10.マダン
あれから程なくして荷車の揺れが変わった。ガタガタとした大きな揺れは無くなったが、細かい振動が絶えず続くようになっていた。幌の中は相変わらず薄暗かったが、夜明けが近いのか多少明るくなったように思える。子供もカエル男も起きないし、レオとハリスはじっと座ったままだ。
あたしはハリスの隣に座って思考を彷徨わせていた。取引材料が全く思いつかないのだ。
・・・マニキュアの塗り方はどうだろう?あたしは左手でもすごく上手く塗ることが出来る。この世界初のカリスマネイリストになるのだ。それか、ヨガ。瞑想と健康の伝道師だ。ただ、体の硬いあたしが出来るのは『木のポーズ』と『死体のポーズ』だけだった。新しく考えてみてもいいかもしれない。例えばエイのポーズとか。あたしは頭の上で両腕を組んで三角にしてみた。
これはエイではないかもしれない。おそらくイカのポーズだ。
向かいの壁に寄りかかっているレオと目が合った。訝しげな顔をしているが、口元が笑っているようにも見える。もしかしてイカのポーズが気に入ったのかしら?取引材料として、ヨガはいけるかもしれない。あたしは腕をおろして、他のポーズも考えることにした。
「マダンの街に入ったな」ハリスがポソリと呟いた。
「何でわかるの?」
「マダンの通りは、ほとんどが石畳だ。でも石質が良くない。この辺りで採れる砂岩は、脆くて風化しやすい。その分加工もしやすいんだが・・・道にはあまり適してない。砂岩というのは、地殻変動で隆起した層で、アザルの島はほとんどが―――」
ハリスが横で眠りの呪文を唱え始めた。ドラ○エでいうところの『ラリホー』だ。どうでもいいけど、『ラリホー』っていう響きが全然眠そうに感じないのはあたしだけかしら?むしろ楽しそうに感じる。『ハイホ―』に似てるせいかもしれない。あたしの頭の中で、カラフルな洋服を着た7人のコビトが陽気に行進し始めた。
「何でコビトって7人しかいないのかしら」
「・・・コビト?」ハリスが怪訝な顔をする。
「あ、ううん、何でもないの」
スイ―ツをつくるのはどうだろう?パティシエっていう響きがカッコイイ。あっちの世界のお菓子は色も形もかわいいものが多いし、珍しいかもしれない。ケーキとか。スポンジは・・・砂糖と粉を混ぜて・・・焼く?生クリームは牛乳を・・・どうにかするはずだ。とろりとさせればいいんじゃない?あんかけみたいな・・・・・・片栗粉か!
頭の中では、満面の笑顔のコビト達が可愛らしいケーキを頬張っていた。
「コビト印のニコニコケーキ」
「・・・俺は時々、お前が何を言ってるのか分からなくなる」そう言って、ハリスは眉間にしわを寄せ目を堅く瞑った。
「ごめん、ちょっと考え事してたの」
「お前には緊張感が足りない。どういう状況か言ったはずだが。・・・着いてからは、出来るだけでいい、余計なことをしゃべらず、余計なものに触らないでいてくれ。わかったな?」
ずっと感じていたことだが、ハリスの口調や話す内容は、見た目とかなり違和感がある。この世界の子供というのはこんなに大人びているんだろうか。
「ハリスって、ちょっとおっさんみたいよね」
「誰がおっさんだ!」
「たまにあたしよりずっと年上なんじゃないかと錯覚することがあるわ」
「だろうな」
「大体『お前』って呼ばれるの好きじゃないのよ。『アンお姉さん』って呼んでって言ったのに」
「・・・『お姉さん』ねぇ」ハリスは横目であたしを見た。「まぁ、呼び方なんて今はどうでもいい。そんなことより、お前の『珠』の色は黒だ、わかったな。訊かれないとは思うが、訊かれたら黒だと言うようにしろ。これは絶対だ」
「どうでもよくないわ。次に『お前』って呼んだらあたしにも考えがあるわ」
ハリスは眉間に手を当て大きくため息をついた。「どんな考えだ?」
どんなだろう?実は考えていなかった。相手は子供だし、面白いのがいいかもしれない。
「そうね・・・くすぐりの刑よ」
あたしは、途中からあたしが触れてもハリスが避けなくなったのに気付いていた。くすぐっても大丈夫よね?
「ハハ、覚えておく」ハリスが顔を引き攣らせて笑う。
「くすぐりの刑は結構すごいのよ」あたしは唇を尖らせてむっと睨んだ。
ハリスは、唇をギュッと引いて、そのまま黙ることに決めたようだ。
「ギャン!」
急に揺れが止まり、あたしはゴツンと壁に後頭部を打ち付けた。
「大丈夫か?」
なんで?なんであたしばっかりなの?荷台の中で、頭をぶつけたのはあたしだけだった。これ以上ぶつけたら脳細胞が全部死んでしまう。
むっつりとしながら後頭部を撫でさすっていると、幌の入口が開き、眩しい光りと共にキツネ男が顔を出した。
「出ろ」
レオは立ちあがると、カエル男を蹴飛ばして起こした。
「グゴゴッ」
カエル男はつぶれた蛙のような声を上げて起き上がり、ヨタヨタと入口へ歩いて行った。そして、入口からヌルンと滑り落ちたように見えた。
レオが子供抱き抱え、あたしとハリスも後に続いた。
降り立ったのは、大きな建物の前の車寄せだった。鈍い黄みがかった石を組み合わせた2階建て程の高さの建物で、鉄門から車寄せのある玄関までの私道は、50メートルくらいだろうか。両脇には芝が植えられ、背の高い塀の周りに綺麗にカットされた丸っこい低木が並んでいる。ずいぶんと広い敷地だ。
キツネ男に促され、観音扉を抜け中に入る。
そこは教会のようだった。正面奥に一段高くなった祭壇らしきものがあり、真ん中の通路を挟んで左右には木製のベンチがズラリと列をなしている。
祭壇の上には、体に布を巻いた女性の石像が鎮座していて、その右手は自身の胸に、そして左手には大きなボールが掲げられている。
「ねぇ、あの像って何?」あたしはこそこそとハリスに耳打ちした。
ハリスは像を一瞥すると頷いた。「ディオネ神だ」
「ディオネ神?」
「ウラノス教の主神だ」
「じゃあここって教会なの?」
ハリスが戸惑ったような顔を向ける。
「その、ほら、教会かな、とは思ったんだけど、もしかしたら違う可能性もあるかもしれないじゃない?」
「いや、教会で合っている」
「・・・それって密教とかカルト教団的な何かだったりする?」
「・・・ああ、なるほど。言いたいことは何となく分かったが、残念ながら、多くの国で信仰されている宗教だ」
・・・じゃあここは本物の教会なのね。あたしの心の中に、不安という名のさざ波が押し寄せる。『教会に似た別の何か』だったらいいな、と思ったのだ。『犯罪者』と『教会』を並べて考えたい気持ちにはなれなかった。まぁでも、そこはまだ分からない。ただ単に、場所だけ勝手に使われてしまっている可能性もある。早合点して間違った結論に飛びつくのは良くない。
「主神ってことは他にもいるの?」あたしは別の話題で心を切り替えることにした。
「ああ、まぁな。ディオネ神と合わせて24神いる」
「随分と多いのね」
建物の雰囲気から、何とはなしにキリスト教に似たイメージを持ってしまっていたようだ。24人も神様がいるのはちょっと予想外だった。
詳しくないけど、キリスト教は一神教だったはず・・・えっと、一神教よね?イエス・キリストが神様?いや違ったわよね、確か『神の子』とかなんとか・・・じゃあ、お父さんが神様?たくさんの場所で飾られているキリストは、人と神様のハーフ&ハーフってこと?それって何だかピザみたいじゃない?頭に、チーズがたっぷりのったペパロニピザが出てきて、お腹が控えめにキュルルとなった。
「お前の神は一神なのか?」
『お前の神』・・・あたしの神?
ハリスの言葉が脳に浸透するまでの僅かな時間、あたしは何度か瞬きを繰り返した。その言葉はとても奇妙に感じられた。『お前』と呼ばれたことを再び注意するのをわきに置いておくくらいには。
あたしは家で宗教的な何かを感じたことがなかった。仏壇もなし。聖書もなし。父と母は孤児院で育ったため、先祖はもちろん祖父母も不明。その為、お墓参りなどもしたことがなかった。野菜に爪楊枝を刺したりしないし、卵に絵も描かない。
初詣には行ってたし、クリスマスにケーキも毎年食べていたが、それは宗教うんぬんではなく、季節的なウキウキイベントだ。うちの家は全く持って無宗教だった。
あたしは、住んでた国特有の宗教を思い浮かべてみた。小学生の頃に『漫画で解説・神話編』みたいなものを読んだ記憶がある。それによると、兄弟喧嘩の末、引きこもりになる主神、そしてそれを表に引っ張り出すために酒の席で裸で踊るファンキーな女神、その裸踊りが見たくてつい出てきちゃう主神。何より、その計画を考えたのが、一番頭がいいとされる男神なのが衝撃的だった。
それに加えて、トイレにも神様がいると言われていたはず。交差点にも神様がいるし、お米に至っては1粒につき神様が7人のっかっていると聞いたことがある。もうそんなのお茶碗一杯で何千人になるのか想像もつかない。
更にまだ足りないとばかりに、永く大切に使ったものは付喪神という神様になるという。・・・そう考えると、これから先も神様の数は、天文学的な数で増すばかりだろう。24神どころの騒ぎじゃなかった。
「えっと・・・『あたしの神』っていうのはちょっと・・・それに、宗教とかあまり詳しいわけじゃないんだけど・・・あたしの国にあった宗教で言うと、その、たぶん、たくさんっていうか・・・どんどん増えていく感じ?」
「・・・増える?」
「そう、何ていうか、無限に?」
「・・・・・・」
ハリスの視線が痛かった。あたしは無言で目を逸らした。