5.草原4
その後、ハリスは『珠』のことを教えてくれたが、正直言って理解できたとは言い難い。ハリスの言葉はあたしには少々学術的過ぎた。
ハリスの言葉を借りると、『生き物すべてが生まれながらに持っているエネルギー体』であり『個々の能力、精神に何らかの影響を与えている連続体』で『一般的に珠の剥離はその生き物の消滅を意味する』らしい。『力の現出には様々な形』があって『錬成期間が必要な場合』がある。
・・・一体何を言ってるのかしら・・・?その後も続いた聞き慣れない『珠』とやらの説明は、あたしの脳に留まることなく、右の耳から左の耳へとスルッと通過して行った。目は開けていたつもりだが、もしかしたらあたしは半分眠っていたかもしれない。淡々と話すハリスの声はお経のようだった。
「―――で、大抵『珠』の色は乳白色だ。だが、エネルギー研究施設の発表によると、世界を渡ることで黒く変色すると言われている。実際、人数は多くないが、向こうから戻ってきた渡り人の『珠』は黒い」ハリスはそこで言葉を一旦切り、あたしの顔をじっと見つめた。そして、ゆっくりと言葉を綴る。「通常は『珠』が白だろうと黒だろうと次に産まれてくる子供は乳白色の珠を持つ。―――けれど、渡り人同士が向こうで子供を産むと、渡ってきたその子供の『珠』は青いそうだ」
「へぇ」
「『へぇ』ってお前・・・ちゃんと聞いてなかっただろう」
今あたし、相槌うってた?目をぱちぱちとまたたいてハリスを見る。まずい、ハリスの目が凍えるようだ。眉間には深いシワが刻まれている。
「ううん、ちゃんと聞いてたわよ」
ウソよ、半分以上、ううん、ほとんど聞いてなかったわ!あたしは、頭の中にパッと浮かんだ奈良の大仏に心の中で手を合わせて謝った。
ハリスと話していると、子供のはずなのに、『対等』でもなく、むしろ上からの目線で話されている気がする。学生時代、苦手な先生に『わかった?』と訊かれて、分かってないのに『大丈夫です』と答えてしまう感じに似ている。全く『大丈夫』ではないんだけれども。
ハリスの疑わしそうな視線がチクチクと突き刺さり、あたしは意味もなく手を組んだり離したりを繰り返した。
「珍しいんでしょ?」頭の隅をつついて無理矢理言葉を絞り出す。「青いのって、すっごく」
宇宙とつながるあたしの口から、頭が悪そうな言葉が飛び出した。ハリスの目が益々疑わしそうに眇められた。
「文献では、青い珠を持つ人間は2人しか確認されていない。お前が3人目で、今存在しているのはお前1人だ」
「渡るの自体が難しいみたいだし・・・そりゃあ、あんまりいないかもしれないけど」あたしは、霞がかった脳みそから必死で言葉を摘まみ上げた。「別に、ほら、色が違ったって同じでしょ?白だろうが青だろうが、虹色だろうが、同じ人間じゃない。そんなのちょっとした個性の1つよ」
あたしは、問題をぼやけさせるのが得意だった。場合によっては、軽いウソとも言うかもしれない。ハリスはじっと黙ってあたしを見ていた。あたしも無言で見つめ返す。これ以上しゃべるとぼろが出る自信があった。
弱い風がさわっと草を揺らす。太陽は今だ高い位置にあり、肌がジリジリする。
どのくらい沈黙が続いたのか。たぶん1分か2分くらいだと思うのだが、その間あたしの心はバタバタ走りまわっていた。
原因の1つは、ハリスの目つきだ。観察されているように思うのは気のせいかしら?自分が奇妙で珍しい虫になったように感じる。
『珠』の色は、個性という括りには収まりきらない程の何かなのだろうか?
ここは異世界だ。もしかしたら、『珠』の色で差別されたりするのかもしれない。だとしたら、そんなのってないわ。本人にはどうしようもないことじゃない。
「よく分からないけど・・・『珠』の色が違ったら人から石を投げられたりするの?」沈黙に耐えきれなくなったあたしは、恐る恐る訊いた。
「・・・石を?そんなことはない」
じゃあ、色の違いに何があるって言うの・・・?大体、『珠』ってふわっとしててよく分かんないのよ。魂みたいなもの?エネルギーがどうとか、能力がなんとか・・・そんなこと言われても―――突如、あたしの頭に閃光が走った。
・・・もしかして・・・いいえ、ありえないわ。そんなこと。でも・・・何か人間離れしたすごいことが出来たりするの?例えば、魔法とか・・・?
「ちょっと聞きたいんだけど・・・『珠』の色によっては、空を飛べたりする?」あたしは胸をドキドキさせながら、期待を込めてハリスに訊いた。
「・・・空?いや、そういった例は今までない」
「じゃあ目からビームが出るとか?」
「目からビーム?何言ってるんだ?」
「どこへでもパッと瞬間移動できて・・・」
「出来るわけないだろう。いいか、物や人の構造は原子と言う小さな―――」
「待って!その話は今は大丈夫。瞬間移動は忘れてちょうだい」あたしは慌ててハリスの言葉を遮った。「それより、そうね、例えば、怪我が一瞬で治ったり、長生きで何百年も生きられたり・・・そういったことが出来るとか?!」
「出来てたまるか!」
残念だ。
「何よ、やっぱり普通の人間じゃない。何が違うって言うのよ」あたしは唇を尖らせて言った。
「・・・ブフッ・・・!」突然ハリスが体を震わせて笑いだした。
これは、あたしが笑われてるの?
「あたし、変なこと何も言ってないわよ」
「そうだな」ハリスは笑いながら言った。「お前の言う通り・・・ククッ・・・空も・・・飛べないし、目からビームも出ない」
ハリスの纏っていた雰囲気がガラリと変わり、それまでのどこか冷たい空気が、柔らかく緩んだ気がした。
「『珠』の色が違っても皆同じ人間だ」
「それにしても、青か。面倒くさいけど、仕方ないな」ハリスは何やらごそごそと白い布の下から取り出した。「足を出せ」
それは手錠のような金属の輪っかだった。手錠にしてはチェーンの長さが長すぎる気がする。
「・・・何それ?」
「いいから足を出せ」
「嫌な感じがするわ。なんだかとっても変態っぽい臭いがする」
「誰が変態だ!」
「じゃあ何よ、そのいかがわしい輪っかは!」
ハリスは疲れた顔で深くため息を吐くと、ささっと手にしている輪っかをあたしの足首に付けた。
「ギャッ・・・!何す――」
「今は時間がない。ただの渡り人なら放っといてもいいんだが・・・」そう言うとハリスはあたしの全身にさっと目をすべらせ、諦めたように続けた。「・・・俺は今任務中だ。説明は後でしてやる。とにかく俺から離れないように、静かにしゃべらず、俯いて大人しくしててくれ」
「説明も無しにこんなの付けるなんてひどいじゃない!」
「命が惜しければ言うとおりにしてくれ。大人しくしててくれれば、長くても7日、いや10日以内には安全なところまで連れて行く」
「命が惜しければ?今あたしにそう言ったの?どういうこと?!大人しくしなかったらどうなるの?死んじゃうってこと?なんで―――」
ハリスの顔が引きつった。「じゃあここにいるか?一人で」
あたしはぐっと言葉に詰まった。一人になるのは嫌だった。不安はあるけど、あたしの気持ちはついて行く方に傾いていた。
「・・・変なことしない?」
「変なことって・・・お前、俺を何だと思っている」
「敷いて言うなら・・・変態小僧かしら?」あたしは片足を上げた。ジャラリ、と金属がこすれる音がする。
「違う!」ハリスがギッと睨む。「本当にもう時間がない。歩きながら簡単に説明する。来い」
そう言ってくるりと背を向け、ジャラジャラ歩いて行く。
・・・ジャラジャラ?
見るとハリスの足首にも同じ鎖が付いていた。
「ハリスにもついてるの、鎖・・・なんで?」
「いいから来い。とりあえず歩け」足を止める気は全くないらしく、振り返りもせずにハリスが言った。
「あ、ちょっと、待ってよ、もう!」
あたしは慌ててジャラジャラと追いかけた。