魔法陣2
目を開けると、真っ暗だった。麻袋のようなものに入れられているらしく、居心地はとても悪い。
音は自分の呼吸と布摺れだけ。辺りには人の気配は無い。そもそも回りの気配を探れるということは、この麻袋に何の仕掛けも施されていないということで、それはつまり運営会幹部を舐めているということだ。
いくら技術科音楽コース声楽専攻の私でも、ただの事務処理担当ではない。危険なことを経験したのは一度や二度ではないのだ。
そもそも詠唱魔法の原理は、言葉を発することで生じた電気刺激が魔臓に与えられることで魔力線が発生するのだが、その魔力線の質や量は直前の魔臓の状態に大きく左右される。そのため連続詠唱はできないものもあるし、逆に相乗効果をもたらすものもある。
声楽専攻という所は、もちろん一般的な歌を歌うこともするが、効果的な詠唱法を模索する一分野ともいえる。昔は歌を歌って儀式のように魔法を発現させていたこともあったらしい。まあこの分野を理論的に学ぶならば人文科魔法言語専攻をお勧めするが。
そんなわけで、私はクライシアスク先輩には劣るものの、声楽専攻の中でもそれなりの詠唱実技の成績を修めており、だからこそ運営会試験課長という幹部の肩書きを持っているのだ。
前置きが長くなったが、つまりはこういうことだ。
「切れよ」
そう私が言うと、麻袋はあっという間に粉々になり、ここがまだ学園の敷地内だということが分かった。
技術支援棟地下2階掃除用具入れ。ちなみにこの部屋というには心もとない部屋には鍵は無い。少し警戒したが、物理的な罠も無い。お粗末にも程がある。
「まあ、出ますか」
そっと扉を開けると、放課後ということもあり廊下をそれなりの数の人が行き来している。人の波が途切れたのを確認して、素早く外に出て、とある一室に向かう。
特殊なコードと学生手帳を使い中に入ると、真っ白な立方体の部屋の真ん中に魔法陣が書かれている。転移室と呼ばれる、ある一定のアルゴリズムによって別の転移室に転送される場所だ。あと30秒程で高等部試験課室のある1号館に転送されるようになる。
そもそもなぜ私はあんな場所に入れられたのか。方法は後回しにしても、目的には当たりをつけておきたい。私を試験課室に向かわせるのを遅らせたかったか、あるいはそこに向かうまでの間に見せたくないものがあったのか、はたまた単なる人違いか。
毎年、試験問題を盗もうとして運営会試験課を襲撃するグループや個人はいるが、試験問題は教務会試験課が持っていて、仮にも学生主体である運営会が持っている筈もない。後期期末試験になれば流石にそんな馬鹿なことをする学生はいない。
ではあの魔法陣はどうだろうか。確かに運営会試験課でも魔法陣が書き記された書類はあるが、特に機密でもないので探そうと思えば合法的に手に入れることはできる。描いた犯人は魔力紋で調べているらしいので、隠す必要性はない。
人違い。有り得なくは無いが、あそこは私が毎日あの時間に通る場所だ。待ち伏せしていたようだし、間違えたとも思えない。
詰まるところ、私があのようにお粗末に拉致される理由は無さそうで、あるとしても強い意思があるとは思えない。現状では少し気に留めておく程度で大丈夫だろう。
リン・ミドリ連絡会長の言葉も気になるが、それは今のことではないだろう。
『メイーシア・アングロス君、君に一度だけチャンスを与えよう。必要になったら呼んでくれたまえ』
試験課室に戻ってくると、追加分の山ができていた。以前よりは大分少ない量だ。
「遅ーい」
シュリが半泣きになりながら恨めしそうに睨んできた。
「ごめんなさい、ちょっと捕まっていて」
「もう、大変なんだからね」
そう文句を言いながらも手だけは動かすことをやめない。
私も席につき、せっせと事務処理をこなそうとしたのだが。
「メイ、いる!」
声に振り返ると、トルネが慌てたように部屋に駆け込んできていた。
「どうしたの、トルネ」
「よかった〜。自治会から招集命令が。あなたが誘拐されたからって」
「誘拐!?」
トルネがここまで慌てているのは珍しいが、それだけ私のことを心配してくれたのだろう。シュリも手が止まっている。
「大したことではなかったんだけど。自治会には顔を出しておいた方がいいですね」
そう言うと、シュリの顔が面白いように青くなっていく。いじめるつもりはないのだ。結果的にそういう流れになってしまったんだ。
「ごめんなさい、シュリ。トルネと自治会に行ってくるからもう少し頑張ってもらえるかしら」
「お、おう」
口調が変になったシュリに心の中で謝りながら、落ち着いたらしいトルネを伴って自治会に向かう。
自治会とは、五つある幹部会の内の一つで、学園の風紀と治安を守る実動部隊のことだ。先日行われた学園祭ではかなり忙しかったらしく、私やシュリですら招集を受けて手伝ったりしたくらいだ。
「誘拐犯が捕まったそうで、それで事件が発覚しました」
道中でトルネが事情説明を始めた。
「誘拐したのは高等部人文科国文学専攻3年のヒタカ・ケイジ。通報者は同スイッチ・ミタリス他二名。自治会は現場検証を既に終え、物的証拠が確認されたためケイジに同行を求め、彼がこれに同意したため現在の彼の身柄は自治会が確保。またミタリス他二名も同様に自治会で詳しい事情聴取中だそうです」
「ミタリスってあのミタリスよね」
「はい」
友人であるトルネは連絡会員でそれなりの地位にいるらしく、こうやって細かい情報を教えてくれるのはありがたい、のだが。
「夕食、おごってくださいね」
勝手に話だした情報に情報料を付けないでもらいたい。