょうがないじゃん、いつまでこの街にいなきゃならないか分からないし、依頼で街の外に長時間出るのも控えてほしいって言われてるし、することが無いんだよ!文句はギルドに言ってくれ!
…さて、そろそろ夕方だし、ウーちゃんと散歩にでも行ってこようかな。暇つぶしに。








