18.珠2
「とりあえず『珠』と『昌石』については理解出来たと思うんだけど・・・それで、その『珠』のエネルギーを昌石に通すのってすぐ出来るようになる?」
この世界で生きていくには、それが出来なければお話にならない。蛇口から水すら出てこないのだ。
「コツさえ掴めばすぐにでも出来るが、それは子供を救出して、ここから抜け出した後にしてくれ。エスタニアに着くまで俺が離れることはないから、今お前が覚える必要はない」
確かに、とあたしは頷いた。お風呂も無事・・・ではないけど一応入れたし、ハリスにお願いすれば水も―――
あたしは何の気なしにふと視線をそらした。そして、ピキリ、と固まった。頭の中では、先ほどのカエル男の言葉が響いていた。
『トイレはそこだ』
そう言って指差した扉。
「必要、なんじゃないかしら?」
ハリスが訝しげに首をかしげた。本当に思い当っていないようだ。
幸いにも口にしたものの量が少なかったせいか、今のところそういう欲求を感じていない。こっちに来て3日。
・・・・・・。
ほんのちょっと不安を感じる。
・・・・・・。
でも、些細なことだわ。
・・・・・・。
別に大したことは・・・
・・・・・・。
・・・・・・。
あるわよ!!!
あたしは、今更ながら思い至った事実に気が動転していた。自分の体は一体どうなってしまったのか。だって3日よ、3日!!!壁にかかった鏡で見ても、見た目は何も変わっていないように思える。
そんなことはないと思うけど、まさか体内をグルグル循環してたりしてないわよね?もちろん当たり前だけど、人間の体はそんな風に出来ていない。『珠』という謎の器官(器官なの?)が新たに(前からあったのかしら?)組み込まれても、そうそう変わりはないはずだ。大丈夫、突然、耳から噴水ショーのように噴き出したりはしない。・・・しないわよね?
「なんで今必要なんだ?そろそろ扉の外にいる見張り役が不審に思い始めるころだ。あまり時間を取りたくない。それに『珠』のことでお前が訊きたいのは、俺の見た目の変化についてだろう?ざっと大まかに説明して救出に向かいたいんだが」
「そうよ、ね・・・」
成人女性が、使用したトイレの水を知り合ったばかりの男に流してもらうなど断じてあってはならない。それはもはや変態プレイに他ならない。もちろん耳から噴き出すのもダメだ。それはもはやびっくり仰天プレイだ。
これ以上の痴態を晒すわけにはいかないけど、子供たちのことを考えると時間がないのも分かっている。
ハリスに話の続きを促しながらも、あたしの目はトイレのドアとハリスとを行ったり来たり彷徨い始めた。
「乳白色と黒の『珠』には特別な能力はほぼないと言っていい。持って生まれた生物エネルギーの強さで多少身体能力が高い奴もいるが、それもエスタニアの人口でみれば5%程度だ。そして―――」
トイレットペーパーはあるのだろうか。もしも、洗浄・乾燥なんて仕組みになっていたとしたら。
・・・目眩がする。急に床が豆腐になったみたいだ。
「―――アン、お前の青い『珠』もそうだが、色付きの『珠』には他にちょっと変わった能力がある。糸昌石と言って、石の中に細い銀糸が入っている昌石にエネルギーを通すことで顕れる能力だ。乳白色と黒のエネルギーをこの石に通しても何も変化はないが・・・どうした、ちゃんと聞いてるのか?」
「ええ、もちろんよ」
あたしは数度首を縦に振った。それはフニャフニャとした動作になった。血が全部足元に下がっているように感じる。
「・・・大丈夫か?」
「何が?」
ハリスの目がすっと細くなった。ダメよ!ちゃんと聞きなさい!自分のことなのよ!あたしは手をギュッと握りしめ、無理矢理笑顔を顔に張り付かせた。
「・・・顕れる能力は色によって異なる。しかし―――」
ハリスは言葉を切り、あたしの顔を見つめた。
知り合って数日、正確に言うとあたしが気を失っていない数時間の間に気付いたことがある。ハリスは何か大切なことを伝えようとするとき、言葉を1度区切って相手の目を見つめる癖がある。
実は、あたしはこういう『間』が苦手だ。意味なく緊張してしまうのだ。何が飛び出てくるかわからない謎の福引きを回しているような気分にさせられる。温泉旅行やポケットティッシュが当たるカラフルな玉が転がり出てくるならいいが、丸まったダンゴ虫が出てくる可能性も否定できない。ここが違う世界で、話してる内容が内容だけに、当たり障りのない答えが返ってくるとは思えない。あたしの頭の中では、福引きからダンゴ虫が次から次へと転がり出ていた。
おぇぇ・・・ダンゴ虫はよくなかった。ダンゴ虫はやめよう。あたしは虫が大嫌いなのだ。
ハリスの眉間には、より深いしわが刻まれ、目が更に細められていた。
「本当に大丈夫か?」
「問題ないわ」
「揺れてるみたいに見えるぞ」
「誰が?あたしが?ハリスったら、のぼせたんじゃない?」
「俺は女の裸を見たくらいでのぼせたりは―――」
「待って!違う!『のぼせた』っていうのは忘れてちょうだい。『のぼせた』っていうのはいい表現じゃなかったわ」あたしは額をグリグリと摩って、溜息交じりに言った。「ごめんなさい、ちょっと気がそがれていたの。説明の続きをお願い」
ハリスはあたしをじっと見て軽く息を吐き、話を再開した。「糸昌石を通して顕れる能力は、押し並べて使用している間、体が縮む。簡単に言えるのはこのくらいだが・・・どこか分からないところはあるか?」
「えっと、ありがとう。大体だけどわかったと思うわ。見た目が子供になるのは、それ自体が特殊能力なわけじゃなくて、特殊能力は別にあって、その代償として体が小さくなるってことなのね?」
「詳しく言うともっと原因があるらしいが、まぁそういうことだ」
「そう言えば、あたしが『乱』に巻き込まれた時、糸昌石なんて石持ってなかったのに体が小さくなってたわ。それはどうして?」
「それは、『乱』の中心に磁場が発生するからだ。そのせいで糸昌石が無くとも『珠』が反応する。糸昌石の場合は、能力は出るが『珠』は出てこない。だが、『乱』では、磁場が強すぎて能力が出る代わりに『珠』が体内から出る。能力を使った時と同様に体が小さくなるのは、それが影響しているらしい。だが、長年エネルギー研究所が『乱』を調べているが、仮説ばかりで詳しい仕組みは未だ分かっていない。通常は『珠』が体内から出たら死ぬんだがな。『乱』はちょっと特殊なんだ」
ふむ。『乱』によって『珠』が出て小さくなり、『珠』を食べて(?)元に戻ったわけだ。
正直、さっぱり理解できないけど、ここの世界の人達にも分からないなら、あたしに分かるわけがない。
じゃあ、とあたしは口を開いた。
「ハリスの『珠』には、色が付いてるってことよね?」
「ああ」
そう、ハリスの見た目が小さいということは、なんかしらの能力を持っていて、今まさにそれを使用しているってことになる。
「ちなみに、何色なの?」
「・・・・・・」
「青色は珍しいって言ってたけど、ハリスの色は比較的多い色なの?」
「・・・・・・」
「・・・えっと、少ないの?」
「・・・・・・」
ハリスが急に無口になった。さっきまで淀みなく『珠』の説明をしてくれていたのに。
・・・『珠』の色を訊くのは、プライベートなことなのかもしれない。下着同様、パッと見では分からないものだし。もしそうなら、ちょっと恥ずかしい。だって、パンツの色を訊くなんて変質者のすることだ。
残念ながら、今のあたしにはパンツもないけど。
気を取り直して、気になっていた質問をした。
「青色の能力って、なに?」
「文献によると、『具現化』だ」
「ぐげんか?」
「俺もよくは知らないが、頭に思い描いた物を出現させることが出来るらしい」
・・・ぐげん・・・具現化?
・・・え、それとんでもなくすごい能力じゃない?!