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女一匹異世界奮闘記  作者: ぼんぼん
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夏のある日

「暑い・・・」


 空調の壊れた車の中で、あたしは溶けかけていた。

 8月の太陽は、ギラギラと白く輝き、手加減というものを知らない。全開にした窓から入る熱い空気が体に絡みつき、顎から汗が滴り落ちた。

 例年より早くあけた梅雨の影響か、今年の夏はうだるほどの暑さで、雨が降るわけでもないのに、連日湿度は80%を超えていた。そのせいで、体感温度は40度に近い。


 空港へ続く道は、夏休み中ということもあり、都心から逃げ出す人々でものすごく込み合っている。

 あたしは、遅々として進まない道路を恨めしく睨みつけた。

 

暑さと渋滞でイライラするあまり、頭からブスブスと煙が出ている気がする。脳細胞の一部が正常な活動を諦めたのか、さっきから突拍子もない妄想があたしの頭を駆け廻っていた。

 冷凍庫の中で暮らすのってどうかしら?冷凍エビピラフのベッドに寝転んで、アイスクリームを食べ、冷凍餃子の枕に抱きついて、冷凍された魚に向かって話しかけるのだ。問題は、魚が切り身だった場合、どこを見て話せばいいのか分からないことと、あたしの体温でちょっぴり解凍された餃子が臭うかもしれないということだろう。でも、それならそれで、新しい餃子を手に入れればいいだけだし、魚には話しかけなければいいのだ。結構快適そうに感じる。それか、猛吹雪の南極もいいかもしれない。アザラシのバックコーラスで、ペンギンとラインダンスをしながら一生楽しく暮らすのだ。それってなんだか最高にハッピーに感じる。



 あたしの名前は、吉田杏(よしだあん)。この春、大学を卒業し、父の会社にこっそりもぐりこんだ新社会人だ。コネ入社?ええ、そうよ。就職浪人が決まった友人には多少申し訳ない気持ちもあるけど、このご時世、使えるコネは存分に使うべきだと思う。


 

 約1カ月半前の7月1日、初めてボーナスというものが出た。アルバイト時代にはなかった『ボーナス』という名の臨時収入は、大人になったような、なんだかくすぐったくて嬉しいものだった。


 通帳をにまにま見ながら、特に『これだ!』というものも思いつかずに、何を買おうかと悩むこと3日。


「旅行?洋服?エステ?それとも・・・迷うわ」 


 あたしの煩悩の選択肢はこんなものだった。なのに、どうして。気付けばあたしは、一度も足を踏み入れたことが無い、中古車販売店のドアを開けてた。理由は自分でもよく分からないけど、店内がキラキラ光ってるような気がして、つい会社帰りにフラフラと吸い寄せられてしまったのだ。

 そこで、ウルトラマリン色のすごく可愛いミニクーパーに一目惚れをした。



 家に帰ってドキドキしながらそれとなく話してみると、心配性のお母さんには、「そんな・・・車なんて、大丈夫なの?」と険しい顔をされた。

 にもかかわらず、その翌日には、全く迷うことなく、あたしは再び中古車販売店に舞い戻り、衝動的に買ってしまった。吉田杏23歳、車を衝動買い。自分でもちょっとびっくりだ。

「こんなに急いで買う必要ないでしょ!何でもっとよく考えないの!」とさすがに怒られたけど、買っちゃったものは仕方がないわよね?

 

 手続きなんかも含めるとボーナスだけでは足りず、貯金からも出さざるを得なかったんだけど、なんて言ったらいいのかしら?ピッタリの言葉が思い浮かばないけど、とにかく、運命みたいなものなんじゃないかしら?






 あたしのミニクーパー。

 可愛い車体とキレイな色。

 パワーウィンドウじゃないないけど。

 まぁそれは、あれよ・・・ちょっと手間はかかるけど、レトロでオシャレだと思えばいいのだ。

 今のところETCもないけど。

 ・・・人(料金所のおじちゃん)とのふれ合いは人生において大切だわ、そうよ、うん。そうだわ。わざとよ、うん。

 お店の人も、『多少古くて設備はいまいちですが・・・お買い得ですよー』って言っていた。わが子のように可愛がれば、十分に答えてくれるに違いないわ。


「あんたの名前は、『青太郎』よ」 

 

 クフフと笑ってイケてる名前をつけてあげた。




 そして、購入から1か月程たった今日。


「素晴ーらしい朝が来たー♪希望のあーさー♪」


 朝から鼻歌交じりで運転していた。つい先ほどまで、あたしは本当にご機嫌だったのだ。


 異変に気がついたのは運転して1時間が過ぎたあたりだった。少し前からハンドルを握る手に熱い空気を感じていた。きっとこれは、初めての遠出に対する青太郎のパッションなのだ。パッションっていうのは、大事にしなきゃ。そうでしょ?そう思って、あたしはしばらくの間我慢していた。

 今日はホント暑いわね、なんて自分で自分を誤魔化したりもした。


 けれど、人間の体には限界っていうものがあるらしい。滝のような汗が目に入って痛い。


 「これって、やっぱり・・・暖房よねぇ・・・?」


 一人つぶやいた疑問の声は、容赦なく噴き出る熱風にむなしく溶けていった。

 ボタンを押したりつまみをひねったり、バンバン叩いたりしても何をどうやっても冷房に戻らない。まずいわ。今あたしは、約2か月間の東南アジア出張から戻る父親を、空港まで迎えに行っている途中なのだ。新しい車を父に自慢したかったっていうのもある。背中をひやっと違う汗が流れた。









 そして、絶賛妄想中の今に至る。


「それにしても・・・ふぅ」情けないため息がもれる。

 

 怒られるわよね・・・。あたしの脳裏に眉間にしわをよせた父親の顔が浮かんだ。いっそエアコンはもともと使えなかったことにすればいいんじゃない?・・・ダメね。なんでそんな車を買ったんだってますます顔を強張らせるだろう。帰り道の重く気まずい空気を予想して、今からぐったりだわ。





 父は普段優しいが、なんでも許してくれるほど娘に甘いわけではない。


「100円が100円の価値だときちんとわかる人間になれ」


と言われて育てられてきた。

 

 つまり、10000円を100円かのようにばらまきながら使ったりする人間になるな、ということらしい。

 物事の価値をきちんと見極めて、常に謙虚であれ、自分を勘違いしてはいけない。これは、一代で財をなした商売人である父らしい教えだと思う。

 

 すごく良いことだと思うし、その教えを破る気なんてさらさらないのに、これがあたしにはちょっと難しい。何ていうか、あたしは少しええかっこしいなのだ。ついつい自分のこととなると、安全・安定・正常って言う言葉よりも見た目のカッコよさや可愛さになびいてしまう傾向がある。だからといって、目立つのが大好きってわけでもないし、危険が好きだったりするわけじゃない。どこにでもいるごくごく普通の23歳。緩くカールしているセミロングの黒髪は、毎日の手入れで艶々しているし、Aカップに近いBカップのおっぱいにはパッド2枚(たまに3枚)を標準装備している。




 車内だけではない。エアコンが壊れてるなんて聞けば、家に帰ってからも母からの小言が延々と続くだろう。それどころか、12歳の妹が『怒られる姉』を見て目を爛々と輝かせるんじゃないかしら?

 

 妹の美樹は、恐ろしいほど生意気盛りで、女同士だからなのか事あるごとに11歳も上のあたしに張り合ってくる。更に追い打ちをかけるようにして、末っ子特有の立ち回りの良さを発揮し、全く関係ない他のことまでチクられる。

 

 タイミングとしては最悪だった。

 つい先日、ネットで買って失敗した『2サイズアップシリコンブラ』とか、痩せる決意をして買った『穿くだけ!痩せるガードル』とか、そういう処分に困った暗黒をギュウッと詰めた箱を、妹に発見されたのだ。



 クローゼットの奥深くに隠してあったのに、なんで見つかったのかしら・・・。


 あたしの体型が、悲しいほど幼児体型なのは、すでに隠し様もない事実なので、そんなことはどうでもいい。全然良くはないけど、今はいい。


 最悪なのは・・・箱の一番下に厳重に封印していた、『アレ』だった。

 失恋した女友達が、べろべろに酔っ払って買ってきたのだ。泣きながら押しつけられた『ソレ』をつっ返すことができず、顔面に恐怖を貼りつかせながらも受け取ったあたしは、実に友達思いだ。


 でも、箱を手に悪魔のような笑みを浮かべた妹を見た瞬間、顔から灼熱の炎が噴き出た。


「友達が・・・友達の・・・!」


 などと、上手く動いてくれない口でもごもご説明したが、信じてもらえなかった。

 というより、あたしも『そんなもの』の説明を上手くできるわけもなく、妹としても弱みを握るために『姉が買った』ことにしようと、あたしの言い訳をスルーしたのだ。

 結局、洋服を買うことを約束させられたが、いつか言いふらされるんじゃないかという恐怖がぬぐえない。基本的に妹の口には蓋が付いてないのだ。


 あんなものを親の前にさらされたら、あたしは死ぬ。たぶん父も死ぬ。母は固まって動かなくなり、妹だけが分からない振りをしてニコニコと笑ってる気がする。


 ちなみに、上げ底ブラは、上げ底すぎて乳首が飛び出したので封印した。ガードルは、汗だくで装着したものの、うっ血して死にそうになった。


 『アレ』は、電動だ。しかもピンク色で破廉恥だ。艶めかしい妙な動きもする。 


 それが13個もある。







 ようやく空港のロータリーに到着し、父の乗っている便の到着時間を確認すると、どうやら、聞いていた時間よりも30分遅れているらしい。

 短い時間なら駐車出来そうだが、そう長くはロータリーに車を置いておけそうもない。あたしは、ガラス越しに忌々しい外をねめつけた。


 その後、15分程建物内でうろうろと粘った後、重い足取りを引きずるように車に引き返した。そして、開けても閉めても暑いなら、と少しでも日光を遮るために窓を閉めた。




 蒸し暑い車の中でふと思い返す。あたしは昔から、物事のスタート地点からゴールまでを最短距離で進めない。


 格好つけたがりな性格も原因の一端を担っていると思うけれど、『これが最良』と思った行動が、大抵回り道だったり、裏目に出たりしてしまうのだ。


 高校3年の夏、大学受験で、自分専用の英単語帳を作るのに、英和辞書のAの1ページ目から見た覚えのある単語を拾っていったことがある。


「あたしってば頭いい!」


 我ながらすばらしい勉強方法だと思った。

 オシャレ女子高生としては、重たい辞書で鞄の形が変形するのも嫌だった。


『これ1冊でOK!あたしだけの完璧な単語帳』を目指し、オシャレなノートを買った。

 気合いを入れ、そうして書き始めた単語帳の一番初めの単語は、aだ。何個か下にanの項目もある。あたしはBのページで力尽きた。

 何がやりたかったのかさっぱりわからない。なぜこれを『最良』と思ったのか、自分で自分を揺さぶってやりたかった。


 今回だって、自分のお金で車を買う『大人なあたし』を気取った上、『可愛い車から颯爽と出てくるあたし』という妄想に酔ったあげく、父を灼熱ドライブへ招待することになってしまった。わかってる。あたしには、堅実さが足りないのだ。


 



 どうやって切り出そう、ウジウジとそんなことを考えていたら、頭がくらくらしてきた。




 あ、まずいわ・・・これって熱中症・・・。







そして



あたしの思考はそこで途切れた。

 



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