第72話~世界はワンダーランドで満ちている~
話は僅かに遡る。
俺達が観光を終えてギルドへ到着したのは、約束の昼過ぎよりもやや早い時間だった。社会人だった時の習慣で、つい早めに行動してしまうのだ。10分前行動は基本だからな。
ギルドに到着した俺達は、案の定待たされる事になった。ただ待つだけでは時間がもったいないので、受付の職員から色々と情報を聞き取りする事にした。情報は戦略物資だからな。持っていれば有利になる事があるかもしれない。
王都のギルドの受付は、珍しい男性職員だった。20代後半の、地味だが清潔感のある青年で、ロバートというそうだ。なるほど、言われてみれば確かにロバート顔だ。10人に『この人の名前を当てて下さい』と聞いたら7人がロバートと答えるだろう。残りの人はきっとスティーブかジミーと答える。そんな感じ。
「僕、冒険者になり立てで、王国の魔境の場所とかあんまり知らないんだ。ロバートさん、色々教えてくれる?」
ニコニコと話しかける俺。必殺『無邪気な子供モード』だ。大抵の大人はこれに抗えない。…ドルトンじゃもう顔が知れ渡ってて通用しないけどな。むしろ恐怖の代名詞。後ろに並んでいる仲間も苦笑いだ。ルカだけはいつものニコニコ笑顔だが。
「ああ、いいよ。ビート君はドルトンから来たんだったね。じゃあ大森林より南の『未開地』についてはもういいかな?」
「うん、大森林と竜哭山脈と大密林だよね?」
「そう。特に竜哭山脈以南は、人が入った事がないから未開地って呼ばれてるんだ。」
人が入ったことが無いのに何故大密林の存在が知られているのかというと、海からの観測で森が確認されているからだそうだ。山脈は見えてるから分かる。
この王国は巨大な半島の西側を領土としており、半島の反対側がエンデ連邦の領土、そして半島の南側1/3が未開地なのだそうだ。
「エンデとの国境になってる黒山脈だけど、ここにも大きな魔境があるよ。ボーダーセッツから南東に向かった先だね。険しい山の中に『大熊の森』という森林があって、その中に古代の遺跡があるそうだよ。」
古代遺跡!トラップてんこ盛りで、トロッコに乗ってダイビングしたり転がる大岩に追いかけられたり!冒険とは切っても切れない場所だ。行かなきゃいけない場所リストに、またひとつ追加されてしまった。
「黒山脈の向こう、エンデのさらに北東には竜哭山脈にも劣らない大山脈があるそうだよ。この山脈の麓にはドワーフが集落を作っていて、その山脈の向こうはエルフの国があるんだってさ。」
ドワーフ!エルフ!俺は後ろを振り向いてキッカを見るが、キッカは我関せずといった感じだ。あれ?種族の故郷とかそういった感傷みたいなのは無いの?もう袂を分かって久しいって話だし、同族意識がかなり薄くなってるのかな?
「あとは比較的近場だと…北大森林は知ってるよね?それ以外は…西の海をさらに西に行ったところにあると言われている『始祖の島』か、リュート海の南東沿岸に広がる『塩の谷』とリュート海の中にある『時雨島』かな。でもこの3つはどれもお勧めできないけど。」
「なんで?魔境なら冒険者を送り込んで開拓したり資源確保したりするんじゃないの?」
「うーん、まず始祖の島だけど、これは場所がはっきりしてないから、冒険者を送り込もうにも出来ないんだ。時雨島も同じ。リュート海沿岸はほとんど雨が降らないんだけど、時雨島は雨が降ってる時にしか現れない幻の島と言われてる。」
おおう、ファンタジー来ました!幻の島とか、超燃える!リストに追加入りましたーっ!
「最後の塩の谷だけど、丁度今、その近くがジャーキンとの戦場になってるんだよ。塩の確保は大事だからね。」
聞けば、内海であるリュート海沿岸はどこも雨量の少ない気候だそうで、その一部は塩湖化しているそうだ。流れ込む河も多いため、全体の塩湖化まではしていないらしいが、塩分濃度は外海より濃そうだ。
塩の谷はそんな塩湖化した場所のひとつで、天然の塩が積もり積もって岩となり、僅かな雨で削れたところが深い谷になっているらしい。およそ植物や動物が生息できる環境ではなさそうだが、そこはファンタジー、特殊な進化をした魔物が棲みついているそうだ。この谷にほど近いチトの街は、そこから運び出される塩で生計を立てているそうだが、魔物のせいであまり大量には出荷できないのだとか。軍隊ならなんとかなりそう?
そしてノランの背後でコソコソと糸を引いていたジャーキンだが、とうとう直接介入してきたようだ。業を煮やしたか、あるいは準備が整ったのか。王国としても予測していた事であり、急ごしらえではあるものの防衛体制は整えていたため、不意を突かれるという事は無かったようだ。ブルヘッド伯爵の注進がちゃんと届いたのだろう。
「ただ、戦況は硬直してるけどあまり良くないらしくてね。ワイズマン男爵も倒れたって話だし…。」
「えっ!?」
「ああ、ドルトンの冒険者ならよく知ってるだろうね。あの旋風ダンテス様だよ、生きた伝説の。今度の戦争でも司令官に任じられてリュート海南西方面戦線の指揮を執っていたそうだけど、ジャーキンの攻撃魔道具を食らって大怪我したらしい。」
あの村長が!?戦場で大怪我!?そんな馬鹿な!!ゴリマッチョで、ぐるぐる回りながらパイルドライバー決めそうなあの村長が!?あ、ちなみにレスラーじゃなくて市長さんの方ね。村長だし。
村長は開拓村の要だ。いなくなれば村が立ち行かなくなってしまう。今は一時的に村を離れているが、あくまでも一時的にだからなんとかなっている。長期に渡れば、いずれ村は滅びてしまうだろう。そうなれば父ちゃんや母ちゃんも無事では済まない。村長にもしもがあってはならないのだ。
「皆、悪いけど急用が出来た!僕は今すぐチトに向かわないと!」
王都には一泊しかできなかったな。
◇
宿に戻って大急ぎで荷物をまとめ、ルカに大金貨十数枚を渡して当座の資金にしてもらい(こんなに必要ないと言われたが、念の為だ)、水と食料を買い込んでナップサックに詰め、全力で海に向かった。思いつめた顔のクリステラが少し心配だが、今はどうにもならない。ルカにフォローをお願いしておく。
海に向かった理由は、人目を避けるためだ。王都は広いので、海以外はどの方向に走っても郊外へ出るのに時間がかかる。海なら直ぐだ。
ひと気のない倉庫街の一角に辿り着いた俺は、俺とアーニャの周囲を平面の紡錘球で覆った。そのまま球を海の底まで運び、沖まで可能な限りの高速で移動する。途中で水棲魔獣らしきものに追いかけられたが、余裕でぶっちぎってやった。
「みゃーっ、ボス、速過ぎるみゃーっ!」
平面の壁に押し付けられているアーニャの、何度目か分からない叫び。あまり女の子に言われたいセリフではないな。どうせなら『もっとぉ!』と言われたいものだ。
…こんな下らない事を考えられるくらいには醒めてきたという事か。どうやら相当気が動転していたようだ。
「ゴメンゴメン、今中和するよ。」
重力フィールドで進行方向とは逆の重力を発生させる。壁に押し付けられていたアーニャがずり落ちる。
「ふみゃー、ボスはいつも乱暴だみゃあ。もっと優しくしてほしいみゃ。」
なかなか色気のあるセリフだが、意味が分かって言ってるのか?天然か?そういえば重力魔法が使えるんだから、自分で何とか出来たんじゃないか?やっぱ天然だな。
「悪かったよ。ちょっと焦ってた。」
「みゃ。ボスはまだ若いからしょうがないみゃ。次から気を付ければいいみゃ。」
…なんか上から目線で言われた。中身はオッサンなんだけどな。男の心はいつまでも少年のままという事か。ああ、だから少女から女に変わる女性には敵わないんだな。なんか世界の真理のひとつが見えた気がする。
「うん、わかった。ありがとうアーニャ。それじゃ、そろそろ浮上して飛んでいくよ。」
「了解だみゃ!空を飛ぶのは初めてだみゃ!楽しみだみゃ!!」
アーニャは既にニコニコ笑顔だ。好奇心旺盛で物怖じしないのはアーニャの良い所だな。単に何も考えてないだけかもしれないけど。
そろそろ空気を入れ替えないと酸欠になりそうだし、大急ぎで球を浮上させる。
水しぶきを撒き散らして海上に出た球は、そのまま上空へほぼ垂直に上昇していく。中の俺達は壁面に立っている形になるが、重力フィールドで制御しているので転げるような事にはならない。
形状はそのままに、小さな穴を空けて空気の入れ替えをする。新鮮な空気が美味い。笛のような音がちょっとうるさいが。適当に平面を組んで、空気の流れを分散させておこう。
上空500m程まで上昇したところで進路を北に向ける。村長が居るというチトの街の方へ。








