神の子
風は、止んでいた。
荒野の静寂の中、二人は向かい合っている。
エルザはライフルを手にしたまま。
だが、その銃口にはもはや殺意はなかった。
対するBLACKWOLFは、なお地に手跪き、頭を垂れたままでいた。
やがて、エルザが口を開く。
その声は、先ほどとは違っていた。
低く、澄み、どこか人のものではない響き。
神と精霊の言葉を伝える者としての声音だった。
「問う——黒き狼よ」
風がわずかに揺れる。
「汝は、同胞の村を襲いしこと、あるか」
BLACKWOLFは顔を上げず、答える。
「——ない」
短く、しかし迷いのない声。
エルザの瞳がわずかに細められる。
「ならば、誓え」
一歩、踏み出す。
「天の神々、地の精霊、祖霊のすべてにかけて」
「その言、偽りなきものと」
静寂。
BLACKWOLFはゆっくりと顔を上げた。
その目は、まっすぐだった。
「誓う」
「すべての神と精霊にかけて」
その言葉に、揺らぎはなかった。
エルザはしばし沈黙する。
やがて、再び問う。
「ならば、なぜ抗う」
その問いに、BLACKWOLFはわずかに首を振る。
「……抗っては、いない」
静かな声だった。
「我はただ、守っている」
「先祖より受け継ぎし、この土地を」
エルザは彼に問う
「いま、この地には多くの血が流れている」
「それについて、いかに思う」
BLACKWOLFは目を伏せた。
「……残念なことだ」
しばしの沈黙。
「同胞の血も、流れている」
「それ以外の者の血も」
拳が、砂を握る。
「だが——それでも」
顔を上げる。
「守るためには、必要であった」
エルザの声が重なる。
「やむを得ぬ、と?」
その問いに、BLACKWOLFは答えず——
代わりに、問うた。
「……神は」
一瞬、言葉を探すように沈黙する。
「神は、お怒りか」
風が吹く。
「我は、怒りを受けるのか」
「我に、何を求められるのか」
声は次第に強くなる。
「我は戦った」
「奪われし土地を、取り戻すために」
「そのために、血が流れた」
拳を握る。
「この大地には、先祖の血が染み込んでいる」
「ならば我らの血も、また染み込もう」
「いずれ、我の血も」
顔を上げ、エルザを見据える。
「それが、神の求めるものと違うのか」
「どうか——示してほしい」
その眼は、あまりに真っ直ぐだった。
沈黙が一瞬おとずれた。
BLACKWOLF、彼は純粋だった。
だからこそ、危うい。
エルザは視線を逸らさず、問いを返す。
「汝は、英雄と呼ばれている」
「それほどの者が、なぜ神を気にする」
BLACKWOLFは静かに首を振る。
「我は、英雄ではない」
「勇者でもない」
「ただの戦士だ——取り戻しているだけだ」
「奪われた土地を」
「あるべき者へ」
その言葉に、誇りはあっても驕りはない。
エルザはさらに問う。
「ならば、鉄の民——ケルムを殺すのか」
BLACKWOLFは迷わず答える。
「土地を返すならば、殺さぬ」
「だが、彼らは返さない」
「ゆえに、戦う」
エルザの声が続く。
「すべてを取り戻すのか」
BLACKWOLFは首を振る。
「すべてではない」
「……十分でよい」
「我らが、生きられるだけ」
「それだけでよい」
「それまでは、抗うのか」
その問いに、BLACKWOLFは再び問い返す。
「神は、やめよと仰るのか」
静寂。
エルザは、ゆっくりと息を吸った。
そして——
告げる。
「この大地は、血を吸いすぎた」
声は、静かに広がる。
「そう思う」
「血ではなく」
「豊穣と安寧こそがふさわしい」
視線が大地へ落ちる。
「銃弾と蹄と、人の血で」
「これ以上、この地が穢れることは」
「許さない」
BLACKWOLFの眉がわずかに動く。
「……ならば、なぜ」
声が低くなる。
「なぜ、鉄の蛇を許された」
鉄道。
この地を裂く、ケルムの力。
「鉄の蛇は我らの土地を奪う大きな力。それを許されるのか」
「取り戻すことは、許されぬのか」
問いは、祈りに近かった。
エルザは——
答えなかった。
(……違う)
(彼は、間違っていない)
もし自分が、ここで生きていたなら。
同じことをしたかもしれない。
いや——
していた。
そして彼の隣に、立っていたかもしれない。
だが——
脳裏に浮かぶのは、旧大陸。
文明。
国家。
無数の人の営み。
このままでは、彼は——同族は
時代に、呑まれる。消えてしまう。これ以上抗っては押しつぶされてしまう。
(……止めなければ)
そしてもう一つの顔が浮かぶ。
パトリック。
あの男なら——
もしかしたら。
エルザは目を閉じる。
そして、開く。
決意と、迷いを抱えたまま。
静かに、しかし断定的に。
「戦いを望まぬ」
その言葉は——
嘘だった。
神の言葉ではない。
エルザ自身の意思。
「話し合いを求める」
風が吹く。
BLACKWOLFは黙って聞いている。
「汝の仲間に伝えよ」
「刃ではなく、言葉を持てと」
エルザの瞳が揺れる。
それでも、言い切る。
「それが汝である」
沈黙が落ちる。
荒野は何も答えない。
ただ風だけが、二人の間を通り過ぎていった。
「さあ、どうする?」
急にエルザの表情が変わった。
「言うように言葉に頼るか、それとも力に頼るか」
「お前が、力に頼るなら力を貸してもよい」
BLACKWOLFはどういうことだとでも言わんばかりの不機嫌な顔つきになった。
あまりに今までと違う言いようだからだ。
「力に頼るとは…」
「それは全てを消し去ることだ。望むならお前の望むように全てをお前にやろう…」
その不遜な物言いは彼をますます不機嫌にさせた。
「全てをやるとは…大地を取り戻すことか?」
「そうだ、異物を全て消し去るのだ」
また沈黙が始まる。
「いや、それは望まない。大地は血を吸いすぎた。これ以上、奴らの血が流れることは始祖の大地を汚す。」
「なるほど、今の言葉、よく覚えておけ」
彼の不機嫌な顔つきは変わらなかった。
この何か混ざり合って混沌としている思考に不機嫌にならざるを得なかった。




