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共通プロローグ企画

勿忘草を貴女に

作者: 葡萄鼠

ナツ様の企画『 共通プロローグ企画 』参加作品です。参加作品、五作目。短編では三作目。思いのほか長くなってしまい、自分でも驚いています(;^_^A 他の企画参加作品共々、読んでくださる皆様のお心に響くような、のこるような作品になれば、一番の幸せです。まだまだ拙い作者ではありますが、閲覧してくださった皆様に感謝を。

 夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。

 一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。

 音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。

 男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。

 力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。 



      ☆ … ✝ … ☆



 私と妻は、政略結婚だ。そこに両家の思惑はあっても、愛情はない。それでも妻が浮気、などという醜聞を作らせるわけにはいかない。妻が望む物は一定の範囲内で与えるように使用人にもいいつけてある。だが決して一人では家から出すなと、妻の外出は必ず私が付き添いでなければ許可は出さぬとも言いつけた。

 そう。私は妻を籠の中の鳥にしたのだ。己の、我がシルビオ家の矜持を守るために。

 そして私自身は妻ができたと、家のことは最低限の指示だけ残し殆ど家には帰らずに仕事に没頭していた。側室を娶る必要もなく、私は妻との間に三人の子を儲けた。上から男、女、男の順に、皆健やかに育ったことが唯一の夫婦らしい功績だろう。男児一人だけではもしもの時に対処するのが面倒なため、もう一人男児が誕生するまではと。結果三人の子どもが私たちの子として天からやってきた。最近代替わりした長男は、私の代わりに当主として立派に務めを果たしている。次男も補佐として十二分な働きをしてくれている。唯一の娘は、嫁いでからもう十二年。夫婦仲は良好だと聞いている。次男以外は伴侶にも恵まれ、子どももいる。

 私自身は息子に家督は譲ったが、その歳では立派にやっているといえ、まだまだ詰めの甘い息子どもが二人ですべての仕事をこなせるわけではない。そのため隠居生活までは遠い。それでも戦争もなく、世間が穏やかであるおかげで私も昔に比べたら落ち着いた生活ができはじめている。妻も時々遊びに来る孫たちや帰省してくる娘に会ったり、趣味をしたりと楽しく過ごしているようだった。

 全てが上手く回っている。そう思っていた。


そんなある日、妻であるエリザベス……リサが倒れたのだ。高熱をだし、三日三晩熱が下がらず、子どもたちは毎日妻への見舞いを欠かさなかった。すでに嫁いでいた娘も帰ってきて、看病を手伝っていた。それでも回復の兆しがみえ、皆が安堵していた。娘も母の容態が安定してきたことを確認してから嫁ぎ先へと帰って行った。このまま順調に回復するだろう、誰もがそう思っていた。――しかし、それは一時の幻だった。


「――申し訳ありません、ヴォニカー様。このようなことになってしまって……」

「気にするな」


相変わらず、此方の心配ばかり。熱を出して寝込んでしまい迷惑をかけてしまったと、そのことばかりを気にする妻に気遣いの言葉一つでもかけてやるのが夫として普通のことだろう。だが今まで殆ど接したことのない妻との距離感がつかめず、そっけない言葉しかでてこない。


「お前は何も気にせず、自分の体のことだけを考えていればいい。余計な気は回すな」

「はい、ありがとうございます……」

「よく休め。また明日来る」

「ヴォニカー様も、どうかご自愛下さいませ」


 妻の部屋を出て、向かったのは応接室。我が家の専属医師を待たせてある。


「待たせたな。それで、妻の病名は?」

「――シルビオ様。奥方様は、勿忘花(ロースリー)病にかかっております」

「治療法はない、のだったか」

「はい。現在この病に関する治療法はわかっておりません」


 薄々気がついていたが、やはり医師の口から直接その病名を告げられるとくるものがある。

妻は熱がようやく下がり落ち着いてきた。これならもう全快するのもすぐだろうと、誰もがそう思っていた。だか、妻は治ったわけではなかった。熱は、ある病の前兆でしかなかったのだ。妻は、日毎記憶を失っていく病に罹っていたのだ。

最初に異変に気がついたのは、次男だった。妻の見舞いに部屋を訪れ、母である妻に話しかけると妻は己の息子を見て、「お仕事は終わられたのですか?」と言ったのだという。息子はすぐにその異常を兄と私に知らせるよう手配した。そして私は急いで医師を手配し、つい先ほど妻を看させた。その結果が、ロースリー病。時間の経過と共に記憶を少しずつ失い、最終的には生への執着も消え、記憶が静かに消えるようにその命もまるでなかったかのように喪われる病。奇病の一つで、効果的な治療法は未だ発見されていない。個人差はあれど必ず死に至る病であると同時に、周りの人間は忘れられるという悲しみや憤り、やるせなさに支配される。人によってはどこか遠くの別荘や教会に寄付金とともに預け、その事実から目を逸らそうとする者も少なくない。


「――そうか。急に呼び立ててすまなかった。もう帰って良い」

「お役に立てず、申し訳ありません。また、必要になりましたらいつでもお呼び立て下さい」

「ああ、そうする」


 医師を見送るように言いつけた後、しばらく一人にするように伝えた。


「―――ふぅ……」


 一目で高級な品だとわかるソファに身を沈める。今まで殆ど使ったことがなかったそれは、重たい身体を優しく包み込んでくれる。こんなにもこのソファがあったことに感謝の念を抱いたのは、半世紀以上生きていて初めてだ。それほど、思いの外この事実に打ちのめされていたのだと気づかされた。

医者にも打つ手がなく、ど素人の自分ができることなど皆無と言ってもいい。どこか、やるせなさに包まれながらも。このまま何もしないわけにもいかない。だが、何をどうすればいいのかわからない。

 そんな考えが頭の中で回り続ける。


「――娘に報せなければならないな」


 子どもたちは妻のことを愛している。父親らしいことなど何一つしてこなかった私とは違い、妻は乳母に子どもを預けるようなこともせず自分の手で子どもたちを育てた。妻が熱を出したと文を出しただけで飛んで帰ってくるような娘だ。この事実を報せた時、倒れて向こうに心配をかけないかが不安ではあるが、報せないわけにはいかないだろう。

 私はペンを持ち、憂鬱な気分のまま娘宛てに手紙を書きはじめる。




      ☆ … ✝ … ☆




 妻の病が、ロースリー病だと判断してから早いもので三か月が経っていた。季節は夏の暑さが温かさとして残っていた初秋から冬へと変わり、寒さがとても厳しくなっている。雪がほぼ毎日降り続き、外は一面の白と灰色の二色に支配されている。

 妻の病はゆるやかにだが、確実に進行している。まだ家族のことは時々間違うも、比較的覚えているようではあったが。それも時間の問題だろう。娘は一度家に帰ったが、今は夫の後押しもあり子どもと一緒に帰ってきている。妻は自分が記憶を失っているという自覚があるのかどうかはわからないが、たまにとても悲しそうな、寂しそうな眼差しをするときがある。私はといえば、妻との距離感をはかりかねてはいたが。周りの手助けもあり、なるべく妻の傍にいるようにはしていた。


 そんなある日――――……


 ロースリー病について何か手がかりがないものかと、書斎にこもりあらゆる文献を取り寄せ調べていると。扉の向こうの廊下が騒々しくなった。慌ただしい足音が近づいてきたかと思うと、急くようなノックとともに扉が開かれ侍従長が息を乱れた様子で入って来た。


「旦那様!!」

「何事だ」


 若かりし頃からずっと我が家に努めていた冷静沈着なこの男らしくもない、取り乱した様子に心臓が嫌な音を立てる。


「お、奥方様が――!!」


 その口から発せられた言葉に、思わず椅子を蹴倒して立ち上がっていた。


「リサがどうしたのだ!!」


 私の怒気をはらんだ、詰問のような言葉にも侍従長はひるむことなく、ただただ狼狽していた。


「奥方様の姿が……、どこにも見当たりません--!」

「――――!!」


 その言葉は、すぐには頭に正しく入ってこなかった。


「だ、旦那様!!?」


 そしてその意味が、理解できたとき。私は侍従長の叫びを気に留める暇もなく、私は近くに掛けてあったマントだけを引っ掴み。家を飛び出していた。


 吹雪は止んでいたが、暗い闇が支配する世界。雪がゆっくりと舞い続け、音を奪っている。世界は痛いほどの静寂に包まれていた。そこに唯一、己の発する荒い息づかいだけが嫌に大きく鼓膜を揺らす。

 妻の行先に心当たりはなかった。

 しかし、頭の中では必死に何か手がかりになるものを探していた。考えて、考えて。

そして唯一つだけ、心当たりらしきものを見つけた。


私は今自分が出すことのできる力を振り絞り、そのある場所に向かった。




      ☆ … ✝ … ☆




 夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もっていく。一面の白に反射した月光が彼女の黒髪を柔らかく照らし出している。音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。

 男は、―― ヴォニカーは己のまだ整わぬ荒い息、嵐のような鼓動も気にならず、やっと見つけた目を閉じたままの妻の息を確認し、抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくともまだ(・・)生きている。急がなければ、残り僅かな淡雪にも消されそうな妻の命の灯が、今ここで朽ちてしまう。せめて、せめて二人で過ごしたあの家で、温かさに包んで見送ってやりたい。ヴォニカーは、己の着ていたマントで妻を包む。

 ヴォニカーは力強く雪を踏みしめ、妻を抱えた腕に力を込めて今の自分にだせるだけの力を振り絞り全力で走りあの家へ向かった。


 全力で走る中、考えているのは妻と過ごした時間。死に際に、走馬灯が駆け巡るというが。私の頭の中では、走馬灯がくるくると回っていた。

妻と出会い、結婚し、子を成し、巣立っていった。始まりのあの日から、今日まで約四十年が経った。

 妻は決して良い夫とは言えなかっただろう、私に文句の一つも言わず。決して表にでることはなく、陰で我がシルビオ家を支えてくれた。傍にいるのがいつの間にか当たり前になっていた。こちらが全てを言わずとも、覚って先に用意をしてくれている。それが当然で、それがない日常こそが当たり前であったはずなのに。私は、リサが、エリザベスがいない、という日常が考えられなくなっていた。


 記憶を失い続けても、エリザベスは家族のことは殆ど忘れなかった。息子や娘のことはある意味当然だと思っていたが。妻はなぜか殆ど顔を見合わせることのなかった私のことも覚え続けていた。息子を見間違うことはあっても、私のことは決して間違うことはなかった。

 ずっと不思議だった。良い夫、とは決していえず。家の事も、子どもの事も、その殆どを押し付けて家に閉じ込めていたというのに。

 妻の病が発覚してから子どもたちが三人全員揃った席で、思わずそんなことをもらしていた。すると子どもたちは顔を見合わせて、苦笑しながら次男、長男が順にこう言ってきた。


「――父上。それは、あまりにも鈍すぎるというものですよ」

「まあ、父上はそう言った可能性はありえない。と思いこんでいますから、仕方がないことかもしれませんが」


 意味ありげな視線と言葉だが、私には全くその真意に気づくことができなかった。困惑していると、見かねた娘がこう切り出した。


「お父様。お母様にはずっと、内緒にしておくようにと言われておりましたが。もう、時効だと思いますので僭越ながら同じ女性である私の口から申し上げさせて頂きます」


 娘の表情は、改まった言い方に反してとても穏やかな、優しい、妻に良く似た笑みを浮かべている。


「お父様。お母様は、無表情で無口で無愛想で仕事人間(バカ)で家庭を省みることのない、生粋の頑固頭で超がつくほどの鈍感人間であるお父様のことを愛していらっしゃいます。誰よりも、私たちよりも。――お父様。貴方のことを心から、世界で一番愛しております」


 ――中々、酷い言われようではあったが。そのどれもが、最後の言葉で吹き飛んだ。


「――愛している……。私を……?」

「はい。愛しております。貴方のことを、誰よりも」


 娘はただ真っ直ぐに、私の目を見つめる…というより見据えてそうキッパリと言い切る。

 だが、私は少しも納得できない。そんなことは、万が一にも、


「――――ありえない」


 頭の中で呟いたつもりだったが、どうやら口に出してしまっていたようだ。子どもたちは揃って、大きなため息をつく。特に娘は一際大きい。いつもなら叱るところだが、それよりも早く娘が口を開いた。


「はぁ……。これだから男性は、いくつになっても全く頼りにならないのです」

「む……」


 娘の言葉に納得ができず、厳つい顔になっただろうが。娘はやれやれと肩をすくめるばかりで、どこ吹く風だ。ちなみに息子二人は娘の言葉に、ばつが悪そうにわざとらしく視線を彷徨わせる。――何か、心当たりでもあるのだろうか。


「――いいですか、お父様。その仕事や立場や、色んなことで詰まりに詰まった心のお耳をよーーーく空けてお聞きになって下さいませ」

「……」


 娘は、遠慮するものかと何やら瞳をギラつかせる。


「お母様は、政略結婚相手の貴方に思慕の念をいだいております。恋しております。いいえ、そんな言葉ではたりないほど、愛して(・・・)おります。それはもう、お父様以外の親しい方々からみればわかりやすいほどに」


 そんな風に言われても、全く理解が出来ない。そもそも、そんなにわかりやすいなら、私が気づかないはずがないではないか。これでも、かなりのキレ者として有名だというのに。まだまだ未熟な子どもたちが気がつくのに、この私が気付かないはずが―――


「気づかないはずがない、のではなく。気づかれていないのですよ、お父様。いい加減現実を見て下さいませ」

「……」


 なぜ、私の考えていることがわかったのだ。


「『なぜ、私の考えていることがわかったのだ』とお思いでしょうが、お父様。貴方も、ことお母様に関してはわかりやすいですよ」

「……」


 またもピタリと考えていることを言い当てられ、私はもう、黙って娘の言葉を聞くしかない。


「お母様は、私たちにこうおっしゃりました」


 〝愛しているわ。私の愛おしい子どもたち。――でも、ごめんなさいね。私の一番は、昔から、今も、そしてこれからも、あなた方のお父様である、ヴォニカー様のことを世界で一番に愛しているの。愛する人との間に、こんなにも可愛らしくて素敵な子どもたちをもうけることができて、私はとても幸せ者だわ。あなたたち三人は、これからもずっと皆世界で二番目に大切で愛おしいわ。だから、あなたたちにとって『 一番大切 』だと想える人と結ばれてね。あなたたちの何番目でもいい。私はあなたたちの唯一の母親であることにかわりはない。だから、いつでも頼ってきていいのよ。〟


「普通、という言葉は適切ではありませんが。殆どの場合において、子どもに面と向かって「二番目に愛しているわ」と、言う母親はまずいないでしょう。しかも、子どもの前で盛大に惚気る方も珍しいでしょう。まあ、確かに。子ども心ながら、あんなに無愛想で私たちやお母様のことなど殆ど気にもとめないお父様のどこがそんなにいいのかと、私たちよりも大切なのかと憤っていたころもありました。ですが、伴侶を持った今ではお母様のお気持ちが少しわかったような気がします」

「…………」

「ねえ、お父様。貴方は愛されております。ご自分は愛されないのだと、そう思い込むのは自由ですが。お仕事を引退された今、ほんの少しぐらい心に余裕をもって、そこにお母様のことを入れてさしあげてはいただけないでしょうか?」


 あんなにもギラついていた瞳はなりを潜め、娘の目は頼りない子どものではない、一人の女性として、一人の伴侶を持つ妻として、子をもつ母としての目だった。


「お父様。あなたは愛の欠片もない相手に、家のためだという理由だけで全てを諦め、割り切れますか?そんな人間を、愛を知らぬ人が、子どもたちに永遠に愛されると思いますか?お父様。貴方も薄々気がついていることでしょうが。それ以上に貴方は、お母様に愛されております。そして私たちの大好きなお母様が心から愛する貴方のことを、私たちは心から敬愛しております」


 その言葉が、不思議と今の私には心地よかった。そして私は、今までのことを思い返していた。子どもたちは、いつの間にか部屋を去っていた。



      ☆ … ✝ … ☆



 途中、何度も止まりそうになる足を叱咤して。ただ、ただ、腕の中の温もりが消えぬようにと、強く願いながら決して腕の力を弱めることなく家へと向かう。殆ど棒のような、役立たずになりかけている足を必死に動かし続ける。


何一つ、夫らしいことなどできない私はきっと父としても、一人の男としても、酷かっただろう。

 ただ結婚したのだから私に従えと、そういう態度をとり続けてきた。優しい言葉などたったの一度もかけた覚えがない。最初の十年は、どうせ夜会や茶会だなんだと理由づけて家の仕事を放りだしたり、どこぞの男と密会を交わすだろうと思っていた。しかし妻は一切そう言った行動にはでず、最低限の茶会を催し。私が許可を出した茶会にしかでなかった。夜会は必ず私も同伴で、私から決して離れようとはしなかった。その他は家で過ごし、宝石やドレスなどをねだることもなかった。


 いつか化けの皮がはがれる。そう思っていたが、十年を過ぎたあたりから。妻を信じはじめていた。いつの間にか、その考えが、日常が当たり前となっていた。そしてその当たり前(・・・・)の中に、自分でも気づかぬうちに芽生えていた想いもあった。

 それは娘の指摘を受け、そして妻が私の目の前から突然消えたという事実に気づかされた。こうして腕に妻の体を抱いていると、満たされる想いが確かにあるということに。


すべての始まりから約四十年経ち、妻を喪いかけてから初めて気がついた。私は妻に、恋をしていたのだと。


 それを認めた時、まるで見計らったかのようにいつの間にか家の近くまできていた。あえて貴族街から少し離れたところに先々代が建てた我がシルビオ家所有の邸。門のところでは、複数の光と人影がいくつか落ち着きなく動いている。安心したせいか、急に力が抜け足元から崩れ落ちる。エリザベスを抱いているせいで重心が前にあり、このままではエリザベスを下敷きにしてしまう――――っ。


「――ご無事で、何よりです。父上」


 倒れ込む寸前。私はしっかりした腕に支えられ、倒れ込まずにすんでいた。そして頭上から降って来たのは、長男の安堵の声。


「母上を見つけて下さり、ありがとうございます」


 長男の後に続いてやってきた使用人たちと協力し、私を立たせようと息子がエリザベスを受け取ろうとしたが。私は無意識のうちに、決して離さないぞとでもいうように腕に力をこめていた。それに気がついた息子は柔らかな笑みを浮かべ、使用人に担架を持ってくるようにいいつけ。そこに私とエリザベスを横たえて邸に運び込む。運び込まれたのは、いつもより温度が少し低めの浴室。服のまま浴槽に二人一緒にいれられ、落ち着いてから服を脱がされた。


 エリザベスの顔に苦痛の色はなく、ただ穏やかだった。心配だった凍傷もなく、ゆっくり身体の芯から温まればきっと、まだ、後数日は生きてくれるだろう。

 

 風呂から上がり、寝室に運び込まれ。私に温かいスープが用意されており、それを少しだけ飲みエリザベスを抱きしめながら眠りについた。伝わる温もりと、微かな息づかいに深く、深く、安堵しながら…………。




      ☆ … ✝ … ☆




 翌日目が覚めると、腕の中で妻が目を覚ましこちらをみていた。


「――起きたか」

「はい、おはようございます。ヴォニカー様」


 変わらぬ笑顔が愛おしいと、初めて思った。同時に、まだ失わずにすんだことに喜びが湧きあがる。


「ふふ……」

「む。どうした」


 喜びを噛みしめていると、突然妻が笑った。


「いえ……。幸せだな、と思いまして」

「そうか。それは良かった。私も幸せだ」


 そう。私は間違いなく、今、この世界中の誰よりも幸せだと断言できる。最愛の妻が私の腕の中で幸せだと、笑ってくれている。これ以上の幸福はない。


「なあ、エリザベス。明日は一緒に、勿忘草を見に行かないか。前に約束しただろう」

「本当ですか? とても嬉しいです」

「ああ、本当だ。一緒に行こう」


 妻を見つけたのは、結婚してしばらくしたとき。我が家の家紋にも描かれている、勿忘草を見て見たいと妻がこぼした何気ない一言。私は少し移動すれば、咲き乱れる場所があることもあり。確か、時間があればみにいくか、と答えたのだ。私はすっかり忘れていたが、妻は覚えていたのだろう。妻は、そこで倒れていたのだ。だが、今は殆どが枯れてしまい。見ることは叶わない。だが、その場所にこだわらなければ見ることは可能だ。




 そして私が妻を案内したのは、屋敷内に静かにたたずむ温室。代々当主のみに伝わるそれは、当主とその伴侶以外には入ることはおろか、知る事さえ制限されている。そこでは一年中、勿忘草が涸れることなく咲き続けている。


「――これが、勿忘草、なのですね」


 妻は一面に広がる勿忘草に、視線を奪われていた。その表情は、会ったばかりの無垢な笑顔と同じ。もしかしたら私は、初めて会った時から妻に一目惚れをしていたのかもしれない。


「とても、美しいですね」

「そうだな」


 勿忘草に目を奪われている妻に、私は目を、心を、奪われる。

 そして溢れてやまない想いを、自然と口にしていた。


「エリザベス。私はそなたに、恋をしているようだ」


 エリザベスは、キョトン、と。無防備な顔を私にみせる。


「――愛している。世界中の誰よりも、私は、ヴォニカー・シルビオは、我が妻。エリザベス・シルビオを、愛している」


 私は跪き、妻の手をとってそう言った。視線は愛しい妻の瞳から外さない。


「――ほ、ほんとうですか」


 妻の瞳からは、ほろほろ、と。水晶よりも綺麗な涙が零れ落ちる。


「今まで、すまなかった。私は自分のことしか考えられていなかった、狭量な男だ。そなたへの想いも、四十年近く経ってから気がつくような鈍感な男だ。愛想を尽かされてもおかしくない男だと自覚している。―――それでも、やり直せるチャンスをもらえるのなら。私はエリザベス。そなただけを愛し、そなただけを想い、そなたのために生きたい」


 この世に生を享けてから、もうすぐ七十年。こんなにも、緊張することはなかった。心臓など、壊れそうな程激しく高鳴っている。緊張からくる汗も、凄いことに……。


 ――手汗、酷くないだろうか。


 汗で湿った手など、ロマンチックの欠片もないどころか嫌われてもおかしくない。さっきまでとは別の意味で、嫌な汗が背中を伝う……。


「――も」


 そんなことを考えていると、せっかく妻が何かを言ってくれたというのに、聞き逃してしまった。


「す、すまない。もう一回、もう一回だけ、聞かせてはもらないだろうか」


 聞き逃すなど、何たる失態か――っ!!

 もし、もし、これで駄目だったらどうしたら………


「――私も」

「……」


 今度こそは決して聞き逃すまいと、全神経を耳に向ける。


「私も、愛しております。貴方のことを、ヴォニカー様のことを、心から愛しております」


 妻の答えは、聞き間違いでないのならとてつもなく幸せすぎるものだ。


「ほ、ほんとうか……?」

「はい」


 いくら娘らから聞いていたとはいえ、それはもう昔のこと。とうに愛想を尽かされていてもおかしくない。信じられぬ想いでいっぱいになりながら、妻に問い返せば。花のような笑顔を浮かべ、「はい」と答えが帰って来た。

 私は立ち上がり、妻を壊さぬように、だが、離さぬように抱きしめる。


「今まで、すまなかった。夫として、頼りないことばかりだと思うが。これから先の未来、共に歩もう」

「はい。こちらこそ、宜しくお願いします」


 こうして、約四十年経った今。私たちは、本当の意味で夫婦となった。そこには、切っても切り離せない〝愛〟がある。

 そしてこのことを子どもたちに伝えると、皆祝福をしてくれた。孫までもが、満面の笑みを浮かべて祝いの言葉を送ってくれた。


 







 想いを交わし合った、一月後。妻は周りの予想を超えて生きてくれ、そして家族に見守られながらその生涯を終えた。あと数日だろうと思っていたのが、一月も生きてくれた。

 葬儀は親しい者だけよび、こじんまりと。だが、温かな式だった。


 葬儀を終え、妻の体は妻の意向もあり。彼女の御国で行われているという、火葬をおこなった。残った骨は粉にし、花と共に我が敷地内の湖に流した。


 妻の墓標は、我がシルビオ家の者が代々眠る墓地にある。そしてそれとは別に、湖の周囲を守るかのように咲く勿忘草がもう一つの墓標でもあった。






 ――私はそなたと出逢えて、幸せだった。出逢ってくれて、愛してくれて、ありがとう。愛しているぞ。そなただけを。勿忘草に誓おう。


            我が生涯の唯一にして、最愛の妻。エリザベスへ。






 シルビオ家。第23代 当主  ヴォニカー 。




閲覧ありがとうございます。

前書きにも書きましたが、こんなに長くなるとは書き始めたことは思っていませんでした。でも、企画に参加したおかげでこの家族に出会えたことはとても嬉しく思っています。

 いつか、短編で子どもたちと妻視点に立った別話を書きたいなと思っています。子どもたちの馴れ初めとか。短編で投稿するか、連載にするか悩んでいますが……。

 もし今回のこの作品を気に入って下さった方がいて、番外編?を読みたいと言って下さる方がいましたら。短編か連載か、どちらの方法が良いかご希望を言って下さるととても嬉しいです。


結婚当初:ヴォニカー(28)  エリザベス(17)

現段階:夫・ヴォニカー 67歳   妻・エリザベス(愛称・リサ) 56歳

    長男 (37)  長女(35)  次男(29)


勿忘草の花言葉:真実の愛 等



誤字指摘ありがとうございます。修正しました。

・爪が甘い → 詰めが甘い


誤字・脱字・アドバイス・感想など、何かしら頂ける場合にはぜひとも感想フォームにてお願いいたします。

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文法上誤用となる3点リーダ、会話分1マス空けについては私独自の見解と作風で使用しております。

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[良い点] ・おおっ、主人公がまさかのご高齢! ・子供達が素直で穏やかで、ああ、きっといい育てられ方をしたのだろうなあと想像できます ・人生の終盤にこんな幸福な経験ができるのっていいなあと、じんわり思…
[一言] 共通プロローグ企画からきました、塚本と申します。 いい家族です……(´;ω;`) 失う前に気づけて良かった。 ちゃんと気づかなければ、穏やかな気持ちで見送ることはきっとできなかったのだろう…
[一言]  ナツ様の『共通プロローグ企画』に参加している霜月維苑です。  くっ……二人の年齢の予想を五十五~六十あたりだと予想してたのに……裏切られたぜ > この世に生を享けてから、もうすぐ七十…
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