3.草原2
「・・・あっづぅい!!!」
あたしはごろんと転がりうつ伏せになった。
なんだろう・・・デジャブだわ。
後頭部がズキズキ痛む。倒れた拍子に打ちつけたのかもしれない。そっと手をやると、大きなたんこぶが出来ていた。
肘をついてゆっくりと体を起こすと、突き抜けるような青い空には、太陽が1つ。
「1個になった・・・」
目を細めてみても、2つになる様子はない。
「うぅ・・・」
目がチカチカする。直で太陽見ちゃったじゃない・・・。
元々1つだった・・・かしら?気のせい?いや、1つで正しいんだけど・・・。
それにしても、何が起きたのだろう?あたしは深く息を吐いた。青い飴を食べたら急に胸が苦しくなって・・・。なって?
その時、背後から甲高い声が聞こえてきた。
「おい」
「ひっ?!」
振り返ると、6歳くらいの男の子があたしの後ろでしゃがんでいた。頭にグルグルと巻き付けた白い布がそのまま体も覆っている。ずいぶん大きな布のようで、外に出てるのは顔だけだ。
いつからいたのよ?!あたしの心臓はバクバクと煩く飛び跳ねていた。
男の子は、どこか中性的で、白く透明感のある肌と琥珀色の目をしたイケメンキッズだ。これがあれだろうか。いわゆる天使的な。
「えっと・・・」
『お迎えですか?』
その言葉を口にすることが出来なかった。あたしって結構未練たらしい。答えを先延ばしにしたって変らないのに。
白い布の端っこが風に揺れてふわりと舞った。草原の真ん中にいて、草のシミ1つ付いていない。汚れが目立つ色だと言うのに、洗濯洗剤もびっくりな白さだ。あたしは何となく手を伸ばした。男の子は、眉間にしわを寄せて嫌な顔を隠そうともせずに、体を後ろに引いた。
「触るな」
行きどころをなくした手がぴたりと止まる。・・・天使様は口が悪いらしい。
一応言っておくけど、 あたしが触ろうとしたのは布であって、目の前にいるキレイな顔の男の子本体じゃない。それに、なんとなく手が伸びてしまっただけで、決しておかしな趣味を持ち合わせてるわけじゃない。
男の子は、不機嫌そうにじろじろとあたしを眺めまわした。
・・・痴女と勘違いされてないわよね?
「えっと・・・」
あたしは何か言おうと口を開いた。
まずは相手の不信感をどうにかした方がいいかもしれない。怪しい人間じゃないとわかってもらわなきゃいけないんじゃない?
・・・けど、なんて言えばいいの?『怪しいものじゃありません』とでも?そんなの余計怪しすぎるわよね。
あたしが逡巡していると、男の子が突然立ち上がった。
「あ、ちょ、ちょっと・・・!」
やっと会った自分以外の人間・・・の形をした何かだ(可能性としては天使)。この子が知っているかは分からないけど、聞きたいことは山ほどあるのに、あたしはまだ何1つとして聞けていない。怪しげに手を伸ばしただけだ。
あたしは、慌てて追うように立ち上った。
とーーーあたしは男の子を見下ろしていた。
「体が元に戻ってる?!」
さっきまでは確かに子供だった。なのに今、あたしの体は元の23歳の大きさに戻っていた。手を顔の前でヒラヒラ振ってみる。大人の手だわ。
「夢だったの?いや、でも・・・」
目が覚めたら縮んでて、次起きたら元に戻った。・・・そうするともしや、もう1回寝て起きたらまた縮むんじゃないでしょうね。困るわ。そんな簡単に伸びたり縮んだりしたらどうしたらいいの?
先ほど胸に走った衝撃は・・・もう無かった。痛さも苦しさもきれいさっぱり消えている。
やっぱり夢だったのかしら?混乱してよく分からなくなってきた。
答えを求めるように目の前の男の子を見る。男の子はあたしから目を逸らし、呆れたように短く息を吐いた。
「・・・珠はどうした」
「たま?」
こくりと男の子が頷く。
・・・たまって・・・何?
たま・・・たま・・・・タマ?
・・・・・・。
あたしは自分の顔がみるみる赤くなるのを感じた。
「あのね、その・・・お姉さんは女なのよ。だから、えっと・・・元々、タ・・・タ・・タマ、は持ってないわ。というよりも、ついてないって方が正しい言い方かしら?」
男の子の目が丸くなり、あたしの顔を凝視する。
あたしは顔が更に赤くなるのを感じた。
「・・・それじゃない」
「え?」
あたしは自分の股間を見下ろした。
「だからそれじゃない!」
何か間違ったらしい。耳が燃えるように熱い。
「・・・『渡り人』だろ?」
「わたりびと?」
「渡ってきたんだよな?」
「渡ってきた?」
「クソッ俺が聞いてるんだ!」
疑問文で繰り返すばかりのあたしの返答に、男の子は、イライラした様子で布に包まれた頭をガシガシとかきだした。
「一体何の話をしてるの?」
あたしは目を細く眇めた。
男の子は空を見上げ、ため息を吐いた。
「こっちからあっちに渡って、また戻ってきたんだろ?」
「コッチから・・・アッチ・・・生まれて死んで、ってこと?」
「・・・・・・」
残念な子を見るような視線が痛い。
・・・あれ?なんだろう、この反応。あたし、死んでないの、かな?
「もしかして、覚えていないのか?」
男の子が説明してくれたことによると、ここは、『あたしがいた世界』とは『違う世界』なのだという。
「意味分かんないわ」ついポロっと言葉が漏れる。
「何年かに1度、2つの世界が近づいて、もう一方の世界に引っ張られる奴がいる。それが渡り人だ」男の子が言った。
「引っ張られる・・・」
「そうだ」
話を聞くにつれて、徐々に顔が強張るのを感じる。信じたくないけれど、もしかしたら、本当にここは違う世界なのかもしれない。まるで夢みたいなことだらけだ。説明できないことが多すぎる。なのに、痛かったりお腹がすいたりするのだ。お腹・・・は今はすいてない。人間は、お腹がすき過ぎるとブドウ糖が分泌される。うん、生きてるわ、あたし。死んでない、うん。死んで、ない。
「じゃあ・・・!あたし元の世界に戻れるってこと?!」
勢い込んで男の子のかぶっている布に掴みかかった。ばしっと振り払われた。痛いし酷いわ。
「――可能性はある。だが、2つの世界が重なるのは一瞬だ。しかもどこが重なるかは分からん。その時その時で場所が違う。それと、条件がある。死にかけていないと渡れん」
死にかけ?!一瞬しか重ならないのに?!
「そんな、じゃあ・・・それってほとんど・・・」
―――帰れない。
一瞬でヒュンっと上がった心が地面に叩きつけられた。
「そお、なんだ・・・」
目がチクチク痛い。
「こっちにいる家族を探してみたらどうだ?」
「あたしの家族はここにはいないわ」
「育ての親の方じゃなくて、産みの親の方だ」
「産みの親も育ての親も・・・同じだけど?」
あたしの親は、生物学的も実質的にもお父さんとお母さんしかいない。
この子何言ってるの?落ち込んでる時に・・・。
「『渡り人』っていうのはこっちでしか産まれん。流された先の世界の人間には渡れないんだ」
「それは・・・どういうこと?じゃあ、何?え?それって・・・」
突飛な話の連続に頭が追いつかない。でも、なんか今重要なことを言われた気がしないでもない。
「元々お前はこっちの世界の人間ってことだ」
・・・え?この子本当に何言ってるの?