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02.

 そうして灯里は「怜」との文通を開始した。

 住所も本名もわからない、ミステリアスな人物とのやりとり。

 傍から見れば怪しさしかない状況だが、灯里は気にすることなく、ただ純粋に同好の士と語りあえることを喜び、期待に胸を膨らませた。


 お互いの手紙は、「怜」の知り合いである先の司書を介して渡されることとなった。

 眼鏡をかけたその男性司書は、名を山城恭二といった。

 彼が快く中継を請け負ってくれたことに、灯里は安堵し、感謝する。


「ええと、最初は何を書いたらいいのかしら……。そうね、まずはお礼と謝罪と、それから私の身の上かな。少なくとも怪しい者じゃないですよって、わかってもらわなくちゃ」


 最初の手紙に、灯里は改めて自分の氏名と素性、それから何回も先方と同じ本を借りた偶然について書き記した。

 ──どうしてなのかはわかりませんが、私が借りる直前に、いつもあなたの名前があったのです。

 恋愛小説がお好きなんですか。私もなんです。好みが似た人と知り合えて、とても嬉しいです──

 続けてそんなことを書き連ね、ふと読み返して、なれなれしくないだろうかと逡巡する。

 けれど、変に取り繕うよりこの方がいい、嫌われたらそれはそれで仕方ないと思い直し、思いの丈を手紙につづっていった。


 その手紙を受けた「怜」からの返事は、とても優しいものだった。

 身元を明かさずこのような形での交流になってしまい、申し訳ないと。

 好きな本について語りあえる友人ができたこと、自分も嬉しいと。

 学生さんでお忙しいだろうけれど、長くこの文通を続けられれば幸いですと──

 その礼儀正しい文面からは、灯里に対する気遣いをつぶさに感じることができた。


「友人……! 友人ですって!」


 灯里はぎゅっとまぶたを閉じて、自分の身体を抱きしめる。

 嬉しかった。

 こんな自分にも友ができた、楽しいことを語りあえる仲間ができたのだ。

 他人から見れば、その程度のことで、と思えるくらいのささやかな喜び。

 おそらく、相手にとってはたくさんある付き合いのうちの一つに過ぎないだろう。

 それでも、心のこもった文章を返してくれたことに、灯里は大いに感謝したのだった。



 そんな感じで、二人は手紙のやり取りを続けていく。

 灯里の予想した通り、両者の本の趣味は示し合わせたように合致し、手紙の話題はそれらが多くを占めることになった。

 あの本のここが良かった、あの登場人物のこの台詞に共感した、この本も面白いですよ、等々。

 手紙の向こうの「怜」の言葉にうなずきながら、灯里はさらなる返事をしたためる。

 最初はそれなりに緊張し、失礼なことを書かないようにと気を付けていたが、「怜」の柔らかな文面に心が緩み、次第に自らのプライベートなことも書いていくようになった。


 「怜」は灯里の勢いまかせの文面にも、一つ一つ丁寧に返事を書いてくれた。

 司書から聞いた通り、「怜」は自分のことはまったく語らなかったが、知的で、時にウィットに富んだ文章は、同人の知見の深さを感じさせるものだった。


 そして、灯里が何よりも嬉しかったのは、「怜」の文章がいつも思いやりにあふれていたこと。

 時が過ぎ、季節が冬へと移る中で、さまざまな言葉を交わしたが、すべての手紙で「怜」はあたたかな言葉で灯里の気持ちに向き合ってくれた。


 時には、日々の辛かった出来事を、愚痴として書いてしまうこともあった。

 加奈子からの仕打ちや、他の生徒たちから孤立してしまっている今の状況。

 四条の養子になれたのは、不埒(ふらち)な方法で当主を(たぶら)かしたからだ。女学校でそんな心ない憶測の言葉をぶつけられた時、その場は何とか反論したが、こらえきれずに部屋で泣いてしまう。その出来事を手紙に書いてしまって、後で後悔する。


「あんなものを読ませても、不快な思いをさせるだけなのに……。私ったら何を書いてしまったんだろう」


 けれど、そんな時も「怜」は灯里をねぎらい、励ます言葉をかけてくれた。


『あなたは負けることなく同級生に言い返したんでしょう。立派じゃないですか』


 ずっと他人から否定されたままでいると、自分に自信が持てなくなる。

 外からの言葉に動じない強い意思を持つには、灯里はまだ幼く、さまざまな経験が不足していた。

 そんな灯里の不安定な心を、「怜」の手紙は癒やしてくれるようだった。

 たった一言、灯里の存在を是としてくれるその一言があるだけで、彼女の心は救われたのだった。





 そんなある日、灯里がまったく予想していなかった事が起こる。

 学年主任の教師に呼ばれ、彼に連れられて校長室に向かったところ、そこには校長とともに養父である壮馬がいた。

 一体どうしたのだろう。今まで自分に何の関心も示さなかった父が、わざわざ会いに来るなんて。

 壮馬はやはり灯里に興味はないようで、抑揚のない口調で娘にこう告げた。


「お前の就職口が決まった。卒業を前倒しにしていただけることになったから、来月からそこで働きなさい」


「……ど、どういうことですか?」


 思わず灯里は聞き返してしまった。

 灯里は現在、最上級生。あわてずとも、あと数か月で女学校を卒業となる。

 それを早める意味もわからないし、そもそも働く場所を勝手に決められてしまうなんて。まったくの想定外だ。


「場所は陸軍の術式研究所。給与はひと月二百円だから、二年もすれば学費も返せるはずだ。住み込みだから家賃もかからない。何も心配する必要はない」


 二百円。それは社会に出たばかりの女子に与えられる給料にしては、破格の額である。

 住む場所も与えられ、家賃もないなら生活に困ることもない。

 確かに心配する必要はない……条件面では危惧するところはなくなった。

 でも、何故だろう。父の言葉に引っ掛かりを覚えるのは。

 見方を変えれば、これは父が働き口を探してきてくれたということでもある。

 自分のことをそこまで考えてくれていた──素直に考えれば、そう喜ぶべき場面のはずなのに。


(わからない……わからないけど、何かが……違う気がする……)


 釈然とせず、父の真意を測るためその顔を見ようとするが、壮馬は最低限の伝達のみ済ませると、早々に部屋を出て行ってしまった。

 そこではたと気付く。

 仕事内容を聞き忘れてしまった。というか、説明してくれなかった。

 働く場所は『術式研究所』と言っていたが……どういうところなのだろうか。



『──おそらく、あやかしの力を軍事に転用するための研究機関ではないかと思います』


 気になって、手紙で「怜」にも相談してみたところ、そんな返事が返って来た。


「あやかし……?」


『お化け、もののけ、妖怪。どんな呼称でも構いません。信じられないかもしれませんが、そういう人智を超えた超常の者たちは、実際にこの世に存在するのです。そして、それらの力を利用する術師の技を総称して、『術式』といいます。これは知人から聞いた話なのですが、ここ最近、多くの術師たちが軍に勧誘され、新設された部署に一斉に配属されたそうです。施設の名称も合わせ考えて……おそらく、それがその術式研究所ではないでしょうか』


「……それって、お化けや妖怪が本当にこの世に存在していて……それを軍が研究してるってこと……?」


 おとぎ話のような説明に、灯里は思わず声を漏らした。

 あまりにも突飛な話に、思考が上手く追い付かない。

 しかし、「怜」が嘘をついているとも思えない。今までのやり取りからして嘘を言う人ではないし、何より言葉を選んだその文章からは、真実味と説得力が感じられた。


 ただ、そうだとしても、灯里がその術式研究所で働くとはどういうことだろうか。

 自分は今まさに超常の存在について聞いたばかりなのだ。そんなところに縁があるとは思えない。


(私……あやかしとか妖怪とか、これまで見たこともないんだけど……)


 そんなことを考えながら手紙をめくると、ぽとりと一枚のかんざしが落ちる。


「……え?」


 手紙とともに同封されていたらしい。それは以前、灯里が「怜」に返した栞と同じ花。竜胆の花をかたどったかんざしだった。


「これは……」


 続く手紙には、そのかんざしを灯里に贈りたいとの旨が書かれていた。

 女学校を卒業し、社会に出ることへの祝いの品として用意したのだという。


『大したものでもありませんが、受け取っていただければ幸いです』


「そんな……! お世話になっているのは私の方なのに、こんなものをいただいても……!」


 そうはいっても、司書を介してこのかんざしを突っ返すのも失礼にあたる。

 受け取らざるを得ない申し訳なさと、嬉しい気持ちが混ざり合って、灯里は小さく体を震わせた。


「……ありがとうございます。大切にします……!」


 ただ、就職祝いと言いつつも、「怜」の手紙には次のようなことも書かれていた。


『私はあなたの御父上と会ったことはないので、確たることはわかりません。ですが、灯里さんが少しでもおかしいと感じたなら、そこから離れてしまうことも、選択肢の一つに入れておくのが良いと思います』


 人様のご家族を疑って申し訳ないですが、という記載とともに、いくばくか思い悩んだのだろう、手紙には少しのシワが寄っていた。


『あなたが違和感を覚えたのなら、そこには何か理由があるはずです。人の直感というものは、単なる感覚ではなく、その人自身の経験に裏打ちされたものだと私は考えています。どうかしがらみにとらわれることなく、あなた自身の人生を大切にしてください──』


 確かにその通りだ、と灯里は思った。

 自分は軍に知り合いがいるわけでもなく、あやかしにも何の関わりはない。

 それなのにどうして父は自分をそこに勤めさせようとするのか。父には恩があるが、正直言ってどこか気味が悪く、信用に値するとは思えなかった。

 その不気味さに比べれば、加奈子のストレートな罵倒の方が、まだ素直に受け入れられるくらいだ。


(怜さんの言う通り、自分の気持ちを大切にしよう……。そうだわ、折を見て学校を出て、どこか遠いところで暮らしていくのもいいんじゃないかしら。このままここに残っていたって、何も良いことはないんだし)


 父に返すべき学費は、発送先がわからないように何とか細工して送ればいい。

 もともと卒業後は一人で生きていくつもりだったのだ。今更恐れることなど何もない。


 そんな目算を立てて、灯里は壮馬の命令を拒むことを決める。

 大人の言うことに逆らうのは、これが初めてだった。

 しかし、真に心を許せる友人ができたからなのか、灯里の心に後悔はなく、むしろ涼やかな風が胸の中を吹き抜けたのだった。

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