あの日の頃まで
ーあの日の頃までー
<若さの沸騰>
<証拠と現象>
<混乱とその時間の差>
<事後の解釈と認識>
<最後の裏切り>
<若さの沸騰>
夏の暑い日、エアコンも効いているか分からない警察署の一室で、デスクワークをしていると若い女性がドアを開けて飛び出してきた。
「すみません、遅れました」
女性が息を切らしながら言った。
「君は……"村上"君であってるかな?」
"伊藤"の目の前に座っていた警部が、立ち上がって言った。
「そうです」
また息を切らしながら言った。
「北川警察署捜査一課へようこそ!みんなに軽く自己紹介をしてもらっていいかな」
「はい。本日からこちらの部署でお世話になります、村上です。よろしくお願いします」
女性はよく通る声で、部屋全体に向けて言った。村上は二十四歳の警察官で交番勤務から伊藤の所属する捜査一課へ、今日から異動になった。警察官は年度の始めに関係なく移動が年がら年中ある。
「君の教育係は、こちらに座っている伊藤君だ。詳しいことは伊藤君に聞いてくれ」
警部は伊藤に指を指しながら言った。伊藤は元気な新人が入ってくるとは聞いていたが、驚きを隠しきれていなかった。
「よろしくお願いします」
村上が頭を下げながら伊藤に言った。
「ああ、よろしく。君のデスクはこの隣だ。適宜使ってくれ」
村上の声量に押されながらも、伊藤は低い声で答えた。
「伊藤先輩って、めちゃめちゃ優秀なんですよね?この前、表彰されてましたし」
村上は荷物を机に置いた瞬間、伊藤に言った。
「あれは、たまたま俺の推理が当たっただけだよ。早速だけど、この資料まとめてくれるかな」
早く村上との会話を終えたかった伊藤は村上に仕事を与えて、椅子から立ち上がった。
「意外と刑事もデスクワークが多いんですね!」
伊藤が部屋を出るギリギリまで村上は何か喋っていた。伊藤は何も答えなかった。
伊藤は同期の捜査一課の刑事と一緒に、外の自販機で一服することにした。
「なんだよあいつ!無駄に馴れ馴れしいな!」
伊藤が缶コーヒーのプルタブを開けながら言った。
「おい、これブラックかよ。苦いのは飲めないんだよ」
伊藤はコーヒーに怒りをぶつけていた。
「まあ、落ち着けよ。お前も最初はあんな感じだったぞw」
同期の刑事が落ち着いた口調でなだめる。
「てか、なんで俺が教育係なんだよ!」
伊藤はそれでもイライラを隠し切れなかった。
「それだけお前が、警部に信頼されてるんだよ」
そう言って同期の刑事は伊藤の肩を数回叩いた。そのまま署内へと戻って行った。
「へー。そうかw」
伊藤は苦笑いをした。同期の刑事について行って、伊藤もオフィスに戻った。
伊藤がオフィスに戻ってからしばらくすると、デスクに置いてある固定電話が鳴った。すぐに警部が受話器を取り上げた。
「ああ、分かった。すぐに捜査員を向かわせる」
警部が電話越しに言った。
「都内のアパート内の一室で、女性の遺体発見だ。すぐに現場に向かうぞ!」
警部が全員に呼びかけるように言った。
「はい!」
伊藤と村上は揃って返事をした。
「今回は伊藤と村上で現場に向かってくれ。村上は初仕事だな!」
警部が伊藤と村上の方を見ながら言った。
伊藤は一瞬嫌な顔をしたが、二人は一緒に署の外まで走って行った。
「村上は助手席に乗れ!」
村上がドアを開けて乗り込んだ瞬間、伊藤はアクセルを踏んで覆面パトカーを走らせた。
「村上!パトランプを出してくれ!」
伊藤は的確に村上に指示を出した。
「わかりました。これですね」
村上も素早く行動し、これに答えた。緊急走行はかなりの運転技術が求められる。伊藤のハンドル捌きは誰が見ても、見事なものだった。
現場に着くと、伊藤はすぐに覆面パトカーを路肩に停めて降りた。
「ここだ!降りよう」
伊藤と村上は覆面パトカーを降り、規制線の向こう側に入った。現場は比較的新しいアパートの二階の一室。
「第一発見者は?」
伊藤が先に現場に着いていた警察官に尋ねた。
「殺された女性の愛人だそうです。その方が発見した時には、もう息はなかったそうです」
警察官が手元のメモを見ながら伊藤に言った。
「なるほど。その愛人に話が聞きたい」
伊藤が警察官に言った。
「おいちょっと待てーーー‼」
伊藤が突然叫んだ。視線の先には村上がいた。
「まだ鑑識が現場検証中だ!うかつに現場に入るな!現場を荒らすな!」
伊藤が首の血管を浮かび上がらせながら言った。
「す、すみません」
村上が現場から離れながら言った。
「現場は刑事にとって命だ!簡単に入るんじゃね!」
伊藤が村上に再度言った。その後、二人は一緒に殺された女性の愛人だという男に話を聞いた。
「あなたが女性の遺体を発見した時、彼女はどんな状態でしたか?」
「え〜と。確か、あの畳の部屋に横向きに倒れていました。何度か声をかけたんですが、まったく反応がなかったので、救急車を呼びました。そしたらこんなことに……」
愛人の男性は淡々と話した。
「他に気になった点は?」
村上が話に割り込むようにして聞いた。
「特には、無かったと思います」
愛人の男性はサラッと答えた。
「なるほど。ありがとうございました」
伊藤が愛人の男性に言った。二人は男性にお礼を言って、すぐに現場を離れた。
「犯人は愛人の男で決まりだな」
伊藤が村上の小声で言った。
「どうしてですか?」
村上が不思議そうに尋ねた。
「刑事の勘ってやつだよ」
伊藤は、刑事ドラマの主人公が言いそうなセリフで返した。
そんな話をしながら二人は警察署に戻った。
二人がオフィスに戻ると、刑事たちの間には真剣な空気が漂っていた。
「何か収穫はあったか?」
同僚の一人が伊藤に尋ねる。
「何もない。でも、強いて言うならこれは他殺で間違いない。何者かによるの毒殺だな」
伊藤が言い切った。
「よし。これより、この事件の捜査に入る。全員、女性の周囲の人間の動きを徹底的に洗ってくれ」
全員が一息ついてから、警部が真剣な表情で言った。
「はい」
この場にいる全員が一斉に返事をした。その瞬間、全員が散り散りになり、聞き込みをしに行った人や、過去の資料を漁る人などさまざまな捜査が始まった。
伊藤たちはデスクで自分たちのノートパソコンを開き、過去の資料を調べてみることにした。
数日後の夕方、伊藤の同僚が急いで部屋に入ってきた。
「おい。犯人が判明したぞ‼︎」
伊藤と村上は作業の手を止めて、その刑事の方を見た。
「誰だったんだ?」
伊藤が食い入るようにして聞いた。
「やはり、犯人はあの愛人の男だった。結局、取り調べで自供したよ。喧嘩をしたから飲み水に毒を入れて殺害したらしい」
同僚は息を切らしながら言った。
全員にホッとした表情が伺えた。事件が解決したので、伊藤と村上は机に広げていた資料をかき集めて片付けを始めた。
「よかったですね、解決して」
村上が言った。
「解決するのが当たり前だ!」
伊藤が自慢げに言う。
「先輩!この後、一緒に飲みに行きませんか?しばらく家に帰ってないですよね?」
村上が突然切り出した。
「明日も仕事だ!それから、俺はあんまり酒を飲まない」
伊藤が嫌々答えた。
「そんな〜。飲みに行きましょうよ!」
村上は甘えた口調で言った。
「はー。今回だけだぞ」
伊藤は仕方なく承諾した。
「まずは資料を全部、片付けるぞ!」
「はい」
村上はその言葉を噛み締めるように、キレ良く返事をした。
二人は伊藤が行きつけの新しくも古風な見た目の居酒屋で飲むことにした。店内は一般的な居酒屋よりも少し騒がしく思われ、若いお客さんも多い。
「第一に愛人を殺すなんて、あり得ないだろ!彼女ができない男だって、この世界にはたくさんいるのに。とんだ贅沢だ!」
伊藤がヘロヘロになりながら言った。
「先輩!まだ一杯目ですよね!?︎ 酔いすぎですw」
村上が笑いながら言った。
「ていうか、先輩彼女いないんですか?w」
「もう十年くらい、いないかな……」
伊藤が不貞腐れながら言った。
「私も今、誰もいないんですよ!」
その言葉を皮切りに伊藤と村上の会話が止まった。伊藤が何か別の話を繰り出そうとしていた、その時だった。
ドー〜ーーン!!!
店の外で大きな爆発音がした。二人と同じく、多くの客が店にいたので店内は想像以上に騒がしくなった。
「向かいの店が燃えてるぞ!」
客の中の一人が叫んだ。客たちが指差す方向を見ると、そこには真っ赤な炎で包まれた建物があった。
「村上!行くぞ!」
伊藤は一瞬にしてお酒が全て抜けたかのように気持ちを切り替えて、店の外に走って行った。近くまで行って詳しく店を見ると、燃えているのは居酒屋から道路を挟んだ向こう側の場所に、最近開店したばかりのハンバーガーを扱う飲食店だった。
「おい、子どもが中から出てきたぞ!」
伊藤たちよりもいち早く現場にいた男が叫んだ。二人はすぐに子どもの元へ向かう。
身につけている服を見る限り、おそらく高校生くらいの男子生徒。
「ゆっくり呼吸をして」
村上が男子生徒の背中を優しくさすりながら言った。
「君の他に誰か中にいるか?」
伊藤が聞いた。
「三十人くらいクラスメイトが中に……」
男子生徒が荒い呼吸の中、食いしばって言った。
「この火だと救出は難しいな。消防を待とう!」
伊藤が炎の様子を観察しながら言った。
「わかりました」
村上がキレ良く返事をした。
「男……クラスの男子が……爆発の直前走って店の外に出ていきました」
男子生徒が最後の力を振り絞って言った。その後、男子生徒は一時的に意識を失ってしまった。
「聞いたか?」
伊藤が村上の目をまっすぐ見て言った。
「はい。その男子生徒が怪しいですね」
すぐに消防や警察が駆けつけて消火と救助にあたった。
結局、その爆発に巻き込まれてその店の店員二人と、文化祭の打ち上げをしていた高校二年生の計二十九人が死亡した。
次の日の朝、今回の事件は国民の生活を揺るがす重大な案件として、捜査本部が警視庁内の会議室につくられた。伊藤たちも北川警察署から警視庁に集合し、会議室の机に並んで座っていた。
「今回の爆発事件の捜査は爆発当時、現場に居合わせた伊藤巡査と村上巡査を中心に捜査を行う。現場から爆発する直前に、男子生徒が逃走している。まずは、その男子生徒の行方を追ってくれ!」
警視庁捜査一課の警部が芯の通った声で言った。
「はい!」
その場にいた刑事たち全員が声を揃えて、キレの良い返事をした。その後、刑事たちは立ち上がり、一斉に会議室の外へ走って行った。
「俺たちも行くぞ!」
伊藤が村上に言った。
「はい!」
二人は警視庁の地下駐車場に止めた覆面パトカーに乗り込み、死亡した生徒たちが通っていたという都内の高校へ向かった。
<証拠と現象>
「かなり大きな学校みたいですね」
現場に着くと村上が辺りを見回しながら言った。
「都内では有数のマンモス校だ。生徒数は千人を超える。入るぞ!」
伊藤は大きな鉄の校門をスライドさせながら言った。校舎に向かってしばらく歩くと、玄関から男の先生が出てきた。
「この高校の教頭をしています。角田です」
教頭は二人の目の前で立ち止まり、深くお辞儀をした。
「今日はお時間をお取りいただき、ありがとうございます。北川警察署捜査一課の伊藤と、こちらが部下の村上です」
伊藤はそう言いながら村上を紹介した。
「よろしくお願いします」
村上が教頭に向かって言った。
「例の事件についての捜査ですよね?こちらへどうぞ」
そう言われて二人は学校内の小さな会議室へ案内された。会議室の周りは人気が少なく、暗い雰囲気だった。
「どうぞ、お座りください」
教頭は二つのパイプ椅子を手のひら全体で指し示しながら言った。二人はパイプ椅子に座ると同時に、スーツの胸ポケットから手帳を取り出した。
「早速ですが、今回の事件で亡くなられた生徒が所属していたクラスの他の生徒に会わせてください」
伊藤が落ち着いた口調で言った。
「ああ。今日はそのクラスは学級閉鎖となっているので、学校には来ていません。なにしろ、残った生徒は三人だけですから……」
教頭は皆まで言わなかった。
「そうですか……ではその残っている生徒の住所を教えてください」
伊藤はしばらく考え込んだ後、教頭に言った。
「分かりました。しばらくこちらでお待ちください」
教頭はそう言って会議室を出た。
「あの男子生徒は『クラスメイトが逃げた』と言っていましたから、残された三人の中の誰かが怪しいですね」
村上は伊藤に自分の見解を話した。
「この後、三人の家に行って詳しく話を聞こう」
「お待たせしました」
教頭が、A4サイズに活字で三人の住所が印刷された紙を持って来た。
「こちらになります」
「ありがとうございます」
村上はその紙を両手で丁寧に受け取った。
「それでは、私たちはこれで失礼します」
伊藤はそう言って、会議室の出口の方に歩いて行った。
「もしかしたら……」
教頭が突然言った。
「何ですか?」
伊藤が教頭の方を振り返りながら言う。
「もしかしたら、"吉沢"くんかもしれません……犯人は……」
「それはどうして?」
村上が聞いた。
「吉沢くんは前科があるんです。万引きとか……」
教頭は自信がなさそうに二人に言った。
「なるほど。参考までに耳に入れておきます。それでは、失礼します」
伊藤は再度、挨拶をして村上と高校を後にした。
その日の内に二人は教えてもらった住所を頼りに、三人の生徒の自宅へ向かった。
ピーンポーン
伊藤はインターホンを鳴らした。すぐに部屋の奥からエプロンをつけた女性が、ドアを開けて出てきた。
「警察です。"石井"くんはいらっしゃいますか?」
伊藤が女性に言った。
「いますけど。急に何ですか?」
「クラスメイトのことについて、少しお話を伺いたいと思いまして」
伊藤は、冷静に訳を話した。
「わかりました。大和!降りてきなさい!警察の方がお話を伺いたいって!」
女性は家の中に向かって大声で叫んだ。すると、男子高校生が二階から足早に降りてきた。
「石井大和です。お話って?」
階段から降りて来た男子高校生が言った。
「昨日の平日に文化祭の打ち上げがあったと思うんだけど、どうして君は参加しなかったのかな?」
その質問に大和は、その場で少し考え込んだ。
「そ、その日は塾があって。そ、それで参加できませんでした」
少し早口で大和が言った。
「本当にそうですか?」
村上が大和を疑うように言う。
「本当ですよ!なあ、母さん!」
大和はかなり焦っている様子だった。
「はい、大和は平日の放課後は毎日、近くの学習塾に行っているはずですが……」
大和の隣にいた母が言った。
「んん」
村上が首を傾げた。
「そうですか。ありがとうございました。それでは、失礼します」
伊藤は丁寧に二人に挨拶をしてから、村上を連れて門の外に出た。
次に訪ねる生徒の自宅は大和の家から歩いてすぐの場所だったので、歩いてその家まで向かった。
しばらく歩くと、次の生徒の家に着いた。
「まったく庭が整備されていませんね」
草が無造作に長く伸びきっている庭を見ながら、村上が言った。門にかけてある標識には"吉沢"の文字。
「本当にここに人が住んでいるのか?」
伊藤が建物全体の様子を見回しながら言う。
「確かに、住所はここで合ってるみたいです」
村上が先ほど学校で貰った紙を見ながら言った。
伊藤がチャイムを鳴らしたが、音が出なかった。
「誰かいませんか?」
伊藤が扉を叩きながら叫んだ。
「誰もいないな……」
「高校が学級閉鎖中なのに、家にいないのは怪しいですね」
村上が伊藤に言った。
「そうだな。親御さんも家にいないようだし、今日のところはもういいだろう」
そう言って伊藤と村上は車へと戻っていった。
続いて二人は三人目の生徒の自宅へと向かった。
最後の生徒はチャイムを鳴らすとすぐに玄関のドアを開けて、外まで出てきた。
「刑事さんが僕に何の御用ですか?」
家の中から出て来た男子生徒が伊藤に言った。彼からは暗い雰囲気が、ヒシヒシと漂っていた。
「"阿部"くんでいいかな?君に伺いたいことがあって、今日は来ました。先週の平日にクラスで文化祭の打ち上げがあったと思うんだけど、どうして阿部くんは参加しなかったのかな?」
伊藤が阿部に丁寧に尋ねた。
「え、打ち上げがあったんですか?」
阿部は顔を丸くしていた。
「聞かされてないの?」
村上が伊藤の後ろから顔を出して阿部に尋ねた。
「僕、陰キャだから誘われなかったのかなww」
阿部は不気味な雰囲気で微笑みながら言った。
「じゃあ、最近何かクラスでいつもと違うことがあったりしなかった?」
伊藤が阿部に間髪入れず、二つ目の質問をした。
「ああ、え〜と」
阿部は返答に困っている様子だった。
「吉沢くんって、クラスではどんな人なの?」
また村上が割り込んで質問をした。
「吉沢くんのクラスに対しての態度が、とても悪かったことは言えると思います。彼も打ち上げに誘われてなかったみたいだし……」
「そうなんですか」
村上が驚きながら言う。
そう言って伊藤と村上は足早に車へと戻って行った。
「今どきの高校生は、あんな暗いやつばっかりなのか?」
伊藤が村上に小声で言った。
「クラスに一人くらいは、ああいう"陰キャ"がいるもんなんですよ!」
村上が苦い顔をしながら言った。
次の日から二人は警視庁に保管されている資料を漁りまくった。吉沢の前科を辿れば、事件の解決に少しでもつながると思った。
「吉沢はかなりの数の前科を持ってますね」
村上が手元の資料を確認しながら言った。
「万引き、暴行、深夜徘徊、犯罪の限りを尽くしてるな……」
伊藤は呆れるように村上に言った。
「いち早く何か証拠を見つけて、身柄を確保したいですね」
そんな調子で二人はここ三日間は警察に保管されている吉沢の資料をかき集めて、一つ一つ確認した。
「やはり、石井が通っている塾の先生に事件当日の出席情報を確認してみたら、石井くんは塾に来ていないとのことでした」
伊藤の隣のデスクで電話をしていた同僚の刑事が言った。
「怪しいのは石井と吉沢か……」
伊藤が一点を見つめながら一人で言う。
そんな話をしていると、廊下から誰かが大きな足音を立てて走ってきた。次の瞬間、一人の刑事がドアを突き破って入ってきた。
「おい!石井くんが……石井が殺された!」
その刑事が息を切らしながら言った。
「なに!」
伊藤が無意識に立ち上がりながら言った。二人は目を見合わせた。そのまま何も言わずに、現場へ向かった。
現場の市民公園にはすでに規制線が貼られていて、物々しい雰囲気が充満していた。
「警察です!道を開けてください!」
伊藤はそう叫びながら野次馬をかき分けて、中に入って行った。そこには公園のベンチに寝転がるようにして倒れ、腹部から血を流している石井の姿があった。
「なんで……どうしてうちの子がこんなことに……」
規制線の外で、石井くんの母が泣きながら警察官に訴えている姿が見えた。
「村上!石井くんのお母さんの方に行ってやってくれ」
伊藤は村上を石井の母の元に行かせた。
「お母さん。落ち着いてください」
村上はなんとか石井の母をなだめた。
「息子を……息子を返してください……」
そのまま、村上は石井の母の背中をなで続けた。
「どうして石井くんがこんなことに?ターゲットを変えたのでしょうか?」
その場に居合わせた刑事の一人が伊藤に質問した。
「爆破事件の延長線だと言っていいだろう。石井は怪しいと思っていたが、それは違うようだな。一刻も早く犯人を突き止めないと」
<混乱とその時間の差>
次の日から、伊藤と村上は吉沢宅の前に車を止めて張り込みをしていた。
「流石に長丁場ですね」
村上が吉沢宅を凝視しながら言った。
「張り込みは忍耐だ。ちゃんと食べるものと飲み物を持って来たか?一週間は普通だな」
「え、そんなに長くなるんですか⁉︎何も持って来てないです」
村上は開いた口が塞がらなかった。
「俺のあんぱん食うか?」
伊藤は自分の手元のあんぱんを村上の目の前に差し出しながら言った。
「大丈夫です。これくらい我慢します」
村上は照れながら答えた。
張り込みを始めてから二時間ほど経過した頃、吉沢に動きがあった。
「吉沢が自宅から出て来ました」
村上が伊藤に言った。
「追うぞ!」
そう言って伊藤は車をゆっくり走らせた。そのまま歩いてどこかに向かう吉沢を、二人は追った。
「空地に入ったな」
「誰かと待ち合わせでもしているんでしょうか?」
伊藤と村上はお互いの顔を見合わせた。
「車から降りろ」
伊藤はそう言うと颯爽と車のドアを開けて、空地の中へ走っていった。
「あの黒ずくめの男は誰だ?」
伊藤が独り言のように言った。村上もすぐに伊藤に追いついて、一緒に吉沢の様子を伺った。
空地の中央で黒ずくめの男に話しかけられた吉沢は、どこか動揺している様子だった。二人が話し始めてから約一分後、突然吉沢が黒ずくめの男の胸ぐらを掴み、揉み合いを始めた。
「揉み合ってますね」
村上が小声で伊藤に言った。
「ああ、もう少し様子を見るぞ!」
伊藤は冷静に返した。
しばらく揉み合いが続くと、黒ずくめの男が背負っていたリュックの中から少し大きめのハンマーを取り出した。そして男は躊躇なく、吉沢の頭部の前側をハンマーで殴った。そのまま吉沢は後ろ向きに倒れた。
「伊藤さん!行かないと!」
村上はそう言って男の方に走って行こうとした。しかし、伊藤がすぐに村上の右手を掴んでその動きを静止した。
「待て!今行ったら、お前も襲われるぞ!」
村上の手を引っ張って物陰に引き戻しながら言った。
「でも、吉沢くんを助けなけないと」
「ダメだ。犯人がどこかに行くまで待て!」
伊藤は必死に村上を押さえた。黒ずくめの男は周りに目撃者がいないか周りを見渡した後、歩いて現場から逃走した。
「行ったか……」
伊藤は男の様子を最後まで観察しながら、ため息をつくように言った。
「吉沢くん!」
村上はすぐに走って倒れている吉沢の方へ向かった。村上は吉沢の肩を必死に、何回も強く叩いた。
「吉沢くん!吉沢くん!」
「待て村上!お前は警察官だろ!まずは被害者の意識と怪我の状態を、冷静に判断しろ!」
ゆっくりと村上の方に向かって来た伊藤が、説教に近いニュアンスで言った。
「はい。もう脈はありません。救急車と応援を呼びます」
村上は大粒の涙を流しながら、吉沢の状態を確認した。
「それでいい……」
伊藤のその言葉はどこか重く、どこか悲しそうだった。
すぐに警察の応援が駆けつけて現場検証が行われた。結局、吉沢は運ばれた病院で死亡が確認された。
<事後の解釈と認識>
二人はそのまま警察署に戻り、仮眠室で仮眠を取ろうとしていた。
「どうしてあの時、伊藤さんは私を止めたんですか?」
眠りにつこうとベットに寝転がった伊藤に、村上が尋ねた。
「お前があのまま犯人に突っ込んでいったら、危険だったからだ。犯人は凶器も持っていたし」
伊藤は真剣に答えた。
「私は警察官です。それくらい対処できます!」
村上は感情的に伊藤に訴えかける。
「そうかも知れないが、お前のための判断だった……」
伊藤は下を向きながら言った。村上の顔を見ることができなかった。
「そんな人だったんですね。伊藤さんは……」
村上は冷淡な口調で言った。そのまま村上は早歩きで、どこか別の部屋へ行ってしまった。
吉沢が殺されてから一週間後の昼頃、北川警察署捜査一課宛に一本のメールが届いた。伊藤はメールを開きつつ、捜査一課のみんなを集めた。そして、メールの内容をみんなに向けて読み上げた。
「『今日の夜八時に高校の体育館に一人で来い。』と言う脅迫電話が自宅にきました。電話を掛けてきたのは、おそらく今回の事件の犯人からだと思われます。メールの送り主は阿部……」
「阿部くんじゃないですか!あの陰キャの!」
村上が驚きながらも伊藤に説明した。伊藤は一瞬忘れかけていた阿部の存在を思い出した。
「犯人はクラスの人間じゃない。最後に阿部を殺して、この事件を終わりにするってことか」
伊藤が何度か頷きながら言う。
「阿部くんに電話を掛けろ。自宅で待機させろ!絶対に家から出るなと!」
伊藤が近くにいた刑事に頼んだ。
「よし。我々で現場を押さえるぞ」
警部が伊藤に冷静な口調で言った。
「このまま学校で待機していても、犯人は現れない。犯人を誘き寄せるためには、阿部くんと似た背格好の警察官がおとりになる必要があるな。村上、いけるか?」
伊藤は村上の方を向き直りながら言った。
「もちろんです。必ず犯人を逮捕してみせます」
村上の表情は真剣そのものだった。
「俺たちも体育館の外で待機している。安心して任務にあたれ。すぐに準備をして全員、高校に向かうぞ!」
「はい!」
刑事たちがいつもよりいっそう声を張り上げて言った。
<最後の裏切り>
伊藤と村上が準備を済ませて体育館に着いた時には、すでに多くの私服警察官が高校の周りを取り囲み、物々しい雰囲気が漂っていた。
「誰かと連絡しているのがバレると困るから通信機器は中に持ち込めない。通信機器は俺が預かる。何かあったら俺も飛び込むから安心しろ」
伊藤は村上の変装を整えながら語りかけた。
「はい!最善を尽くします」
村上の返事は自信に満ち溢れていた。村上は伊藤に向かって敬礼をした。
「行ってこい!」
そのまま伊藤は、村上を押し出した。
警部の合図と同時に、村上は体育館の引き戸を開けて中に入った。かなり立て付けが悪い。
「誰もいない……」
小声で言いながら村上は中へ入って行った。足音を立てないようにゆっくり歩いていく。
村上が体育館の中央あたりに来た時だった。後ろから誰かに手で押され、前に突き倒された。犯人と思われる人物は、村上の上に馬乗りになった。体育館は明かりがなく暗いので、犯人の顔が良く見えない。犯人はナイフを取り出して、その先端を村上の喉に両手で押し当てた。村上は自分に近づいてきた顔をよく観察した。
「阿部くん?」
村上が犯人に聞いた。
「お久しぶりですね。村上さん」
阿部が小さく笑いながら言った。
「俺が、クラス全員殺してやった」
「は、どうしてそんなことを……」
村上が喉に向けられたナイフを、力いっぱい押し戻しながら言った。しかし、今にも村上の喉にナイフが刺さりそうだ。
「まあ、遊びかな?」
阿部も力を振り絞りながら村上の喉にナイフを刺そうとした。
「そんな理由で人を……」
呼吸を荒くしながら村上が言う。
次の瞬間、外で物音がしたので阿部の力が緩んだ。それを見抜いた村上がナイフを押し戻し、すぐに阿部から離れた。村上は立ち上がり、阿部の方を向いて臨戦態勢に入った。
「おっと、それ以上俺に近づいたらこの体育館は爆発するぞ!」
阿部がポケットから、起爆スイッチと思われる装置を取り出して言った。村上は流れを乱すことなく、冷静に銃を取り出して阿部に向かって構えた。
「高校生相手に拳銃か。打てるもんなら、撃ってみろ!」
阿部は笑いながら体を大の字に開いた。
バン!!!
大きな銃声が体育館に響いた。村上は拳銃を持った手を下に下ろした。
「村上!」
伊藤が扉を開けて体育館の中に入って来て、村上のそばに駆け寄った。
「伊藤さん。私……」
村上は立ったまま涙ぐんでいた。その場から動けなかった。
「何も言うな!その銃を俺に貸せ‼︎」
伊藤は村上から銃を奪い取ろうとした。
「渡せません。私が、阿部を撃ったんです」
村上は泣きながら必死に抵抗した。
「お前の上司の命令だ。早く渡せ!」
伊藤は村上から銃を奪い取った。
「早くここから離れろ!」
伊藤が叫んだ。
「でもそしたら伊藤先輩が……」
村上が振り返って言った。
「言っただろ。現場は命だ!簡単に入るんじゃねえ!いいか、警部にはこう伝えろ『伊藤さんが、撃った』と」
そこには何度も聞いたセリフを、いつも通りに言う伊藤がいた。
「行け!必ずいい刑事になれよ」
伊藤は軽く微笑みながら言った。村上は涙を堪えながら体育館を出た。
その後、すぐに他の刑事たちが入って来て伊藤と阿部を取り押さえた。
その後、伊藤と村上が会うことは二度となかった。村上が同僚から聞いた噂によると、阿部への発砲は伊藤の正当防衛として認められ、処分としては捜査一課からの部署の異動だけで済んだようだ。
そして、伊藤は新たに"サイバー犯罪対策課"に配属された。
数ヶ月後、伊藤はエアコンの効いた、涼しい新しいオフィスで作業をしている。ある程度の広さがある部屋の中には、パソコンやディスプレイがびっしりと並べられていた。伊藤が一仕事終え、パソコンを閉じると部屋のドアを開けて一人の女性の警察官が入ってきた。
「本日からこちらのサイバー犯罪対策課でお世話になります、"松田芽依"です。よろしくお願いします!」
女性はよく通る声で、部屋全体へ向けて言った。
「松田くんの指導係は……伊藤くんでいいかな?」
サイバー犯罪対策課の警部が伊藤に尋ねた。
「はい。分かりました」
伊藤は快く承諾した。
『また伊藤の一日が始まったようだ』




