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03.

 父の命令を拒むことを決めてから七日後、灯里は密かに、しかし着々と離脱の準備を進めていた。

 もともと私物が少ないこともあり、荷造りに手間はかからない。昼間に授業を受けながらでも、数日でそれは完了してしまった。

 現在は「怜」が住みやすい場所を探してくれるとのことで、その続報を待っている最中だ。

 灯里が今後どうするかを「怜」に伝えたところ、彼女は住めそうな下宿先を探してみるとの返事を返してくれた。

 その心遣いに驚き、そんなにお世話になっていいのかと恐縮する灯里だったが、他に頼れる人もおらず、結局その好意に甘えることにする。

 実利的な支援だけではない、誰かが自分を支えてくれるという心強さで、最近は加奈子の嫌がらせも前ほど気にならなくなっていた。


(信じられる人がいる……。たったそれだけのことで、こんなにも安心できるなんて……)


 灯里の髪には、「怜」から贈られたかんざしが付けられている。

 そのかんざしを身に着けていると、今まで前を向けなかった自分の心に、勇気の火が灯るような気がした。

 ──大丈夫。これからの生活は、きっと前より素晴らしいものになる。

 そんな軽やかな気持ちで日々を過ごしていた灯里だが、ある日突然、平穏は破られることになる。

 それは、父が灯里の就職を命じてから三週間後。すでに陽も落ちた、日曜の夕刻過ぎのことだった。


「四条家の養子の、灯里という女学生はお前か」


 ドカドカと大きな足音がしたかと思うと、灯里が暮らす寮の部屋に二人の男が押し入って来た。

 二人とも詰襟の軍服を着込み、頭には軍帽、腰にはサーベルを差している。

 物々しい雰囲気。身なりからしておそらくは軍人。ということは、彼らは父の関係者だろうか。

 ただ、二人は父と同じように灯里には関心がない様子で、「何かご用でしょうか」と問う灯里に冷淡に告げた。


「予定が早まった。今からお前を陸軍の術式研究所に連れていく」


「えっ」


 男のうちの一人は、言うや否や灯里の腕をつかんで引き寄せた。


「い、痛っ、や、やめて下さい!」


 灯里は声を上げ、とっさに腕を抜く。

 男は灯里の抵抗に苛立った様子を見せ、今度はさらに強い力でつかんできた。


「大人しくしろ。それとも痛い目を見てから連行されたいか」


「な、何を言ってるんですか」


 粗暴で無礼な言動に、灯里は思わず聞き返してしまった。

 どう見ても華族の娘に取る態度ではない。だいたいこれでは拉致も同然ではないか。


「は、離して下さい。私は行くつもりはありません。あまり乱暴がすぎると、父に……い、言いつけますよ」


「……何だと?」


 父の身分を盾にするやり方は気が乗らなかったが、他に方法も見当たらない。灯里は仕方なく壮馬の名前を出して、彼らを退がらせようとした。

 だが、男たちは灯里の言葉を鼻で笑うと、驚くべき事実を口にする。


「これは壮馬氏の指示によるものだ。俺たちは彼の命を受けてここに来ている」


「えっ」


「それに、告げ口などしても無駄だぞ。拒むようなら二、三発、殴りつけてでも連れてこいと言ったのは、あの人なんだからな」


「なっ……」


 灯里は愕然とした。

 父に愛されていないことはわかっていたが、そんなひどい扱いを許すなんて。

 ただ、灯里のことを何とも思わない一方で、どこか急いで灯里を連れて行こうとするのは何故なのか。

 ますます怪しく、不穏な気配がただよう。灯里はショックを受けながらも、これは何としても逃げなければと、強い危機感を覚えた。


「さぁ、早くしろ!」


 男たちは灯里を連れて行かんと再度手を引くが、しかし灯里は全力でそれに抵抗した。

 きゅっと目を閉じ、かがんで身を縮こまらせる。

 空いた方の手は腹部を押さえ、そこを殴られるのを覚悟するかのように。

 たとえ暴力を受けても、言いなりになるつもりはない。

 そんな灯里の気概を感じ取ったのか、男はつかんだ手の力を緩めた。

 だが、任務を諦めたのではない。灯里の手首を握った男は何かを思案する表情になると、今度は(から)め手で彼女の心を突き崩そうとした。


「……そうやって頑として動こうとしないところを見ると、お前は何も聞かされていないんだな。哀れな娘だ。利用されているだけとも知らずに」


「ど……どういう意味ですか」


 灯里は問う。男は食いついたと言わんばかりの顔になり、口角を上げた。


「お前、自分では四条の娘のつもりかもしれないが、壮馬氏はお前を娘にしたとは最初から考えちゃいないんだよ。彼が欲しているのはお前の体。その肉体に備わった豊潤な霊力のみだ」


「……え?」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 自分の体。それに何が備わっているというのか。霊力とは、一体何のことだろう。

 頭で理解しようとしても、心が拒んでいた。今の言葉、聞いてすべてを理解してしまえば、耐える心が折れてしまう、何故だかそんな予感がした。


「お前は最初から、軍の研究材料になるために引き取られたんだよ。おかしいとは思わなかったのか? 四条家に何のゆかりもないみなし子が、そこの娘になるなんて。人に備わる霊力が最も高まるのは、十代後半から二十代にかけての頃。壮馬氏がお前を女学校に入れたのも、恩を売ってその年になるまで逃がさないためなんだよ」


「研究……材料……?」


 だが、男の言葉はそんな灯里の予感を踏み越えてくる。

 男は続けて灯里に言った。「お前は華族の娘なんかじゃない。軍の研究に使われる、(にえ)にすぎないんだ」と。


 贄。いけにえ。供え物。

 この場面ならば、軍へ供じる実験動物と言った方がより正確だろうか。

 つまり灯里は人としてですらなく、ただその身体を利用するために生かされてきたということ。


「……嘘」


「嘘なものか。今までの扱いを考えればわかるだろうが。下層の娘をわざわざ保護する理由なんて、他にあるか?」


 軍の男は、灯里の心情などお構いなしに、むしろ彼女を傷つけるために、その残酷な事実を突き付けていく。

 膝が震え、足元がふらついた。

 今までの扱い──その言葉に、確かにそうだ、と彼女の心は迂闊にも納得してしまっていた。


「我らの国が異国と渡り合うには、古来からの契約による術式では力が足りない。近年では、あやかしを捕えて利用する研究も始まっているが、小賢しいことに奴ら徒党を組んで歯向かってきやがる。そこで目を付けたのが、お前のような霊力の高い子供というわけさ」


 男は軍の内情を語って聞かせるが、すでに灯里の耳には届いていなかった。


(贄……生贄って……私は、そんなことのために引き取られたというの……? 自分の体を、軍隊の……怪しげな力に使うために……)


 血のつながった家族と同じになれると思っていたわけじゃない。

 父のことを怪しんでいても、そこまでとは思っていなかった。

 けれど、用意された居場所すら、(おり)と同じだった。

 自分は単なる物と変わらない。家畜かそれ以下のものとみなされていたのだ。

 霊力というものが本当に己の身体に備わっているのか。どうしてそれが父にわかるのか。孤児院にいた頃、軍の者が密かに灯里の霊力を測定した、たとえばそんな経緯なのだろうか。

 詳細はともあれ、男の話した事実は、今まで耐え忍んできた灯里の心をくじかせるには十分なものだった。

 その場に立っていられなくなり、膝をつく。それを見て、男たちはニヤリと笑みを浮かべた。


「わ、私は……その研究所で……どうなるんですか……」


「心配するな。それなりの食事と寝床くらいは用意されるだろうさ。お前は大事な研究材料だからな。もっとも、それは従順であればの話。脱走でもしようとすれば、被検体は即座に殺処分だ」


 研究材料、被検体、殺処分……。男たちの言葉の一つ一つが、容赦なく灯里の心をえぐっていく。

 そして、絶望の沼にはまり込んだように、彼女の気力は萎え、体を動かすことができなくなっていた。


 一方、その様子を見て、男の一人は舌打ちをした。


「なんだ。抵抗をやめたらやめたで立つ気力すらなくなったか。いちいち面倒な奴だな」


 狩りの獲物を吊るすように、彼は灯里の腕を持って引き上げようとする。

 灯里はそれに抗うことなく脱力し、瞳の奥に涙を光らせた。

 「助けて」と叫ぼうとしても、それを伝える相手もいない。萎えた気力が声を発することすらできなくさせていた。


 ──その時だった。


 キィン──と、耳鳴りのような音がした。

 同時に、灯里の髪に刺さっていた髪飾りが光を放つ。

 それは「怜」から贈られた竜胆(りんどう)のかんざし。

 そのかんざしを起点として、光は一気に広がりを見せると、室内は昼の明るさまでになった。


「なっ、何だっ──!?」


 男は怯み、つかんだ手を離す。

 光だけではない、どこから舞い込んだのか、いつの間にか部屋には無数の花びらが舞っていた。

 男たちを拒絶するように風が吹き、花は螺旋を描いて回る。

 その場の全員が目を覆い、風と光が収まって、再びまぶたを開いた時──そこには一人の青年が、灯里を守るように立っていた。


「だ、誰……」


 灯里がつぶやく。

 その青年は、真っ白な正絹の羽織をまとっていた。

 背は高く、輝くような銀髪は腰まであり、瞳は彼岸花のように赤い。

 鼻筋は通り、顔だけ見れば女性とも見紛う美しさ。けれど、細身ながらも肩幅の広い体つきは、相応の勇壮さも感じさせるもので。

 青年は灯里へと振り返り、穏やかな声で問いかけた。


「四条灯里さん、ですね」


「は、はい」


 その微笑みは、柔らかな日差しのようだった。

 会ったこともないはずなのに、灯里のことを知っているような、慈しむような表情と話し方。

 そして、彼は言った。灯里がよく知る名前を。

 自らの本名に続けて、いつも灯里が目にしていた、貸出しカードのあの文字を。


「私は、(たつみ) 白怜(はくれい)。──あなたと幾度も文を交わした、『怜』です」

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