17.珠1
あたしは、記録的早さでお風呂場から飛び出し、床に落ちていたモスグリーンのワンピースを引っつかんで、体も拭かずに頭から被った。横目でハリスを見ると、すでに白い貫頭衣のような服を身にまとい、クルクルと器用に頭の布を巻いているところだった。
布を擦る音が室内に響く。無言が辛い。非常に辛い。叫びだしたいほどの羞恥心とズッシリと存在感を放つ疑念とがうず潮のように混ざり合い、あたしの心はおかしな感情に苛まれていた。聞くべきことは次から次へと頭の中に溢れているが、一体何を言うべきなのかさっぱり分からない。それに加えて、あたしには穿くべきパンツがない。これはまったくもって大問題だ。
「頭くらい拭け」
ハリスが棚に畳んであったタオルをばさりと投げて寄こした。
「・・・アリガトウ、ゴザイマス」
ぎこちない動きで頭を拭きながら、タオル越しにハリスを窺う。相変わらず小さく、天使のようだ。本当に年上、なの?
視線に気づいたハリスが、口の端をわずかに上げた。
「体の大きさは戻そうと思えばすぐ戻るぞ」
ひいっ!?
「それじゃあ、今のその・・・子供の姿は・・・うそ、なのね?」
「嘘?いや、嘘ってわけじゃないが・・・そうだな、本来の姿と違うのは事実だ」
あたしは必死であふれ出るパニックを抑えつけようとしていた。話を聞かなかったのはあたしだ。服を脱いだのもあたしだ。ハリスは悪くない。1つ言えるとすれば、悪いのはラリホーだ。もはや楽しそうな響きなどとは到底思えなかった。ラリホーはほとんど死の呪文と言える。
落ち着いて考えよう。
胸を見られた。
そりゃそうよお風呂だもの。
下も見られた。
もちろん、だってお風呂だもの。
だって・・・そうでしょ?服を着てお風呂に入ったりしないじゃない。
お風呂っていうのはみんな裸で入るのよ。
生まれてくるときだってみんな裸なのよ。
だって人間だもの。
そうよ。
そう考えると何でもないことに思えてくる。
・・・思えてくる?
本当に?
思い出してみて。あたしは何をした?
すばらしい。排水溝に屈みこんだ。ハリスに背を向けて。
・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・・ぐはぁっ!!!!!
ギュウギュウと押さえていたパニックは、とんでもない勢いで飛び出してきた。脳細胞が集団ヒステリーを起こしている。そして、頭の中の『裸の幽霊』は今や脚を生やしドタドタと駆け回っている。
口をパクパクさせるあたしを見て、ハリスがクリスマスケーキを見つけた子供のような笑顔を見せた。あたしの顔からはボフン!と湯気が出たと思う。
「戻って見せようか?」
「ダメよ!!!」
今大人に戻られたら、あたしは爆発して死ねる自信がある。
「それで・・・どこまで理解してる?」
しばらく悶絶するあたしを面白い生き物を見る目で眺めていたハリスが言った。
あたしはハリスからついと目をそらす。
「まさか・・・」
ハリスが信じられないというように小さく呟く。
「違うわ!ちょっとは理解してるわよ!」
確か『珠』には何かしらの力?があって、それが表に出るとか何とか・・・。いわゆる魂みたいなものに似てるけど、何か少し違ったのよね。
あたしは頭の隅から隅までつつきまわしてなんとか言葉を絞り出した。
「その・・・珠っていうのは・・・丸いのよね?丸くて、何かエネルギー的なものが詰まっていて・・・それを出すのに、練習するのよね?慣れるまでは、その、心の持ちようっていうか、集中するっていうか流れに身を任せて?みたいな?大きさも違いがあるん・・・だったかしら?そんなこと言ってなかった?それとも、大きくなったり小さくなったりするんだった?それとあと、色が人によって黒かったり白かったり・・・?」
おかしい。あたしは混乱し始めていた。しゃべればしゃべるほどおかしな方向へ向かっている気がする。
「・・・あたしがしゃべってるのは『珠』のことよね?」
ハリスの口の端がヒクッと動いた。「・・・お前にはもう少し簡単に説明するよう努力する」
「あの、ゴメンネ?」
ハリスは、疲れたように俯いて、気にするなと軽く手を振った。「『珠』のエネルギーを晶石に流すとそれぞれの石が持つ固有の力に変換される」
あたしは首をかしげた。
「どこが分からない?」ハリスの眉間のしわが深くなった。
「もう少し簡単な・・・たとえ話とかで言ってくれると嬉しいわ」
気まずい空気が流れる。
「『珠』は・・・簡単に言うと透明な卵の殻みたいなもんだ。その中に生物エネルギーが入っている。通常は乳白色で、『渡り人』は黒、お前なら青だ。それの媒体が晶石という石だ。普通は晶石無しではエネルギーを表に出すことはできない。例外はあるが、今は覚えなくていい。晶石には種類があって、さっきシャワーに付いてたのは水晶石と熱昌石だ。それに『珠』からのエネルギーを通して初めてお湯が出る」
あれ?それっていわゆる魔法なんじゃないの?魔力(=エネルギー)を魔道具(=昌石)に流して水とか出すんでしょ?何それすごい!!!
「じゃあ、昌石にエネルギーを流せば、ほうきに乗って空を飛んだり、火の玉出したりも出きるってこと?!」
「何だそれは。そんなことが出来てたまるか」
「えっ!」
「前も言ったが、空も飛べないし、指先から炎も出ない」
「でも、ほうきに昌石をくっつけたら―――」
「お前が言ってるのは風昌石のことだろうが、人間を浮かせるだけの昌石を掃除道具なんぞに付けたら、それだけで重過ぎて飛び上がることすらできないだろうな」
「じ、じゃあ何か昌石のついた道具から火の玉を出すのは・・・」
「それならまぁ・・・似たようなものならある」
「本当?!」
「球形じゃないがな」
あたしには小さい頃、朝昼晩とカメハメ波の練習をしていた時期がある。絶対に出来ると信じていたし、実際、時折もう少しで出そうだと思う時もあった。残念ながら出たことはなかったけど。でも!それが実現出来るなんて!道具を使うとか、あれは火じゃなくて気功だとかそんな細かいことはこの際どうでもいい。大事なのは形だ。あたしはパン屋で『ハイジの白パン』という名前のパンが売っていたら迷わず買うタイプの人間なのだ。
「なら悪と戦う時は―――」
「炉だ」
「・・・は?」
「昌石が付いていて、直接火が出るもの―――それは炉と言って各家に備え付けられている」
「え?それってもしかして・・・」
「料理を作るときに使用する」
間違いない。
それは―――
KO・N・RO!!!
そんなのは求めてない・・・!
そういうんじゃないの・・・
「よく分からんが・・・なんでそんなに落ち込んでるんだ?」
「もっとこう・・・」
落胆を隠せないあたしにハリスがため息交じりに言った。
「もしお前が武器のことを言ってるなら・・・昌石銃というものならある。だが、それを所持出来るのは軍か警察に限られている。アン、お前が持つことは無い」
銃・・・そんな恐ろしい現代武器じゃない。あたしはかなりショックを受けていた。あたしが求めてるのは、もっとファンタジックかつエキサイティングなものなのだ。
「大体、ほうきに乗るなんて・・・正気か?」
何なのよと、目線で訴えると、ハリスがぶるりと震えて言った。
「あんな細い柄にまたがって・・・全体重がかかるんだぞ」
・・・よろしい。赤いリボンと空飛ぶほうきはキュート以外の何物でもない。でも、もしかしたら、あたしは泣いてしまうかもしれない。
しかし『珠』がほとんど魔法みたいなもの、ということにさほど変りはない。練習次第で何とかなるかもしれない。
「『珠』が無くなったら死んじゃうって言ってたわよね?晶石にエネルギーを通したら『珠』の中身はどうなるの?一時的に減るわよね?元に戻るとき、エネルギー量が増えたり強くなったりすることはある?」
あたしは希望を託してハリスに訊いた。
「生物エネルギーは、晶石に通しても減ったり増えたりするものじゃない。昌石はエネルギーを感知するだけだ」
それって熱感知センサーみたいなものだ。商業施設によくある手を翳しただけで流れるトイレと一緒だ。あたしの夢は儚く散った。