第156話~若い女の子にパパと呼ばれて嬉しいのは、男の本能かもしれない~
エサをお腹いっぱい食べて体を拭いてもらい、清潔な白い布の服を着せてもらったセイレーンの雛は、そこが自分の巣だと思っているのか俺のベッドへと這っていき、そのまま大の字で寝てしまった。既に野生の欠片も感じられない。
まぁ、ヒト社会で生きていくなら、そのほうがいいのかも。野生が暴走するといろいろ問題になりそうだし。
無防備な寝顔を見ながらそんなことを考えてたら、クリステラが俺の隣にやってきた。
「それで、このセイレーンは従魔になさるのでしょう? 名前はどうなさいますの?」
「うん? うーん、そうだな……じゃあ、ピーピー鳴いてたから『ピーちゃん』で」
「まぁ、可愛らしい名前ですわね! 良いと思いますわ!」
即断即決は俺の信条だ。デザイナーは直感が大事。
ウーちゃんにピーちゃん。うむ、語呂もいいし、なかなか良いネーミングじゃなかろうか。
しかし、クリステラは笑顔で追従してくれたけど、他の皆は微妙な顔をしてる。なんだよ、何か言いたい事でも?
「安直やなぁ。いや、文句はないけど」
「アタイはノーコメント」
「あらあら、うふふ」
「ないみゃ」
「……『ピーちゃん』ちゃん?」
むう、それは意見があるのと同じだぞ、キッカにサマンサ。後でアーニャと一緒に耳モフりの刑だ。君が(いい声で)鳴くまで、僕はモフるのをやめない! エルフ耳をモフるのはまだやったことないしな!
それと、デイジー、『ちゃん』と『はい』は一回だ。
「よく、寝ています」
「(ふんふん)」
「可愛いです! ほっぺたプクプクですよ!」
「寝冷え」
寝ているから危険は少ないと判断して、子供たちもベッドのそばに近寄っていいという許可を出している。おっ、サラサが丸出しのピーちゃんのお腹に手拭いを掛けてあげた。この娘もなかなか気が利くな。
まぁ、ピーちゃんのさっきまでの挙動を見るに、危険は無さそうではある。見た目と食べるものを除けば、そこらの子供とそれほど変わらない。もしかしたら、食べる物も俺たちと同じ物で大丈夫かもしれない。ちょっとずつ試してみよう。
皆がスヤスヤ眠るピーちゃんを見てホッコリしていたそのとき。
「ピー……パパ……ママ……」
「「「「「!!」」」」」
ピーちゃんの発した寝言で、その場の空気が固まった。いや、子供たちとアーニャを除く女性陣の動きが止まった。
そして、何やら刺々しい気配が周囲に漂い始める。むう、これはマズいかもしれない。
「おほほほ、ピーちゃん、ママはここにおりますわよ」
「なに言うてん、ピーちゃん、うちがママやで~」
「し、しょうがねぇな。そんなに言うならアタイがママになってやるか」
「あらあら、うふふ。目が覚めたらママが抱っこしてあげますからね」
「……この歳で母親になってしまうとは」
それぞれがスヤスヤ眠るピーちゃんに声をかけ、そしてお互いに睨み合う。その険しい視線は、まるで火花が散っているよう……って、マジで魔力をぶつけ合ってるよ! 普段は大人しいデイジーまでが本気の魔力をぶつけている。
皆の中間地点でぶつかり合った魔力が、まるで青白い火花を散らしているようにはじけ飛んでいる。へぇ、魔法に変換されてない魔力がぶつかるとこうなるのか。って、そんな観察してる場合じゃないかも?
「おほほほ! みなさん、『ママ』は奴隷頭であるわたくしが引き受けますから、無理をなさらなくてよろしいんですのよ?」
「いやいや、お忙しい奴隷頭様に余計な仕事はさせらんし。うちがちゃんと『ママ』になるから安心してぇな?」
「あらあら、『ママ』らしい家事はわたしが一番得意です。任せてください」
「あ、アタイだって家事は得意だぜ! 可愛い服だって作れるし! 『ママ』の座は譲れねぇな!」
「……母親に必要なのは技術ではなく愛情」
五人の間で飛び散る魔力の火花は収まる様子を見せない。むしろ、より激しくなっていく。クリステラとキッカはともかく、ルカ、サマンサ、デイジーがここまで我を張るのは珍しい。
理由は分かる。俺が『パパ』だからだ。『パパ』と『ママ』は、基本的にワンセットだ。『パパ』、つまり俺のパートナーである『ママ』の座を巡って争っているのだろう。ラブコメのニブ系主人公じゃあるまいし、そのくらいは分かる。
気持ちは嬉しいんだけど、子供たちの前で争うのはやめてほしいなぁ。教育に良くなさそうだ。ほら、皆キョトンとしちゃってるじゃないのよ?
声を掛けてやめさせるべきか? いや、俺は知っている。女の闘いに男が口を出すと、鎮火するどころか余計に強く燃え盛るという事を。そしてそれは周囲に飛び火し、大炎上を引き起こす。後には焼け野原しか残らない。
ここは逃げの一手だな。ピーちゃんに後ろ髪を引かれている子供たちの背中を押し、俺とウーちゃんは寝室を後にした。
「アタシはママよりトト(魚)のほうがいいみゃ」
アーニャもちゃっかり避難している。相変わらず危機回避能力が高い。
◇
子供たちをリビングまで連れ出した俺は、そのまま屋敷を出て冒険者ギルドへと向かうことにした。ウーちゃんとアーニャも一緒だ。帰って来る頃には、あの諍いも決着してるだろう。してるといいな。
目的はピーちゃんの従魔登録だ。ちゃんと登録しておかないと、街を襲撃に来たと勘違いされてピーちゃんが危険だ。
それ以外にも、最近の世情や各地の情報を収集するという目的もある。冒険者ギルドは、国営機関だけあって情報が早く多く入ってくるから、情報収集には便利なのだ。
お昼を回ったばかりで太陽はまだ高く、石畳に落ちる影は短い。もう初夏を過ぎて盛夏が近いこともあり、ぶっちゃけ暑い。
「うみゃ~、やっぱり街は暑いみゃぁ。ジョンのところは涼しくて快適だったみゃぁ。また涼みにいくみゃぁ」
「またそのうちにね。今は生まれたばかりのピーちゃんを置いていけないし」
「みゃぁ~」
アーニャが分かりやすくダレている。ミミもシッポも垂れて力無い。背も猫背だ。猫っぽい。
アーニャは暑いというけど、実のところ俺はそうでもない。気温は多分三十五度近いだろうけど、空気が乾燥しているからか、そんなに不快ではない。日本のジメッとした夏を知っている俺にしてみたら、この程度はまだまだ快適の範囲内だ。
うーちゃんも、舌を出してるけどそれほど暑そうではない。普通は猫の方が暑さに強くて、犬は暑さに弱いはずなんだけどな。これもファンタジーならではってことなのか?
冒険者ギルド内は、意外にもそれほど暑くはなかった。掲示板に貼られた依頼書が、時折ヒラヒラとめくれている。何処からか風が入ってきており、それが体感温度を下げているようだ。南国の知恵ってやつかな。
お昼過ぎのこの時間、冒険者ギルド内の人影はまばらだ。朝に依頼を受けた冒険者はまだ帰ってきてはいないし、新しい依頼は夕方前にならないと貼り出されない。冒険者ギルドが一番ヒマになる時間帯だ。もちろん、それを見越して来てるんだけど。混雑で待たされるのも、人ごみの中に入って行くのも遠慮したい。
受付カウンターを見るとやはりガラガラで、冒険者が居るのは同じカウンターでも冒険者ギルド内に併設された酒場のカウンターだけだった。昼間から飲んでるのか。羨ましい。
馴染みの受付嬢であるタマラさんのところへ向かうと、すでにこちらに気付いていた彼女は笑顔で応対してくれた。
「いらっしゃいぃ。今日はどうしたのぉ?」
「うん、新しい従魔を登録しようと思って。さっき生まれたばかりなんだ」
「あらぁ、また増えたのねぇ。今度はどんな魔物なのぉ?」
「セイレーンだよ。蒼い髪と目の」
「そうなのぉ? 珍しい魔物を捕まえたのねぇ。ビート君なら心配ないと思うけどぉ、ちゃんと躾けておいてねぇ? はいぃ、これぇ」
タマラさんが受付カウンターの向こうから、従魔登録用の用紙を俺に手渡してくる。相変わらずのんびりした話し方だけど、目は笑ってない。基本的に魔物は狂暴で、長く受付嬢をしている彼女は、その危険も十分承知しているからだろう。
この前のゴブリンだけでなく、この街は度々魔物の襲撃に晒されている。冒険者ギルドは最前線でその対応をするから、必然、タマラさんもその脅威は身をもって感じていることだろう。その彼女がクドクド言うことなく用紙を手渡してくれたのは、俺を信用してくれてる証だ。ウーちゃんという前例があるからこそだ。信用は裏切れない。
書き上げた用紙を渡すと、後方の別の職員に回された。その処理が終わるまで、情報収集という名目の雑談に興じることにする。どうせ他に冒険者は居ない。
まず大きなトピック、ジャーキンとの戦争だけど、村長率いる王国軍は国境を越えて、ジャーキン南東部のかなりの地域を制圧したらしい。といっても、主要な街や城塞は何故か壊滅状態だったから、ほとんど抵抗は受けていないそうだ。何故だろうねぇ(棒読み)?
城壁も壊れてたから魔物への備えが必要になってるそうだけど、もともと冒険者で今も辺境の開拓村を治めている村長だ。その辺は慣れたもので、問題なく軍を進めているらしい。
侵略するつもりが逆に侵略されているジャーキンだけど、帝都で何やら大きな事件があったらしく、現在は政治に混乱が生じているのだとか。軍も混乱していて、組織立った対応が出来ていないそうだ。何があったのかなぁ(棒読み)?
この分なら、もう少ししたら戦争が終わりそうだ。そうしたら、トネリコさんに頼んで米を輸入してもらおう。早く終わらないかな、俺の食欲のために。
その他の小さなトピックとしては、その戦争にここドルトンの領主であるバニーちゃんこと、バーナード=ドルトン伯爵がまた向かったことだろう。帰ってきたばかりだったのに、お忙しい事で。
それほど深い繋がりがあるわけじゃないけど、顔見知りではある。怪我せずに帰ってきてほしいものだ。
他にも小さなトピックがいくつかあったけど、国内の貴族の醜聞と汚職という、よくある話ばかりだった。俺も貴族だから無関係じゃないけど、興味はない。昼下がりの話題ではあるな。
そんな雑談を小一時間ほどしたところで、奥の職員から従魔登録が終わったことを告げられた。タマラさんに手を振って挨拶をし、談話スペースで眠り込んでたアーニャとウーちゃんを起こして屋敷に帰ることにする。
さて、もう状況は収まってるかな?
◇
「ぐぬぬぬ……」
「むむむ……」
「ううう……」
「うふふふ……」
「……むう」
まだ治まってなかった。ピーちゃんの眠るベッドを囲んで五人が睨み合っている。ドアの隙間から見つめる子供たちも困り顔だ。
「どう、しましょう?」
「仲裁に入るですか?」
「いや、放っておくのが一番だと思うよ? 道理や論理じゃなくて感情の話だからね。説得や仲裁なんかできないよ」
「納得」
「(こくこく)」
バジルは真面目だから、どうにか諍いを治めたいようだ。でも、争う女たちに男が出来ることなんてないんだよ? これは世の中の真理のひとつ、悲しい現実だ。
「ピー……おはよう? パパ?」
ピーちゃんが目を覚ました。この緊迫した空気の中でいままで眠っていられたとは、なかなかの大物かもしれない。
何気ない素振りでドアを開け、寝室に入っていく俺。後ろから子供たちもついてくる。まぁ、危険はないだろう。さっき餌食べたばかりだし。
「うん、おはようピーちゃん」
「ピー? ピーちゃん?」
「そうだよ。君は今日からピーちゃんだからね」
「ピー! ピーちゃん! ピーちゃんはピーちゃん!!」
起きたピーちゃんがベッドの上で飛び跳ねる。動きは普通の子供だなぁ。どうやらまだ飛ぶことはできないらしい。やっぱ教えないとダメかな? どうやって教えよう?
「ピー! パパ、ピーちゃん、ママ!」
「「「「「!!」」」」」
ピーちゃんの『ママ』の声に、まだ睨み合っていた五人が我に返る。
「おほほほ! ピーちゃん、ママはここですわよ!」
「うちがママやでー」
「アタイがママだぜ!」
「あらあら、ママを呼んだ?」
「……お母さんと呼んで」
出かける前から全く進捗がないな。この娘たちはいったい何をしていたのか。不毛とはこういうことなんだろうな。決してハゲてはいないけど。
「ピー? ママ、ママーッ!」
「「「「「!?」」」」」
「!?」
そう言ってピーちゃんが跳ねていったのは、部屋の入り口で控えていたリリーの腕の中だった。リリーもちょっとびっくりしたようだけど、笑顔でピーちゃんの髪を撫でている。
まぁ、当然っちゃぁ当然かな。与えた魔素は俺が一番多いだろうけど、抱いてた時間はリリーが一番長いはずだ。まだ殻の中にいたピーちゃんがそれを感じててもおかしくはない。
「そ、そんな……子供に負けましたわ……」
「くっ、うちはまだママにはなれんのか」
「いや、ピーちゃんのママは無理でも、本当のママなら!」
「あらあら、そうね。そのほうが嬉しいし。うふふ、うふふふ」
「……本番に賭ける」
おおう、五組の視線が今度は俺に! アレは獲物を狙う猛禽の目じゃないか! 背筋が、背筋が寒い、喰われてしまう! この世界には肉食系女子しかいないのか!?
誰か助けてーっ! ママーッ!!
ママも小学二年生。
 








