妖精フィルム登場
いよいよスタートです。
太陽がオレンジ色に輝き、西の空へ消えようとしている。帰宅ラッシュで人が多くいる中、電車から降りて見慣れたいつもの最寄駅に着いた。
「じゃあ、また学校でね」
水族館の帰り道。ポニーテールを揺らしながら小さくなっていく茜の後姿を見ながら、今日あったことをぼんやりと考えていた。
……あれは一体なんだったのだろうか。
あの化け物の姿を見てしまい、腰を抜かして動けなくなってしまった私。時間になってもなかなか姿を見せない私を心配して、茜が私の元まで戻ってきたのだ。
深海魚コーナーで座り込んでいる私を見た茜は、いつもの通常フェイスである真顔とは少し違う表情をした。
どうしたの、と聞いてくる茜だったが、私は今見たもののことを茜に話さなかった。もしかしたら、幻覚だったのかもしれない。その可能性を信じることにして。
霊感は強くはないが、幼い頃から空想するのが好きだった。きっと……否、絶対。何か無意識に空想をしてしまって、それが幻覚として見えたのだ。
私はそう自分に言い聞かせて、くるりと体の向きを変え、自分の自宅への道を歩きだしたのだった。
玄関のドアを開けて、ただいまーと大きな声で言う。すると、リビングの方からお母さんのおかえりなさい、と言う言葉が返ってきた。
私は一人娘で、父と母との三人暮らし。父は一般的な会社の社員で、母はスーパーでパートをしている。ごくごく一般的な家族であると思う。
……良かった、いつも通りだ。
変わらない光景に安堵しながら、私は二階へある自室へ向かう。
今日は、何だか疲れてしまった。軽く仮眠しようか。そんなことを考えてドアを開ける。
……そして、私は私の部屋の中にいるありえない存在を目にして、固まったのである。
さほど広くはない、というかむしろ狭い私の部屋の中。その中央でふわふわと体を宙に浮かばせているもの。約十五㎝と言ったところだろうか。
青い髪に青い瞳、そして洋服は水色の不思議な衣装――オーバーオールのようなものを着用しているそれ。背中からは天使のような純白の羽が生えている。
とても綺麗な顔立ちをしているが、それはドアを開けて硬直している私を見ると満面の可愛らしい笑顔に変わった。
「あー! やっと帰ってきたあ!」
ふわふわと羽を動かして近づいてくるそれ。私は無意識にドアを思いっきり閉めた。そして深呼吸を一つし、恐る恐るもう一度ドアを開けて中を覗く。
「なんで閉めるのさ!」
もう一度ドアを閉める。……夢じゃなかった。
部屋の中からお怒りの声が聞こえてきたので、私は観念して再びドアを開けて部屋の中に入った。何が起こっても逃げ出せるように、背中はドアにぴったりとつけたまま。ドアを開けておかなかったのは、頭が混乱してそんなアイディアが浮かばなかったから。うん、馬鹿だ私。
「あ、あああああああなたは何ですか」
私の目線と同じ高さに浮かんでいるそれを見て、私は震えながらそう問う。
「あ、って言いすぎじゃない? ……まあいいや。僕は妖精のフィルム。よろしくね」
いやいやいやいや。何もよろしくありません。よろしくなんてしたくありません。
妖精と名乗るそれ――もとい、フィルムはにっこりと笑って私を見たまま。その無邪気な笑顔が何だか怖い。
「よ、妖精って……」
「うーん。どこから話せばいいのかな」
私にどこから説明をすればいいのか、今度は考えるような表情をするフィルム。その姿は何だか可愛い……ってそれどころじゃないんだ、しっかりしろ私!
「この世界にはね、天界と人間界と魔界があるんだ。僕はその天界からやってきた」
「天界……って、神様とか天使とかの?」
幼い頃から読書をすることが好きだった私は、ファンタジーにハマってそのようなジャンルのものを読み漁っていた時期があった。天界と言えば、白っぽいイメージのそれ。それってどれだ、などの質問は受け付けていないです、すみません。
「うん、そうそう。天界には神様もいるし、天使もいるよ」
「あなた――フィルムは天使なの?」
「さっきも言ったけど、僕は妖精だよ。妖精と天使って見た目は似ているけど、全然違うんだ。妖精は魔法を使えるけど、天使は使えないし。天使は神様のお手伝いがお仕事だからね」
天使は意外とずる賢かったりするから僕は苦手かな、と付け加えるように言った。妖精と天使でも敵対関係のようなものはあるのね……! 知らなかった。
「それでね、僕が人間界までやってきたのは、君にお願いがあるからなんだ」
「……何でしょうか」
「魔物退――」
「お断りします」
「早っ」
危ない危ない。絶対最後まで聞かない方がいいと、私の脳内は『魔物』と言う単語を聞いた途端に教えてくれた。
「お願い! 協力してよ!」
「無理です嫌です」
「君が協力してくてくれないと、人間界は滅びちゃうかもしれないんだよ!」
必死な顔でそう言うフィルム。
……人間界が滅びてしまう? それは一体どういうことなのだろうか。
非現実的ではあるが、目の前に妖精という生き物が存在するのだ。何が起こったとしても、不思議ではない。
急に黙り込んだ私を見て、フィルムは少しだけ低めの声で、話を始めた。
「……何でか分からないけれど、魔界から魔物が逃げ出していて、人間界をうろついているんだ。人間に害を加えない魔物もいるけれど、大半は人を殺して食べちゃうような、そんな凶暴な魔物ばかりなんだよ」
「……魔物が、魔界から?」
「うん。天界と魔界の均衡のバランスによって人間界は存在しているんだ。……だけどある日、魔王が消えたんだ」
魔王が消えた? それならば平和になるのではないのだろうか、と思ったのが分かったのか、フィルムは首を左右に振って、説明を続ける。
「逆なんだ。魔王がいたからこそ、天界も人間界も平和だった」
「どうして?」
「魔王の強大な魔力によって、魔物は統制されていたんだ。魔王がいなくなった今、魔物はやりたい放題ってわけ」
「神様は? 神様が存在するなら、魔物くらい簡単にやっつけられるんじゃないの?」
なんてったって神様だ。神様にできないことなど存在しないのではなのだろうか。
しかし、フィルムはまたしても首を横に振った。
「神様はね、生きているものの命を奪うことは出来ないんだ。例えそれが魔物であっても、ね」
「そんな……」
それでは一体、人間界はどうなってしまうんだろう。魔物が人々を襲い殺すという未来を想像してしまい、身震いをした。
「だから、君に魔物退治をして欲しいんだ」
そう言ったフィルムの言葉を一瞬理解できなくて、私はフリーズする。
え? 何て言ったのこの坊や。
「僕と一緒に、魔物を倒そう」
「ちょ、ちょっと待って……! 無理だよ! 私、ただの女子高生だよ!? 運動神経良くないし、頭だって良くないし、それにそんな魔物なんかを倒せる力なんて持ってないし!」
「今はね」
フィルムはニヤリと笑って、私を見た。うう、何が目的なんだこの妖精は。
「ポケットに入っているそれ、出してみて」
……ポケット? 私は不思議に思いながらポケットの中に手を伸ばす。そこに入っていたのは、今日水族館で拾った金色に輝く欠片だった。
どうやらあの時、気が動転してポケットの中に入れてしまったらしい。
「それはね『魔力の欠片』というものなんだ」
「魔力の欠片?」
「うん。その中には魔力が封印されている。それを掌に載せてみて」
フィルムに言われるがまま、私はその欠片を掌の上に置く。
相変わらずそれは、金色の輝きを放ったままだった。
「今から、その魔力を君の中にチャージするからね」
「え? ちょっと待っ――」
「集中するんだから静かに!」
「……はい」
フィルムに怒られて、私は口を閉じた。
すると、部屋の窓は閉まっていて風なんかが入ってくるわけがないのに、部屋の中のカーテンやらプリントが風に靡くように動き出した。
フィルムは瞳を閉じて、両手の掌を私に向けている。これから何がはじまると言うのだろうか。
「…………アルス・マグナ」
フィルムがそう呟いた途端、金色の欠片は物凄い勢いで輝きだした。私は目を開けていられなくなり、ぎゅっと目を瞑った。
そして、しばらくして。恐る恐る目を開けると、掌の上に載っていた金色の欠片は跡形もなく消え去っていた。
代わりに、目の前でニコニコとしているフィルム。
「これで君に魔力を取り入れたよ」
「…………は?」
「つまり、魔物と戦うための力を手に入れたってこと」
「……本当に?」
私がそう問うと、フィルムは勢いよく頭を縦に振った。
え、何、つまり。私は魔法使いになったってこと?
「あ、でも最初から使える魔法は限られているからね。どんどん魔物を倒して、魔力を上げていかないと」
「何そのゲームみたいなの!」
「しょうがないよ。何事も地道にやっていかなきゃね。じゃあ、改めてよろしくね」
「……こちらこそ」
「あ、そういえば君の名前は何て言うの?」
「今更!?」
命を懸けるような協力をお願いしといて、私の名前を知らないのかと落胆する。
私はフィルムの整った可愛らしい顔を見ながら、自分の名前を言った。
「村田千絵、です」
「へえ。平凡な名前だね」
悪かったな平凡で! 名は体を表す、と言ったもので平凡な私は平凡な名前がぴったりなのだ。
だから本当に私でいいのだろうか、と不安にもなる。だって人類の命が私にかかっている、と言っても過言ではないこの状況。
「ねえ、フィルム」
「何?」
「どうして、私が選ばれたの? 他に魔物退治に適している人なんてたくさんいるはずなのに」
もしかして私には魔力のセンスがあるとか、はたまた前世が最強な人物とか、そういったパターンだったりするのかな。
そんな展開に少しだけ期待しつつ、フィルムの返答を待つ。
「ああ。たまたまだよ」
「たまたま!?」
「そう。たまたま千絵が魔力の欠片を拾ったからね。たまたま」
「たまたま……」
破廉恥な言葉が羅列するとかそんなんもうどうでもいい。
たまたまとか! 嘘でしょ! 嘘だと言って!
「……私、やっぱり無理かも」
「今更何言ってるの!? 明日は日曜日で千絵学校休みでしょ。だから明日は水族館に行くよ」
「水族館?」
「今日、魔物を見たでしょ? 魔力の欠片を持っただけだから一瞬しか見えなかっただろうけど、魔力を持ったからこれからは見えるようになるよ」
頑張ろうね、と満面の笑みを浮かべるフィルムに苦笑いを返しつつ。
私はこれからの自分の未来に恐怖を覚えるのだった――。
■ 登場人物
村田千絵(主人公)…高校二年生。平凡女子代表。160㎝。
黒髪のミディアム。ちょっと見た目はクール。
英語が苦手すぎて赤点常連。運動音痴。とりあえずいろいろと残念な女の子。
フィルム…天界からやってきた妖精の男の子。約15㎝。
青い髪に青い瞳。可愛い顔立ちをしているけれど、千絵に対して煩い。
山中茜…童顔で小柄な体。毒舌。我が道を行く。
□ 魔法呪文
アルス・マグナ…魔力を取り込むことが出来る。
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読んでくれてありがとうございます^^
残念主人公の千絵と小姑フィルムをよろしくお願いします!