第89話~旅立ちは曇り空~
「そういう事ならぁ、あたしが引き受けるわよぉ?」
冒険者ギルドに魔石を全て納品し、依頼の完了確認をして報酬を受け取った。対応はいつものようにタマラさんだ。ついでに長期間街を離れる事を連絡し、その間の家の管理の依頼を出そうと相談したところ、返ってきたのがそのセリフだった。
何処に行くかは話していない。言えるわけがない。とりあえず物見遊山と言ってあるが、まるっきり外れてるわけでもないから許してほしい。行った事の無い土地を見て回る事になるだろうからな。
「冒険者の補助もギルドの仕事よぉ。街の中に家を持ってる人もそれなりに居るからぁ、そういう人が依頼で家を空けるときはぁ、職員が定期的に見回りする事になってるのぉ。簡単なお掃除くらいはするわよぉ。」
なるほど。実際のところ、ドルトンの家は高額だから冒険者が手に入れる事は難しい(俺は例外)。しかし、元々この街で生まれ育って冒険者になった人も少なからずおり、そうした人は生家が拠点になっているだろうから、この街に家を持っていても不思議ではない。アンナさん達もこの街出身って言ってたしな。
実のところ、少し前までは、誰かを留守番に残して行こうかと思っていた。今回の旅は目的が目的なので、危険に晒される可能性がかなり高い。直接関係のない人は留守番してもらった方が安心だと思っていたのだ。
ルカとサマンサ、クリステラとキッカはこの旅の主役だ。外す事はできない。むしろ俺の方が端役、付き添いだ。
となると、必然的に留守番はアーニャとデイジーという事になるのだが、このふたりではウーちゃんが言う事を聞かない。まだ序列は改正されていない。
デイジーは以前にそれを体験しているから、留守番と告げた時には非常に困った顔をしていた。いや、表情的には大した変化ではなく、僅かに眉根が上がった程度だったのだが、普段あまり表情を変えないデイジーには珍しい事だった。そんなにか。まぁ、嫌な顔じゃなく困った顔というのが、デイジーの心根の素直さを表しているのだが。ええ娘や。
そこで俺は気が付いた。『別に留守番要らないんじゃね?』という事に。
今回は船旅でも依頼でもないから、ウーちゃんを連れていく事に何も問題は無い。むしろ連れていく事のメリットの方が大きい。魔物だけあって戦闘力も高いし、嗅覚や聴覚の鋭さは人間の比ではない。野営の時には非常に頼りになる事も実証済みだ。なにより可愛い。俺の癒しだし。
また、よくよく考えたら危険が云々などは問題にならない。さんざん特級の危険地帯である大森林を連れまわしておいて、何を今更という話だ。常に危険と隣り合わせの冒険者が、危険を理由に尻込みするなぞ片腹痛い。
そんなわけでギルドに留守番を依頼しようと思ったら、タマラさんが引き受けてくれるという。
「もちろん~、勝手に家財を使ったりはしないしぃ、中で見た事を他言するような真似もしないわよぉ?ギルドの規定で決められてるからぁ。」
ふむ、タマラさんはギルドで一番付き合いが深いし、家の中に見られて困るようなものは無い。強いて挙げるなら温泉だろうが…見ただけではそこまで異常な物とは思わないはずだ。施設自体は素材も機能もありふれた物ばかりだからな。特に問題無いだろう。
「うん、じゃあ、タマラさん、お願いするよ。」
「分かったわぁ。一応依頼料を月に大銀貨1枚貰うけどぉ、口座から引き落としておくからぁ。はいこれぇ、契約書ぉ。」
大銀貨1枚か。だいたい1万円くらい?ハウスクリーニングを頼むと思えばそんなものか。
「うん、それでいいよ。じゃあ、明日からお願いするね。」
「あらぁ、急なのねぇ。分かったわぁ、気を付けていってらっしゃいぃ。」
さて、これで何も問題は無い。今日中に準備を整えて、明日には出発だ。いざ、北へ!
◇
早朝の北門は、生憎のどんよりとした曇り空の下にあった。旅立ちは快晴が望ましかったが、こればかりはお天道様の機嫌次第だ。仕方がない。
俺達の背中には大きなリュックが背負われている。ルカだけは1000%のショルダーバッグだが。いや、荷物が多いせいで、食い込みがきつくなって1100%ぐらいになっている。恐ろしい娘。
「そんな軽装で大丈夫ぅ?途中の村まで遠いわよぉ?」
見送りに門の前まで来てくれていたタマラさんが心配そうに聞いてくる。リュックサックは冒険の道具や着替えでパンパンなのだが、徒歩での旅となるとそれでも心許無い。特に食料と水。
「大丈夫、途中で現地調達するから。雨も使えるし、何とかなるよ。」
俺は空を見上げながら応える。今にも泣き出しそうな空模様だが、その代わりに水の心配はそれ程しなくていい。という事にしておく。実際には、2~3日で王都まで行ってしまうつもりなので、食料も水もそれほど必要ない。水はキッカが出せるしな。
今回の旅は、ドルトンの街を出てしばらくは徒歩、その後人目を避けて海に入り、海中を潜航して海岸沿いを北上、途中で上陸して野営、王都近郊についたら人目を避けて上陸、そのまま徒歩で王都に入る、という旅程を考えている。
こっそり飛んでいったり海に潜ったりして街を出る事も出来たが、それをすると突然いなくなった様に見えてしまうわけで、もしかしたら行方不明扱いされてしまうかもしれない。そんな事になったら後々問題になって面倒なので、ちゃんと街を出ていった事を証明しておく必要があったのだ。マジめんどくさい。
「じゃあ、気を付けてねぇ。いってらっしゃいぃ~!」
「うん、いってきまーす!」
「「「「「いってきます!」わ!」みゃ!」」」
門の前で手を振るタマラさんに、皆で手を振りながら別れを告げる。タマラさんは、少し小高い丘を越えて俺達が見えなくなるまで門の前で見送ってくれていた。情の厚い女性だ。ちゃんと帰ってきて『ただいま』を言わないとな。
さて、それじゃちょっとそこまで冒険しに行きますか!
◇
ドルトンから離れ、周りに人の気配が無い事を確認したら、いつぞやの平面製馬車を出して乗り込む。村からドルトンに移動する際に使ったアレだ。いや、正確にはそのパワーアップ版だが。
馬は4頭に、箱馬車は3倍程の大きさになっている。馬は相変わらず全身鎧の装甲馬だが、箱馬車は装飾を抑えた黒塗りで、僅かに窓や扉の周囲に金の象嵌が施してあるくらいだ。高級感を演出したかったのだが、何となく黒塗りベンツのような印象になってしまった。ぶっちゃけ、怪しい。これを襲う気になる盗賊が居たら褒めてやりたい。コンクリ詰めされて海中にご招待確定だろうからな。行先は竜宮城じゃなくて天国だけど。
俺とウーちゃんはその馬車に並走している。海に潜るとしばらく走れないからな。今の内に思う存分走らせてあげよう。
元気に走る犬は、見ていて心が和む。ただ走るだけなのに、なんであんなに嬉しそうなんだろう。時折隣を走る俺の方を向いて俺が居る事を確認したら、また嬉しそうに前を向いて走り出す。何この可愛い生き物。俺を溢れる愛しさで溺れさせる気か?
御者台にはサマンサ、その他のメンバーは馬車の中だ。馬車自体は俺が操っているので、サマンサはただ座っているだけだったりするのだが。手綱も無いしな。
サマンサは座ったまま身体強化を発動し、魔力操作の練習中だ。他の連中も馬車の中で訓練中のようで、ほとんど話し声が聞こえない。なんて真面目な。キャッキャウフフなガールズトークで盛り上がっててもいいのに。
…実は皆の仲が悪いなんて事は無いよな?ドロドロした女の確執はご勘弁。仲裁に入ると、どっちの味方かって迫られるんだよな。それで敵でも味方でもないって言うと『無関係な人が間に入ってこないで!』って言われるし。ああ、過去の記憶が!胃が、胃がぁっ!
◇
途中で休憩を一度挟み、昼前には旧センナ村に到着した。『旧』と言うのは、未だに村が再建されていないからだ。ギルドで新村民を募集しているのだが、あまり芳しくないらしい。ここは近隣の塩造りの拠点だったから、一日も早く復興しないと不味いはずだけどな。この調子だと、また俺に塩調達の依頼が来るかもしれない。ポイント付くからいいんだけど、いつまでも頼られるとちょっと困る。マジで国に睨まれる。
村はギルドによって封鎖中なので、外周を回って北側の村はずれへと向かう。そこは海と村を一望できる丘の上で、天辺には直径3m程の角張った自然石が置かれている。その石の表面には『鎮魂の碑』と刻まれており…つまりはお墓だった。あの盗賊の被害に遭った犠牲者がこの下に眠っているのだ。
「こっちだよ。」
馬車から降りた皆を連れて、俺はそのお墓より更に西、より海が近い場所にある1m程の石の前へと向かう。その石には何も彫られていない。
「…ここなん?」
いつになく小さな声でキッカが尋ねる。心なしか、声が震えているように聞こえる。
「うん。ふたりだけ、こっちに埋めたんだ。海に近い方がいいかと思って。」
「そう…おおきに。」
そう言うと、キッカは跪いて両手を組み、祈りを捧げ始めた。自分の両親が眠る、その小さな墓の前で。
いつもは五月蠅いくらい饒舌なキッカが何も語らず、ただ押し黙って祈りを捧げている。閉じられたその両目からは涙が溢れ、あごの先から地面へと吸い込まれていく。きっとあの涙が、キッカの想いをその下に居る両親へと届けてくれるだろう。
キッカの少し後ろでは、皆が目を閉じて黙祷している。良かった、皆の仲は悪くないようだ。俺の胃も荒れずに済む。
ォオオォォ…
不意に、俺の右隣に座ったウーちゃんが遠吠えを上げる。遠吠えをするのは初めてかもしれない。ウーちゃんなりの鎮魂歌というところか。俺達が考えている以上に、ウーちゃんは賢くて情が深いのかもしれないな。
戦争なんていう、どうでもいい理由で俺の仲間を悲しませたジャーキンもノランも絶対に許さない。必ず後悔させてやる。地獄で懺悔するがいい。
遠く静かに響き渡るその遠吠えに、俺は決意を新たにした。
重い雲に覆われた空も、静かに涙を流し始めていた。








