8.新たな男
荷台の幌から出てきた男は、何と言うか、何と言うべきか、ものすごく、カッコよかった。顔が、というよりその雰囲気が。いや、顔もカッコイイんだけど、何ていうか・・・道行く女の人をポーッとさせる何かがある。これがフェロモンっていうやつなの?・・・どこから?どうやって?なんであんなに垂れ流せるわけ?是非とも教えを請いたい・・・。フェロモンは、ステキ女子の隠しアイテムだ。ドラ○エでいうところの『幸せの靴』だ。残念なことに、これはあたしの人生において、常に足りていないものの1つと言える。
男は、180センチ以上はある長身で、手足が長く、浅黒く日焼けした肌にはしなやかな、けれどしっかりとした筋肉がついている。目はウイスキーのような深い茶色。ベージュのズボンも黒いTシャツも他の2人より遥かに清潔そうだ。
ただ惜しむらくは、頭髪・・・男は、スキンヘッドだった。そういった方向の男らしさのアピールとして剃っているのだとしたら、ちょっと苦手なタイプといえる。強面アピールを前面に押し出すのは、プロレスラーだけで十分だと思わない?あまり見たことはないけれど、プロレスは人を楽しませるためのもので、スキンヘッドだろうかさらさらロングだろうが見た目も仕事の内なのだと思う。
でも、目の前の男はレスラーじゃない。犯罪者だ。ということは、やっぱり誰彼構わず『俺はヤバい奴なんだ』ということを意気揚々とアピールしているのだろうか?
でも待って。わざわざアピールしなくても、目の前の人物にケンカをふっかけたいと思える人っているのかしら?あたしにはそうそういるとは思えなかった。
もしかして。
―――若禿げ?
アルファベットの『i』のような体形のあたしだって、花も恥じらう23歳。過去に恋人と呼べる存在もいた。
初めてキスしたのは、同じ幼稚園の大貴くんだ。2人で脇に寄せてあるカーテンに包まってブチュッとした記憶がある。
大貴くんは足が速かった。鉄棒でまえまわりも出来たし、砂場でトンネルをつくるのも上手かった。連続10人スカート捲りという偉大な記録も持っていた。日焼けで全身真っ黒で、顔はナスビに似ていた。秋に美味しい紫の野菜だ。そして、髪もスポーティなナスビカットだった。あたしは昔から短髪が好きなのだ。その当時のあたしは『最高にカッコイイ』と思っていたのだが、ある事実に気付いて一瞬で好きじゃなくなった。鼻の穴が丸かったのだ。ただそれだけのことで、あたし達は別れてしまった。つきあった期間はわずか2週間だった。
でも、あたしもさすがに幼稚園の頃よりは成長している。本人の意思に関係ない、どうすることも出来ない身体的特徴について、今のあたしは何の意見も持っていない。それは個性だと思っている。みんな違って当たり前。禿げるのも、鼻の穴が丸いのも個性。あたしの胸が小さいのも、もちろん個性だ。努力で何とかなるものなら、あたしは今頃Fカップになっている。
・・・例えば一部分だけだけ禿げてしまって、それならいっそ、と全て剃っている可能性もあるわね。禿げ部位が頭頂部なのか側頭部なのかは分からないけど、1か0か、それってとても潔い行為に感じる。なんなら、男らしくてカッコいいとも感じ始めていた。ただそれは、好みのタイプを前にして、あたしの目と脳が曇ってる可能性が高い。
あたしがじっと観察している間、男は、顔の半分を血で赤く染めているハリスと、血だらけのTシャツを着ているあたしと、地面に転がってウンウン唸っているキツネ男と、その周りでオロオロしているカエル男に視線をさまよわせた後、まるで言うべきことが見つからないとでも言うように、腰に手を当てて軽く首を振った。
「・・・ダギー」男がキツネ男に向かって言った。
キツネ男はダギーと言う名前らしい。すごくどうでもいい情報だった。
「商品に手を出したらまずいんじゃないか?」
「レオ、今まで何をしてた!」カエル男がギャーギャー喚いた。
「ダギー、中の子供の具合が良くない。そいつらが戻ってきたなら早く出発すべきだ」カエル男の言葉をまるで聞こえなかったかのように無視して男が言った。
ハリスの体がピクリと動いた。眉間にしわが寄っている。
「ガキの具合なんてどうでもいいだろ!クソがっ、何してんだ、見てないで手を貸せ!ダギーを立たせろ!」カエル男がツバを飛ばしながら怒鳴った。
カエル男は、太っているくせに力がないのか、モタモタと悪戦苦闘していた。汗があごから滴って、そして・・・全身テカテカ光って見える。きっと粘着性のあるネバネバ液がすべての毛穴から漏れ出ているのだ。・・・奴は本当に新種の蛙なのかもしれない。
「ジル、立たせる前に腰を叩いてやれ」
「そんなことは分かってる!!新入りにくせに指図すんな!」
レオと呼ばれた男は、やれやれと首を振った。
カエル男はジルというらしい。この名前も全く興味が持てなかったので、わざわざ覚える気もおきない。こいつらはキツネ男とカエル男で十分だ。むしろキツネとカエルに失礼だ。
レオの名前はすんなりあたしの脳に入ってきた。不思議。
レオが近づいて行ってキツネ男を引っ張り上げた。その際にカエル男に極力触れないように見えたのは気のせいではないだろう。
キツネ男は腰をかがめてヨタヨタと歩いている。世の女性のためにも、この先ずっと使い物にならなければいいのに。念のため『もげろ』と念じておく。
「乗れ」レオは、あたしとハリスにあごで荷台を指示した。
「そのクソ女は置いて行く!」カエル男がすかさずあたしを指差して怒鳴った。
粘液が飛んでくる気がして、あたしとハリスはカエル男から少し離れた。
「・・・『渡り人』だろう。連れて行くべきじゃないか?」首を傾げて少し考えるような仕草をした後、レオが静かに言った。
「ダギーを見ろ、その女は厄災みたいなもんだ!」
カエル男はあたしを置いて行きたいらしい。それは困る・・・!置いて行かれるとは考えていなかった。あたしは両手をぎゅっと握った。
「ハリス・・・」
あたしは不安になって、横に立つハリスの顔をチラリと見た。ハリスは前を向いたまま、大丈夫だと言うようにあたしの手首を軽く握る。
ここで『連れて行って』と言ったら・・・どうだろう。でも、それってまるで変態に売られたいみたいじゃない?変態に売られたがる女なんて・・・ものすごく変態だわ。出来ればそれは避けたい。でもいざとなったら、甘んじて性的倒錯者の振りをするべき?出来るかしら・・・?全く自信がない。
どうしようかとキョロキョロ視線を彷徨わせているとレオと目が合った。レオの表情は・・・何を考えているのかよくわからなかった。ちょっと面倒臭そうにも見える。
レオがため息をつく。「連れて行っても大丈夫じゃないか?」
「お前はさっきのくそったれた惨劇を見てねぇからそんな暢気なことが言えるんだ!」
「拘束具が付いた女に一体何をされたんだ」
「わかんねぇよ、でも・・・気づいたらああなってたんだ」
レオは、股間を押さえてピョコピョコ跳んでいる男を見て、そのまま黙ってしまった。あたしはぴたりとハリスに寄り添った。
「リーダーは俺だ。俺が決める」よろめきながら近づいてきたキツネ男が、忌々しげに言った。
連れて行きたくないと、でかでかと顔に書いてある。しかし、キツネ男はレオを見たあと、何かを考えるように、あたしをじっと見つめた。
「・・・そうだな、『渡り人』だ。連れていく」キツネ男が言った。「買われていくのをこの目できちんと見届けてやる」
「・・・グフフッ・・・そうか、そうだな。この生意気な女がが震えながら泣き叫ぶのを、この目にしっかり焼き付けなきゃな!」
余程すばらしい考えに思えたのだろう。カエル男が楽しそうにグヘグヘと笑った。何だかどんどんカエルみたいに見えるんだけど・・・。あたしは目をぐりぐり擦った。
「俺はマダンまで御者台に座る。ジル、レオ!早く2人を荷台に乗せろ!」
「ダギー!御者はずっと俺が・・・」
「うるさい!俺は荷台には乗らないからな!その女は頭がおかしいんだ!」
そう言って、キツネ男はよろめきながらハンサ鳥がつながれている御者台に歩いて行った。どうやら目的地はマダンというところらしい。
残されたのは、ここまで御者をしていたらしいカエル男と、先程から黙ったままのレオ、同じく黙ったままのハリスと、ハリスにピタリとくっついているあたし。
ハリスとレオは互いを警戒するようにじっと見ている。カエル男はあたしを睨んでいる。あたしは一体誰を見ればいいのだろう?
「乗れ」レオが荷台の幌を手で押さえて言った。
ハリスとあたしは素直に荷台へと歩いた。
しかし問題があった。車輪が大きくて荷台の床が高すぎる。ちょうどあたしの胸の位置にある。それに、足には鎖が付いているのだ。スルスルとはしごが出てくるのを期待してレオを見るが、動く気配がない。そんなものはなさそうだった。
それにカエル男はどうやって乗る気なのだろう。あたしの背は162センチだ。カエル男はあたしより背が低い。風船みたいに太っていて、力もない。しかもヌルヌルした謎の体液を出している。
「何見てやがる」
「・・・体の、それ、拭かないと滑るんじゃない?」
「あぁ?お前何言ってやがる、バカにしてんのか?早く乗れ!」
あたしは目を眇めた。この男はあたしに対して怒鳴り過ぎる。怒鳴っている時以外は、気持ち悪く笑ってるか、気持ち悪い体液を出しているかだ。
「な、なんだよ、飛び掛かってくるつもりじゃねぇだろうな。さ、触ってねぇだろうが」カエル男が半歩後ろに下がった。
飛び掛かる?ありえない。謎の体液がついてしまう。
体重の軽いハリスは、動かせる範囲が狭いにもかかわらず、器用に枠に足をかけて上がっていった。横目でレオを見ると、『さあ、早く乗れ』と言うように頷いてくる。あたしは少し躊躇った後、床に手をかけた。そして、自分の体を引き上げるのと同時に、思い切りジャンプした。
そして、あたしの目には空が映った。それを最後にあたしの意識はプツリと途切れた。