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珍しく遅刻した僕が教室の戸を引くと、クラスメイトの美馬君がチャチなピストルを振りかざしてクラスの皆を脅しつけていた。
女子が一人仰向けに転がっていて、興奮し警戒する人間の刺すような匂いが鉄臭い血臭に混じって空間をみたしている。
戸をそっと閉めて、僕は退き死角に逃れ、どうしようか考えようとしたが、じくじくと暴れ始めた心臓に思考能力を奪われて上手く考えが運ばなかった。
ピストルを手に凶行に及んでいた美馬君は、
嘗てクラスで唯一僕に優しくしてくれた人で、多分友達だった子だった。
僕は言う事を聞かない足を引きずり、酷くゆっくりとした足取りで階を離れた。
クラスメイトの小沼が、風を切って廊下を走って来るのが見えた。
こんな時間に反対方向を目指す僕を見て彼は訝しげな表情を浮かべたが、そのまま走り去って行く。掠め駆けてゆく少年は空気を乱し、微かな風が打ち寄せるのを感じた。僕は彼の背を唖のように呆然と見送った。
僕は確かに彼を呼び止めて警告しようとした。
だが一方で憎み囁く声が有り、その昏い誘惑は僕を打ち負かしたのだ。
僕は惑い、一階の便所に引きこもる。
遠く、ごく微かに連続する銃声を聞きながら、
高校時代を思い返してみると、【標的】が僕から美馬君に移行して
もう二年以上経つという事実に今更ひどくに驚かされた。
ズボンを下げて、かつて『彼ら』に損なわれた痕を見つめる。
そう、僕は級友たちが憎かった。
クラスメイトたちを助けてやる義理はない。
好きにやらせてやるのが本当だと考え、
事が収まるまで放っておこうと決める。
馬鹿な美馬君。
どうせもうすぐ卒業するのだし、【過去】を引きずって居ても仕方が無いのに。
便器の上に蹲り、自分でもよくわからない事をブツブツ呟く。
それは祈りのような、呪いのような内容だった。
それにしても、コロンバインの殺戮でも
犯人には相方がいたと言うのに。
美馬は一人で死ぬのだろうか。
膝を抱え瞳を閉じ、復讐する美馬君の隣に、
彼と共に闘う自分の姿を空想する。
どこから仕入れたのか銃器を手に、
かつて虐められた級友を、
見て見ぬ振りをした教師を処刑してゆく。
そして最後に警官隊に囲まれた僕らは
そっと映画のような口づけを交わし、
互いのこめかみを撃ち抜き果てるのだ。
夢のような空想に身を任せ、
半分眠ったような時が過ぎ去るのをただ待ち、
正午を過ぎた頃、僕はトイレを後にした。
用心深く、人気の無い廊下をゆっくり進む。
学校は静かだった。
そう言えば、トイレに何時間も篭っていたのに、 用を足しに来る人間がいなかった。
一つだけ気がかりな事があった。僕が登校してたところを多くの人に見られてしまっており、
通報せずに放置した責任を問われてしまうかもしれない。
パニックを起こしていたことにしようと決め、僕は悩むのを止める。
窓がいくつか開け放してあるのだろう。
まだ冷たい二月の風が、校内を吹き抜け洗い流す。
冬が終わり春が始まろうとしていた。
僕らは来月、卒業する。