34.仲間
「終わったか?」荷車の幌の影からレオがぶらぶらと歩いて来る。
「ずっとそこにいたの?中にいたんじゃないの?ジェマは?」
レオは、あたしの質問にほとんど笑顔らしきものを浮かべた。
「聞いてたのね。いつから?あなたは2人で話し合えって言って荷車に乗り込んだと思ったけど」あたしは目を眇めて言った。
「殺し合いが始まったら止める奴が必要だからな」
「あら、そんなことしないわ」
「ハンサ鳥を説得するのはやめた方かいいぞ」レオが言った。「あいつらには言葉が通じないからな」
ぶふっ、とダギーの口からくぐもった音が漏れる。
男2人をじろりと睨みつける。「いいわ、そうやってバカにしたらいいのよ」
それきりあたしはむすっと黙り込むことに決めた。
「で、ダギー」ひとしきり笑った後、レオがダギーに向き直る。「どういうつもりだ?」
ダギーの顔が強張る。「何のことだ?」
「言う必要のない生い立ちから組織の中身までペラペラ話しただろう」
「別に俺は・・・」ダギーがモソモソと呟く。
「どういうこと?」あたしはレオに訊いた。
「こいつはあんたをこの件に引っ張りこむつもりなんだ」
ダギーを見た後レオに視線を移し、再びダギーの顔に目をすべらせる。「・・・言ってる意味が分からないわ」
「・・・例えば、この先、俺とダギーがほんの少し目を離したすきにシスターエドナを見かけたとしたら、あんたはどうする?」
「ぼっこを探して後ろからこっそり襲いかかるわ。グルグル巻きにして、あなたかダギーが来るのを座って待つと思う」
「それは何でだ?」
「昌石銃を撃ってくる相手に正面から攻撃なんて出来ないもの。それに、あたしより許せないと思ってる人間を知ってるからよ」
「じゃあ、もしダギーの話を聞いてなかったら?それでもあんたはシスターエドナに襲いかかるか?」
・・・もしダギーの妹の話を聞いてなかったら?想像しようとしたがそれは難しかった。自分で思ってた以上にダギーの妹の最期があたしの胸を占めていた。
「・・・分からない。今更『聞いてない』ことには出来そうにないわ」
「普通は隠れるんだ。命からがら逃げてきた人間は、敵を見つけた瞬間襲いかかるんじゃなくて、隠れてやり過ごす方を選ぶ。しかも、銃を持ってる人間に棒っきれで立ち向かおうなんて狂気の沙汰だ。つまり、そういうことだ。あんたはダギーと妹の人生を知り過ぎた。そして知らない振りをするにはちょっとばかり人が良すぎる。この男は、何でそんなことをしたか知らんがそこに付け込んだんだ」
信じられないとばかりにあたしは口をパクパクさせた。言いたいことが山ほどあるのに、何から言っていいのか分からない。いくつかの疑問ととんでもない数の悪態が頭の中を通り過ぎる間、あたしは目の前の男を複雑な思いで見つめていた。本当に、本当ーーーにおかしな話だが、なんだかんだ言ってあたしはこの罵詈を吐き散らす腹立たしい男がそれほど嫌いではなくなっていたのだ。
「まんまと策に嵌ったわけね」
「待て、誤解するな、一方通行じゃねぇ。これは提案だ」ダギーが慌てたように言い募った。「言わば助け合いとか協力ってやつだ。お前や子供が危ない目に合ったら、レオと同じく俺もあんたらを守るって約束する。それに、危険なことをさせるつもりも一切ねぇ。事情も分からねぇで巻き込むのに気が引けただけだ。嫌なら断ってくれていい」
あたしはレオを見た。「あなたはどう考えるの?」
レオは厳しい目でダギーを見ていた。「さて・・・どうするか」
先ほどダギーから聞いた通りなら、この2人の間の主導権はレオにある。依頼を引き受けるかどうかを決めるのもレオなら、それに伴う条件を出すのもレオ。依頼の内容が内容なだけに、プロに任せるほかないんだろうけど。
「レオ、あんたが立てた計画にケチを付けるつもりは全くねぇんだ」ダギーが慌てたように言い募る。「ただ、ドラドに会いに行くのが俺1人っていうのは、やっぱり荷が勝ち過ぎる。信用されるかどうかは賭けだ。怖気づいたわけじゃねぇんだ、ただ・・・俺は奴隷だ」ダギーが目を伏せる。
「それも込みで計画は立ててある」レオが言った。
「分かってる、だがあんたが一緒に来てくれればもっと話は簡単に済む」
しばしの沈黙の後、レオが口を開いた。「本来だったら、アンに計画の一部を話したことで契約違反による依頼の強制終了になるのは分かってるな?」
「ああ、分かってる」ダギーは顎にグッと力を入れて、不安な眼差しでレオを見る。
「だが、アンを連れてきたのは俺だ。関わらせるつもりはなかったが・・・」レオがチラリとあたしを見る。「見ての通りの性格だ。遅かれ早かれ首を突っ込んで来て、こうなるんじゃないかと考えていた。端っこで大人しくしてるような女じゃないからな。だから・・・アンの返答次第で計画は続行しようと考えている」
こっちの話はもう終わったとでも言うように、男2人はあたしに視線をヒタと据えていた。返答を求める無言の圧力をヒシヒシと感じる。手伝うのはいい。危険がないならジェマが一緒でも問題ないはずだ。
ドラド、というのが誰のことか分からないが、口ぶりから予想するにあたしやジェマが会うことはなさそうだし、しかも、レオだけじゃなくダギーもあたし達を守ってくれるなら、この先の危険度は更に低くなる。
ただ、あたしの中の天邪鬼なあたしが、すぐに答えを返すことを躊躇わせていた。あたしは、2人の男に手のひらで転がされてるように感じていた。だってこんなの・・・選べる答えが1つしかないじゃないのよ。
「ねぇ・・・あたしが断ったらあんたの依頼は終了しちゃうの?」
「・・・クソ、何が望みだ?俺に出来ることなら何でもやってやる」ダギーが呻くように言った。
「そう、じゃあ、まずは・・・」
「まずってぇ何だよ?!1つだ、1つにしろ」
あたしは、困ったわ、と言うように首を小さく傾げてダギーをじっと見た後、ふっと目線を逸らした。
「あー、分かった!いいだろう、いくつでも、好きなだけ言えばいいぜ、こんちくしょう!」
時に、女が男を操るには言葉はいらないのだ。女が男の考えが分からないように、男もまた女の考えていることが分からない。この方法はあたしのお母さんがお父さん相手によく使う手だ。
ただ、あたしがダギーにして欲しいと思いついたことは1個だけ。だから、これはただの嫌がらせ以外他ならない。そのくらいしたって許されるわよね?
「じゃあ・・・時間稼ぎのおとりにしようとしたこと、謝ってちょうだい」あたしはツンと顔を上げダギ―に言った。
「おいおい、それはもう謝ったじゃねぇか」ダギーは面倒臭いと言うように苛立たしげに足を踏み変えた。
「いいえ、謝ってもらってないわよ」
チッ、とダギーが舌打ちする。「何だよ細けぇ女だな。いいじゃねぇか、ちょっとばかり囮にはしたが、天下の軍人様が傍についてたんだ。逃げだせただろうさ」
「ダメよ、あんたは、どんな目に遭うか知っていて、故意にあの場に置いて行こうとしたのよ。自分の目的の為のおまけ程度の保険として、自分に関係ない人間だからって、生贄にすることを良しとした。それって逃げられればいいって問題じゃないわ」
「それは事情が・・・。話しただろ」
「どんな事情があろうと、それはそれ、これはこれよ」
『終わりよければすべて良し』大抵に置いて、この言葉に文句は無い。でも、便利だからって誰かの都合で小突きまわされるのは気に入らないし、そうされるのが当たり前の人間かのように扱われるのには我慢ならない。
「大体な、最初の段階で、最終的にお前を『連れて行こう』って言ったのはレオじゃねぇか」
「レオ?何のこと?」あたしは目を眇めた。
「お前も聞いてただろうが。草原でお前が俺に飛びかかってきた後だよ。置いて行こうとした俺を止めたのはレオだぜ」
「レオはあたしを囮になんてしなかった。大事なのはそこよ」
「そりゃ結果論でしかねぇ」ダギーが小馬鹿にするように言った。
「ダギー、それは違う」レオが小さく首を振った。「元々俺はアンをこの国以外の場所に逃がれられるようにしてやろうと考えて連れて行ったんだ」
ダギーが目を見開く。「おい元々って・・・そんなのこれっぽっちも聞いてねぇぞ」
「言ってないからな」
「待って、それじゃあ、初めから一緒に連れ出してくれるつもりだったってこと?え、でも、依頼って言って・・・」
レオが肩をすくめる。「あの軍人と行くならそれはそれでいいと考えていた。そうじゃないならって話だ。それに、連れて行くのはアザルを出て最初の国までのつもりだった。それには金はかからない。だが、あんたが望んだことには多少経費が掛る。だから依頼という形にしたんだ」
「経費・・・」
「偽物の書類ならそんなにかからん」レオがニヤリと笑う。
「それはダメ!」あたしは慌てて首を振った。
「どいつもこいつも・・・計画が上手く行けば、組織が潰れるまでせいぜい1ヶ月かそこらじゃねぇか。ちっとばかり変態野郎を我慢すりゃあ―――」
「ちょっと、今の聞いた?!こんなのヒドいわ!」あたしはレオに向かって目を見開いた。
「別に減るもんじゃねぇだろうが」ダギーが言う。
「減るわよ!」
「あぁー・・・何だそうか、お前処女だな?」
あたしはあんぐりと口を開けてダギーを見た。・・・何てことを言うのだ、この男は。・・・少ないけれどもあたしだって経験ぐらいある。でも、それを声高に叫ぶような愚を犯すつもりはない。あたしは無言で辺りをキョロキョロと見まわした。
「何してんだよ」ダギーが言った。
「あんたのデリカシーを探してるのよ。たぶんどこかに落っことして来たに違いないわ」
「ふざけんじゃねぇ、お前こそ性根をどっかにぶん投げてきたんじゃねぇのか!」
「そっくり返すわよ、薄らハゲ!」
「なっ・・・お前はバカか?ハゲてねぇよ!」ダギーが頭を突き出す。
あたしは、つま先立ちで伸びあがると、ダギーの頭を念入りに調べるフリをした。「あらホント、ごめんなさい。あんたに足りないものは髪の毛じゃなかったみたい。脳みそね!」
「上等だ、コラァ!」
あたしとダギーがギャーギャーと言い合いをしていると、レオがこめかみを押さえて間に入ってきた。
「お前たち、実は仲がいいんじゃないのか?」
「良くないわよ!」「良くねぇよ!」
「息ぴったりだな」
「ダギー、アンに謝れ」レオが言った。
「そうよ、謝ってよ」
「・・・アン、少し黙ってろ」レオはあたしに向かってため息を吐き、ダギーに視線を向ける。
少しの沈黙の後、ダギーは何かを考えるかのように空を見つめ、長く静かな息を吐き出した。そして、利用して悪かった、とモゴモゴと口の中で呟くのが聞こえた。
「んー・・・まぁ良く聞こえなかったけど、そうね、謝罪を受け入れるわ」あたしは言った。
「・・・で、あとは?」ダギーが疲れた声を出す。
「あと?・・・あぁ、えっとそうね、あとは―――」もういいわ、と続けようとしたところでダギーの声に遮られ、言葉を飲み込む。
「なぁ、俺の人生をどう思う?」
「そうね」あたしは少し考えて言った。「悲惨だわ」
「そうだ、悲惨だ。そして、お前は子供の心配をする心の優しい女だ。見ず知らずの女のためにも泣ける。動物だって叩けねぇ」
「・・・急に何?気持ち悪いわよ」あたしは訝しげに目を細めた。
「俺は奴隷で家族を殺された可哀想な男だ。手助けしないではいられないはずだ」
「・・・・・・」
「分かった。じゃあ、こういうのはどうだ?お前は、法に合致しようがしまいが善悪の基準にブレがねぇ。勇敢でもある」
「・・・だから?」
「だから・・・手助けしたいはずだ」
「・・・・・・」
「クソ、こういうのは得意じゃねぇんだ」ダギーが縋るようにレオを見る。
レオは静かに首を振った。
「ああもう!」ダギーは詰めていた息を一気に吐き出し、あたしに向かって言った。「頼む!手伝ってくれ。そうだ、何ならお前の依頼料の半額持ってもいい。いや、どうせ経費分だろ?全部持ってやる!」
時折、人生には思いもしなかったプレセントが舞いこむこともある。
あたしはにっこり笑って言った。「のったわ」