21.救出作戦3
あたしたちは、祭壇裏の隠し扉を通り過ぎて、キツネ男とレオが消えたドアの前まで来ていた。
「このドアの先に子供たちがいるのね」あたしの喉がゴクリと鳴った。
「ああ、そうだ」
「あの男たちもいるのよね?」
「風呂に入る前見た限りでは、リーダー格の男と新入りだというもう1人は、監禁部屋の前で何か話していた。まず、あの2人を無力化する必要があるな」
チラリと見上げると、ハリスの口元がわずかに緩んでいる。頭の中に、目と鼻から水分をダラダラと垂れ流すあたしが浮かんでいるに違いない。そのせいでかなり時間をロスしてしまっていた。いくつかの謝罪の言葉が胸の中をビュンビュンと飛び交っていたが、結局、ぴったりの言葉は見つけられなかった。
あたしは、視線をドアに戻して1つ大きく頷いた。「無力化はお願いね。あたしは邪魔にならないところで応援してるわ」
「ああ、まかせておけ」そう言ったハリスの声には、面白がっている響きが感じられた。
「行くぞ」ハリスはそう言って静かにノブに手を掛けた。
あたしは大きく息を吸った。ひどく緊張する。心はフワフワと落ち着かないのに、神経はピリピリと張り詰めている。口はカラカラに乾いているし、胃はキリキリと悲鳴を上げている。あたしは汗ばむ手を擦り合わせた。
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・・・・・・
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何だか痛いと思ったら、左手の中指にささくれが出来ている。
・・・・・・
なんてこと、右手の小指の爪が欠けてるじゃない!・・・草原でキツネ男を引っ掻いた時に欠けちゃったのかしら?
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
あたしはしびれを切らした。
「ねぇ、どうしたの?」
「カギがかかってる」
「カギは?」
ハリスは口元を擦り苦い顔で言った。「・・・たぶん廊下で転がってる奴が持ってるはずだ」
あたしとハリスは渋々来た道を引き返した。
また『アレ』のところまで戻らなきゃいけない。あたしは、またしてもガクガクと打ち震えていた。
「なんで?どうしてカギがかかってるのよ?」
誰にともなく少し棘のある問いかけにハリスは肩をすくめ、のろのろと足の進まないあたしの手を引く。
祭壇からの隠し扉に鍵がかかっていたのは見た。それはキツネ男が持っている。でも、お風呂に向かった時、カエル男は一度もカギを使ってドアを開けていなかったのだ。子供を監禁する部屋にはカギが掛っているだろうとは予測していたけど、隠し扉からすぐのドアにもカギが掛っているなんて考えもしなかった。
ハリスが足を速めた。
「もう少しペースを上げてくれ」
あたしは、もつれそうになる足を何とかせっせと動かした。
「戻らせるのは悪いと思うが、バラバラになる方が危険なんだ」
「大丈夫、気にしないで、全然平気よ」 絞り出したあたしの声は、キーキーと上ずっていた。
「泣いてもいいぞ」ハリスの声はまたもや笑いを含んでいた。
あたしは、唇を噛み締めた。「そういうのってむかつくわ。これって笑ったりすることじゃないし、それにもう泣いたりなんかしないもの」
今あたしは確かに少し涙ぐんでいるかもしれない。でも、涙はまだ目のふちに留まっている。これは泣いてるとは言わない、そうよね?
こういうのは、気の持ちようでなんとかなるはずだ。
全然大丈夫、全然平気。人はみんないつかは死ぬのよ。全然珍しいことじゃないのよ。ただちょっとそこの廊下で人が死んでるだけ。
あたしの喉から嗚咽のような呻き声が漏れた。
「アン、お前はこの角にいろ。死体を見てまたパニックになられても困る」
ハリスはそう言ってさっと角を曲がっていった。全く持って否はない。
あたしは、鼓動を鎮めようと大きく息を吐いて壁に寄り掛かった。そして、『影』の能力について考えた。元々ある影をつたって移動していくのかしら?そうすると、行動範囲が狭くなってしまうんじゃない?すごい能力なのに、使い勝手が悪そうだ。
例えば、明るいところで目立つから使えないというのなら、天井を這うとかはどうだろう?あとでハリスに提案してみてもいいかもしれない。天井なら比較的目に付きにくいし、もしかしたら、シミみたいに見えるかもしれない。『だるまさんが転んだ』みたいにすれば、きっと動いてるのもバレにくい。ただ、気づいた人には、怪奇現象に見えるかもしれない。
つらつらとそんなことを考えていると、どこか戸惑った様子でハリスが戻ってきた。
「あった?」
「ない」
「そう、残念―――」
「死体がない」
「した・・・え?カギじゃなくて?」
「ああ」
あたしは角から恐る恐る顔を出し、あんぐりと口を開けた。
廊下には何もなかった。先ほどの小山のような死体はおろか、かたっぽだけの靴や謎めいたメッセージの類も無し。まるで初めから何もなかったかのように、廊下は静まり返っていた。
「・・・死んでたのよね?」
「これ以上なく」
死体は歩かない。いえ、ちょっと待って、この世界においては、あたしの常識のすべてを疑ってかかるべきなのかもしれない。実体のない影が動くのだ。死体も歩くのかもしれない。
「歩いてどこかに言ったんだと思う?」
ハリスが目を剥いた。「・・・どういう意味で言っているのか知らんが、アン、死んでる奴は絶対に歩いたりしないんだ。絶対だ」
では、誰かが持ち去ったのだ。
・・・持ち去る?あんな巨体を?何のために?
一つ言えるのは、あたしとハリスが知らない誰かがいて、その誰かがカギごとカエル男をどこかへやってしまったってことだ。そしてそれは、カエル男を殺した人間と同一人物の可能性が高い。
「それで・・・どうしたらいいの?」
ぽそりと呟いたあたしの後ろで、ハリスが静かに言った。「ここにいても出来ることはない。戻るぞ」
5分後、あたしたちは再びカギのかかったドアの前にいた。
チラリとハリスの顔を窺う。眉間のシワが今まで見た中で一番険しい。谷のようになっている。そのうち川でも流れそうな勢いだ。
「少し離れていろ」
ハリスは脚を振り上げ、ドアノブを思い切り蹴りつけた。ガン!ゴトン!という派手な音とともにドアノブが床に落ちて、ハリスが盛大な罵詈をついた。
ドアノブはそのままコロコロと転がり、あたしの足先に当たって止まった。
「取れちゃったわ」
「わかってる」
ドアノブが付いていた部分は、スッパリとキレイに金具が折れている。
「蝶番を壊すしかないな」
「・・・蹴って?」
「それしかないだろう」
あたしは足元に転がるドアノブに視線を移した。
「七つ道具みたいなのは持ってないの?」
「七つ道具?」
「工具とか針金みたいな・・・」
「『影』にそんなものは必要ない」
今必要だということは黙っておいた。
あたしの困惑顔を無視して、ハリスは、下の蝶番から壊すか、などと呟いている。
ドア本体を見る。木製だ。まぁまぁ頑丈そうに見える。蝶番は3か所。鉄か何かは分からないけど金属製だ。・・・本当に壊せるの、これ?
ハリスが蝶番を蹴った。ダン!という音が響くもドアに変化はない。全然壊れる気がしない。
「あたしもやるわ」
あたしはハリスの隣に並んでドアを蹴り始めた。
ダン!トスッ。ダン!トスッ。ダン!
ドアを蹴るというのは、思ったより難しかった。思い出してほしい。あたしはノーパンなのだ。高く足を振り上げれば、中身が見えてしまう。
「蹴るのって結構難しいのね」ポソリと呟くと、ハリスから邪魔だという目線で見られた。
しばらく蹴り続けると、カチャリと音がして1センチくらいドアが開いた。
トスッ。バタン。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
世の中には、不可抗力というものがある。脚が滑ったのだ。
「急に蹴るのを止めるのはもっと難しいわ」
ハリスの目が凍えるように冷たい。
気を取り直して、再び蹴ろうと足を振り上げた時、カチャリ、とドアが開いた。ハリスが素早く隙間に手を差し入れ大きく開けた。
そこには、2人の子供を連れたレオが立っていた。