33.ダギーの過去
ミスで書いてたのが消えて、この次の話がそっくり2つ現れた時、泣いちゃうかと思いました。
「これ、何だか分かるか?」そう言ってダギーが自分の耳の裏を見せた。
そこには緑色の染料でびっしりと模様が描かれていた。
「・・・刺青?」
ダギーはポケットからクシャクシャの煙草を取り出して咥え、火を付けた。「奴隷印だ」
「・・・奴隷・・・印?」
「俺と妹は奴隷だ。といっても元々奴隷だったわけじゃねぇ。売られたんだ」
「売られたって・・・誰がそんなこと・・・」
「さぁな、知らねぇ男だった。・・・俺たちの母親はウルドの砂漠で娼婦をやってた。俺の父親も妹の父親も誰かは分からねぇ。たぶん客の誰かだろうな。すげぇ貧乏でよ、家は隙間だらけの掘立小屋、食うものは残飯、本当にクソッタレた生活だったぜ。それでもそん時はまだましだったんだ。母親が死んでからが本物の地獄だった」
煙草から立ち上る紫煙の筋が、ゆらゆらと天井に向かって消えていく。あたしは、奴隷なんて制度がこの世界にあることに衝撃を受けていた。元の世界にも、紛争地帯だったり差別の酷い地域だったり、『奴隷』という言葉が菌のようにはびこってもおかしくない場所は確かにあった。でもそれは世界の暗黒な部分で、普段耳にすることなどない。
「10歳の時だ。妹と残飯を漁ろうとうろついてたら、無理矢理荷車に乗せられ、気が付いた時にゃウルド西部のガザリナって地方都市の奴隷商に引き渡されてた」灰を落とした煙草の先を見つめてダギーが言った。「小せぇ時に『乱』に巻き込まれたお前は知らねぇだろうが、ウルドとアザルで未だに残ってる悪習みてぇなもんだな」
軽い口調とは裏腹に、ダギーの顔からは全ての表情が抜け落ちていた。
「その後すぐ、俺はシスターエドナに買われてマダンに連れてこられた。妹とはそれきりだ。シスターエドナに訊いたって、知るわけないだろって言われてお終いさ。どこで何してるんだか、生きてんのか死んでんのかも分からなかった。だが―――」ダギーが煙を吐き出す。「4か月前、妹の行方が分かった。・・・どこにいたと思う?」
「どこ?・・・え・・・ウソでしょ、まさか―――」
「そのまさかだ。妹はマダンに居やがった」
「そんな、ずっと同じ街にいて気付かなかったって言うの・・・?」
「・・・妹は金持ち相手の娼婦になってやがった。って言っても分かるわけねぇよな」ダギーの口元に皮肉めいた笑みが浮かぶ。「子供の頃から仕込まれたそういう女ってぇのは、外出禁止はもちろん、客の素性がばれねぇように窓すらない部屋で死ぬまで監禁される。その店に関わってる人間か客でもなけりゃ、そこにどんな女がいるか分からねぇ仕組みになってる」
「ひどい・・・悪趣味だわ」意図せず洩れた声が細く震える。
「俺はやってた密輸の仕事が一段落して、礼拝堂の椅子に寝転がってだらだら暇をつぶしてた。そしたら、シスターエドナとジルが入って来て、俺がいるのに気付かず話し始めた。『『ダ―リエ』のローザはガイザ―の件で使いもんにならなくなった。処分しときな』ってな」
「『ダ―リエ』?ガイザ―の件って何なの?」
「『ダ―リエ』ってのは娼館の名前だ。組織には3つの柱になる部門がある。俺がやってた昌石の密輸、ジルがやってた人身売買、そして最後の1つが金持ち相手の娼館の運営だ。娼館の管理はガイザ―の担当だった。ガイザ―ってのは・・・中の女と逃げようとして半年前に消された奴だ」
ダギーは短くなった煙草を床に落として靴底で消し潰し、新しい煙草に火を付けた。ダギーの言葉が続くのをじっと待つ。嫌な予感がヒシヒシと迫り、頭の中がざわめいて気持ち悪い。
「もう察しがついただろ。『ダ―リエ』にいたローザが俺の妹だ。妹を買ってそこに押し込めやがったのは―――」
「シスターエドナね」
「―――そうだ」低く絞り出すような声でダギーが言った。
「そん時は、ローザって名前に引っかかりはあったが、よくある名前だ。まさか妹だなんて思いもしなかった。次の日の朝方、スラムの中の飲み屋で飲んだ帰り、ジルが路地から出てくるのを見かけた。奴は何度も後ろを振り返って、人目を避けるように足早に立ち去ってった。普段なら放っておくんだが、その日は変に気になってジルが出てきた路地に入ってみたんだ」
淡々と話す顔の中で瞳だけがゆらゆらと揺らめき、やり場のない感情がダギーを支配しているか見えた。
「そこは行き止まりだった。壁際に大量のゴミがうず高く積まれてて、すげぇ臭いがした。何もねぇじゃねぇか、って思って足元のゴミを蹴飛ばして・・・そしたら、崩れたゴミの中からなんと手が出てきやがった」
ゾクリ、と肌が粟立ち、髪の毛から産毛まで体中の全ての毛が逆立つのを感じた。
「妹の手の甲には3つ並んだ黒子があった。ゴミの中から突き出してる手にも同じ黒子が並んでるのを見た瞬間、一気に酔いがさめた。前の日の2人の会話が頭をよぎった。ゴミをかき分けながら考えてたんだ。違うってな。こんな所にいるわけねぇ、何かの間違いだ、これは妹なんかじゃねぇ。でも出てきた顔は、小さい頃とほとんど変わらねぇ妹のもんだった」
ダギーは2本目の煙草を床に落とした後、火の付いてない煙草をじっと見つめた。
「おかしな話だぜ」ダギーが酷く薄い、狂気を感じさせる笑みを浮かべる。「ジルは俺か買われてきた半年後に同じようにどっかから買われてきて、拷問まがいの『躾け』を一緒に耐えた『仲間』だった。でもそんなのは全部、跡形もなく吹っ飛んだ。・・・妹は裸だったんだ。7歳からの21年間、外の景色も知らずに生きて、最後は裸でゴミ溜めに捨てられたんだ」
掛ける言葉が何1つ見つからなかった。凍りついたようにあたしは自分の靴の先を見つめていた。
ダギーの妹の人生は何だったんだろう。短い人生の4分の1を搾取され続けた女性が何を思って日々過ごしていたのか、あたしに知るすべはない。
悲しみとかやるせなさとか、そう言う色々な感情が押し寄せてきて息が詰まりそうだった。・・・何も知らないあたしが勝手に悲しむなんて間違ってる。あたしは唇を噛んだ。こんなのは傲慢で、無礼で不躾で・・・。
「おい、やめろ、待て、泣くんじゃねぇ」ダギーがギョッとした顔をする。
「泣いてないわ」あたしの左目から涙が1粒零れ落ちる。
「勘弁してくれよ、意味分かんねぇぜ」ダギーは呆れたように溜息を吐いた。
「違うわ、これは・・・煙が目に染みたのよ。あんたがひっきりなしに煙草を吸うせいだわ」あたしは握った手で両目をグリグリと揉んだ。
ダギーは火の付いてない煙草をチラリと見る。「知らない女のために泣くなんて、大概だな」
「殴ってやればよかった」あたしは、数回目をパチパチさせて涙を払った。
「ジルをか?」
「他に誰がいるっていうのよ」
「おいおいお前、何言ってんだよ。強烈なの喰らわせてたじゃねぇか」
強烈なのを?あたしが?記憶の海をほじくり返す。・・・・・・荷車に乗る時!
あれは中々スッとしたぜ、そう言ってダギーはニンマリ笑った。
「これで俺がお前や子供の死に興味がないのが分かっただろ」
「ええ」充分過ぎるほどに。あたしは大きく息を吐き出し、右手でおでこを擦った。「・・・あんたとは休戦する」
「それは俺の話を信じるってことでいいな?」ダギーがニヤリと笑った。
「どういうこと?今の話がウソだって言いたいの?」あたしは剣呑に目を細めた。「・・・もしそうなら、あんたの目玉をえぐり出してやるわ」
「物騒な女だな」
「出来ないと思う?」これについては確実に言える。絶対出来ない。
「目玉をえぐり出せる女が、ハンサ鳥を説得してどうにかしようなんざ考えねぇだろうよ」ダギーがニヤニヤ笑う。
目の下がカッと熱くなるのを感じた。「それについては、本当に本気で忘れて欲しいわ」
「忘れようったって忘れられねぇよ」
あれは傑作だった、とダギーの顔に満面の笑みが浮かんだ。
「他の人に言ったら承知しないわよ」
「さぁてどうすっかな・・・っと、そんなに睨むなよ。冗談はここまでだ。・・・で、俺は奴隷で犯罪者だ。本当にお前は俺の話を信じられるか?」
ダギーは胸の前で腕を組み、じっとあたしを見た。口元には皮肉めいた笑みを浮かべていたが、目は全くと言っていいほど笑っていない。
「信じるわ。けど、正直に言うと、あんたとは色々あったから、自分でも何をどう考えていいのかよく分からないのよ。頭の半分では、あんたと荷車に乗るなんて頭がおかしいんじゃないかって考えてる。もう半分は、鈍器で殴られたみたいに麻痺してるわ」
「麻痺?」
「そうよ、あたしは家族の話をされると心が勝手にグラグラし始めるのよ」
これは、今のところあたしの最大の弱点と言える。
「話もまとまったところで、すり合わせと行こうか」
「すり合わせ?」
「レオから出された条件があるだろ、それだ。この先問題が起きねぇように、お互い知っといた方がいい」
「条件?・・・そんなこと何も言われてないわよ」
「どういうことだ?」
「あたしはただ・・・レオが連れてってくれるって言うからお願いしただけよ。金額の話はしたけど条件なんて聞いてないわ」
「ちょっと待て、レオから話を持ちかけられたのか?」
「そう、だったと思うわ」
ダギーは天を仰いだ後、あたしの頭のてっぺんからつま先まで探るようにじろじろと見た。
「何よ」
「奴は便利屋の中でも一級中の一級だ。持ち込まれる依頼を好きに選ぶ側なんだよ。レオが自分から持ちかけるなんてありえねぇ」ダギーの目が細められる。「・・・お前何か隠してるだろ?」
心臓が飛び上がった。「何も隠してなんかないわ」
あたしには、知られたくない大きな秘密がある。知ってるのは、レオとハリス・・・ジェマと・・・アイギル。・・・おかしい、大きな秘密にしては、知ってる人数が多すぎる気がする。恐ろしいことに、ハリスと会ってまだ1日しか経っていないのよ。このペースでいけば、全人類が知る日もそう遠くないかもしれない。
それでも、この男には知られたくない。
「そうね、あれよ、何て言うのかしら、たぶん可哀想に思ったのよ。それに、もしかしたらあたしのことを気にいったっていう可能―――」
「それはねぇよ」
「真顔で言われるとムカつくわ」
「まぁ何にしろ、お前にとってラッキーだったことは確かだ。レオは1度受けた依頼は必ずやり遂げる。だが、あんまり世間には知られてねぇ」
「すご腕なのに知られてないって、それって矛盾してない?」
眉を寄せて首を傾げたあたしを見て、ダギーがため息を吐いた。
「便利屋ってぇのはピンキリだ。掃除や害虫駆除なんかの自分でやるには面倒くせぇ雑用を専門にやる奴らから、レオみてぇに裏の世界に踏み込む仕事を請け負う奴まで様々だ。普通に暮らしてりゃ、そうそう裏の世界の厄介事に巻き込まれることはねぇし、便利屋の方でも大々的に広告を打つことはしねぇ。敵が多すぎるからな。だから、世間一般にはレオのような便利屋は認知度が低い」
「それって・・・腕が良くて危険な依頼ばかり受ける便利屋ほど知られてないってこと?」
「飲み込みが早ぇじゃねぇか。で、その中でも腕がいいレオに依頼を受けてもらおうってんなら、こっちが飲まされる条件も多くなるってことだ」
あたしの予想では、レオがあたしに何の条件も出さなかったのはあたしの『珠』が青いからだろう。物珍しさがレオの気を引いたのだ。・・・希少な虫を見る目で見てたものね。
「とにかく、あたしに出されてる条件はないわ。あんたのを聞いてもいい?」
「途中での依頼の破棄禁止、秘密・時間の厳守なんて基本的なもんもあるが、後はそうだな、酒も禁止、食い物の調達も禁止、ああそうだ、安心しろ、殺しも禁止―――」
「やだ、あんたもう殺しちゃってるじゃない」
指折り数えていたダギーの手がピタリと止まり、片方の眉が上がる。「ああ、殺しちゃってるな」
またもや考えなしのストレートボールがあたしの口から飛び出した。そのボールはダギーに当たったあと跳ね返ってあたしに直撃した。あたしは口を縫いつけることを本気で考えた方かいいのかもしれない。
「お前は肝が据わってるのかバカなのかどっちかだな。俺がお前だったら、人を殺した人間を前にしてそんなセリフ絶対言わねぇよ。言っとくがな、ジルは例外だ。あれは俺の手で片を付ける話になってたんだ」
「何か裏の意味があるってことじゃないのよ、これはほら、臭いと分かってるのに嗅いじゃう心理に似た何かよ」
「バカの方だな」
否定はしなわ。自分でも何を言ってるのか分からないもの。