4.草原3
「そんなわけ、ないわ」
あたしは絶賛混乱中の脳みそから、なんとか言葉を絞り出した。そんなわけない。あたしには、お父さんとお母さんの娘だっていう揺るぎない自信がある。生まれてから今まで、両親からそんなそぶりは感じたことはないし、写真もある。家には、あたしと美樹が産まれてからの成長記録とも言うべき写真が、山のようにあるのだ。そして、顔。そっくりなのだ。あたしは母に、美樹は父に。参観日や運動会があるたび、姉妹そろって学校で「遺伝の力、半端ねぇ・・・」と生温かい目で笑われてきた。だから、産みの親が別にいるなんて言われても『はい、そうですか』なんて納得できない。
そう言うと、男の子は目を見開いて、奇妙なものを見るようにあたしの顔を凝視しはじめた。そして、そのまま何やら難しい顔をして考え込んでしまう。いや、ありえなくもないがでも・・・などとブツブツ言っては、あたしの顔をチラチラと見る。
「何なの?説明して貰わないと分からないわ」
知らずと語気が強くなった。自分の状況が『分からない』というのは、ものすごくストレスが溜まる。知らない世界に引っ張り込まれ、家族とは離ればなれ、右も左も分からずに、さっきまでは『あたしってば死んじゃったのね・・・』と悲観に暮れていたのだ。ヒステリーを起していない自分を誉めてあげたい。
男の子は軽い息を吐くと、困ったような諦めたような複雑な顔をして話し始めた。
「『渡り人』が世界を渡ることを『乱』という。『乱』が起こると太陽が2つになる。詳しくは分からないが、世界が近づく影響で向こうの太陽が見えていると言われている。そして渡った後も残像として、沈むまで空には2つの太陽が昇っているように見える」
・・・やっぱり。2個あったのは見まちがいじゃなかった。
「それと、太陽が2つになる少し前に、重なる場所を中心に大体半径500m付近が真っ暗になる」男の子は続けた。「向こうへ行った場合は、しばらく中心に、もやのような瘴気が現れる。珠のエネルギーと関係があると言われているが、これも今のところよく分かっていない。人間や動物がこの瘴気に触れると2、3日精神に異常をきたすらしい。逆に、『渡り人』がこちらへ来た場合には瘴気は出ない。乱が起きても、実際にその場所に行ってみない限り、瘴気が発生しているか・・・つまり、『渡り人』が行ったのか来たのかは確認できない」
何その毒ガス的なもの。
「『乱』による瘴気の有無はその国が管理、対策する。そして『渡り人』は国の保護の対象になっている。だから、『乱』が起こったのを見た者はすぐに国に届けなければならない」
『渡り人』って難民みたいなものなのかしら?国が管理して、何だか危なそうな瘴気を確認したり対策立てたりするのは理解できる。だけど・・・。
あたしの頭に疑問がうかぶ。目の前の子供は、どう見ても役人には見えない。あたしは首をかしげた。
「確認は国がするのよね?」
「そうだ」
「子供よね?」あたしは男の子の頭をちょんと突いた。
「やめろ」男の子は煩そうに手を払った。
「なんで子供がここにいるの?危ないんじゃないの?その、瘴気?っていうの」
「たまたま近くにいた」
「えっ、たまたま?!ダメよ!」あたしは勢いよく男の子の肩をガシッと掴んだ。「瘴気が無かったから良かったものの、もしあったらどうする気だったの?危険なことは大人に任せないとだめじゃない!」
「おいっやめ・・・!」
男の子はガクガク揺さぶられて目を白黒させている。
でも、こういうことは大人がきちんと言って聞かせないと大変なことになるのだ。子供っていうのは『死ににいってるの?』とも思える無謀な冒険心に満ち溢れている。あたしがこのくらいの年の頃には、自分は大きくなったら世界を救うスーパーヒーローになると確信していた。そのせいで、風呂敷を首に巻いて家の駐車場の屋根から飛び降りて骨折したり、『何にでも効く薬だ!』と言ってその辺の草をもしゃもしゃ食べてお腹を壊したりしていた。そう、世界は危険でいっぱいなのだ。
「痛い!」
「あ・・・」
どうやら強く揺さぶり過ぎたようで、慌てて手を離す。
「ごめん、ちょっとやりすぎたわ。大丈夫?」
男の子は白い布のシワをさっと払うと、疲れたようにため息を吐いた。
「触れられるのは好きじゃない」
そう言えばさっき『さわるな』だの『やめろ』だの言ってたのを思い出す。すっかり忘れてたけど。
「・・・お前の『珠』は青か?」
「あお?」
突然の意味が分からない問いかけに、自分でも間抜けな声が出た。
「あおって何よ?大体さっきからタマって・・・」
あたしは首を傾げた。
タマタマタマタマ・・・あんまり連呼するのは良くないかもしれない。違うと言われても、顔がちょっと熱くなってくる。
タマねぇ。
・・・タマ?
・・・もしかして。
あの青い飴玉?
「心当たりがあるって顔だな」
「うん?」なんとなく言いづらい。「もしかしたら、アレ、かな?飴だと思って・・・何ていうの?食べちゃったみたいな?食べたら苦しくなったから毒かなーとも思ったんだけど」
「食べたのか?!『珠』を?」
男の子が声を張り上げた。
どうしよう、やっぱり食べ物じゃなかった。っていうか、やっぱりあれが『タマ』だったらしい。
「・・・食べる奴なんて初めて見た。何て言うか、よく分からないものに対して、疑うとか確かめるとかって言葉知ってるか?」
・・・正論過ぎて言葉が出ない。
男の子が更に言葉を続ける。
「100歩譲って、腹が減ってたとしてもだ、あの大きさを見て足しになるように思えたのか?」男の子は呆れたように首を左右に振った。
おかしい。怒られてる。さっき、あたしは男の子に危険なことはしちゃいけないと注意してなかったか。いつ逆転したの?
「お前、いくつだ?」
「23よ」
「23?!」
男の子がチラリと胸元を見た。気がした。
「今、どこを見て驚いたの?」あたしの喉から低い声が漏れる。
声のトーンで何かを感じ取ったらしい男の子は、ふいっと顔を横に背けた。そんなんじゃ誤魔化されたいわよ。
「胸を見て驚いたように見えたわ」
男の子は更に横を向いた。
「ひどいわ」あたしは、両手をギュッと握りしめた。「・・・昨日も今日も何も食べてないのよ。水だってなかったわ、こんなに暑いのに!」
ギョッとする子供を前に、止まらなくなったあたしは、手をバタバタと振り回した。
「それにあたしの胸は本当はすごいんだから!今はちょっと・・・アレかもしれないけど、そう、大器晩成型なのよ。セミみたいなものだわ。土の中に何年もいるけど、その内世に出て、儚くも短い一生を・・・」
セミは良くなかった。
「セミについては忘れていいわ」
「・・・セミ?」
あたしには、セミって何だ?と首をかしげる男の子の声は聞こえていなかった。
「あんたなんて・・・あんたなんて、生意気なチビッコじゃない!女の人の胸について何か言うなんて10年早いわよ!」
あたしは、ビシッっと人差し指で男の子の顔を指差した。
普段あたしはそんなに短気な方ではない。傷つきはしても、平時ならこのくらいのことでは怒ったりしないのだ。自分でも認めるけど、これは半分やつあたりだった。ずっと押さえていた不安が、簡単に吐き出せる怒りにとってかわり、雪崩のように溢れ出した。
ついにヒステリーがあたしの心の防波堤に攻撃を仕掛けているのだ。
男の子は、綺麗な琥珀色の目をまんまるに見開いていて、ワーワーと喚きたてるあたしをポカンと見つめていた。
ひとしきり騒いで、あたしはピタリと凍りついた。・・・子供相手に言い過ぎだわ。大人として良いこととは言えないし、落ち着いて考えてみれば、『大器晩成』ってどうなんだろう。自虐以外の何物でもないんじゃない?それに、『本当はすごい』って何。どうすごいというのか。父を迎えに行くだけだからと、パッドを入れて来なかったのが悔やまれる。今のあたしは絶壁だ。どうやらあたしの口は宇宙とつながっているようだ。
沈黙が痛い。
「・・・まぁ、その、アレよ。ちょっと興奮しちゃったみたいで、大人げなかったわ」
男の子は、まるで面白いものを見つけたようにニヤリと笑った。
「大人、ねぇ?」
「・・・それとね、『お前』じゃなくて、あたしの名前は『杏』よ。『杏お姉さん』って呼んでね」
「俺の名前は、ハリスだ。ハリスって呼んでいいぞ、『アン』」
笑みを深くしたハリスを見て、あたしの背中がゾクリとした。