覚醒
故郷の大地。
乾いた草原。
遠くに見える低い丘。
ここは彼女が幼いころに見た空と同じ空だった。
だが今のエルザには、昔とは違うものが感じられていた。
風が吹く。
その風の中に、何かがある。
音でも匂いでもない。
しかし確かにそこにある存在。
エルザは立ち止まった。
「……あなたたち?」
小さく呟く。
草が揺れる。
鳥が遠くで鳴く。
そして彼女は気づく。
この土地には、あらゆるものに神が宿っている。
石。
水。
風。
動物。
すべてに小さな意志がある。
力が宿っている。
それを、エルザは感じ始めていた。
わかっていたつもりだった。
今までもそれは感じてきた。
だが、故郷の大地に足を再びつけてからなにかが違い始めた。
なにかが体を駆け巡る。
足元からゾワゾワと這い上がり、中に染み込んでいく…そんな感覚をずっと体験していた。
それは、悪い感覚ではないことはすぐわかった。
私は、今、何かが変わろうとしている…
それはわからないけど、それは受け入れなければならないものだと思う…
それは魔力石にも表れていた。
色が変化している。
内部に鈍い光が見えていた。
魔力が強くなっているのを感じていた。
最初の体験は、川辺だった。
エルザは水を汲もうとして膝をつく。
そのとき、指先に奇妙な感覚が走る。
水が冷たいだけではない。
流れの奥に、微かな声のようなものがある。
エルザは目を閉じた。
そして水に触れたまま、静かに言う。
「……道を教えて」
流れが変わる。
小さな渦ができる。
渦が、ゆっくりとある方向に進んでいく。流れとは関係なく。そして、それは目的の地を指した。
エルザは驚かなかった。
ただ頷く。
「ありがとう」
彼女は立ち上がった。
二つ目の体験は夜だった。
焚き火の前。
空には星が広がっている。
エルザは静かに星に祈る。
すると風が強くなる。
火が揺れる。
火の形が、狼のように見えた。
その瞬間、エルザは遠くの地形を思い浮かべる。
丘。
谷。
森。
まるで誰かが見せているようだった。
エルザは気づく。
「……火も、見ているのね」
精霊はそこにもいる。
三つ目の体験は森だった。
エルザが歩いていると、鹿が現れる。
逃げない。
じっとエルザを見ている。
その瞳を見た瞬間、エルザの頭に映像が流れ込む。
森の奥。
煙。
人影。
一瞬の幻。
鹿はすぐに走り去る。
エルザは呟く。
「教えてくれたの?」
森の神。
動物の神。
この土地のすべてが、彼女に語りかけていた。
こうした体験が重なるにつれて、エルザの呪術は変わっていく。
以前は
儀式が必要だった。
石の円。
羽。
祈り。
しかし今は違う。
彼女が静かに目を閉じて思いを願うと、
大地が応える。
風がささやく。
鳥が方向を示す。
火が未来を映す。
エルザの力は明らかに強くなっていた。
ある日。
エルザは丘の上に座っていた。
目を閉じる。
すると、遠くの大地がぼんやりと感じられる。
村。
川。
馬。
すべてがはっきり見えるわけではない。
しかし抽象的にわかる。
まるで夢のように。
そのときだった。
胸の奥に、突然強い感覚が走る。
魔力石が鈍い光を放っていた。
恐怖。
子供の叫び。
炎。
エルザは目を開いた。
「……!」
遠く。
かなり遠く。
だが確かに感じる。
「……」
彼女は立ち上がった。
そして走り出す。
丘を越え、森を抜ける。
煙が見えた。
村だった。
小さな部族の村。
家が燃えている。
人々が逃げている。
そして――
襲っている者たち。
エルザは凝視する。
同じ髪。
同じ顔。
部族同士の争い。
男たちは叫びながら家を壊している。
子供が泣いている。
そのとき。
銃声が響いた。
パンッ!
一人の襲撃者が倒れる。
誰も何が起きたのかわからない。
もう一発。
パンッ!
別の男の手から弾き飛ばされる。
丘の上。
黒い影。
エルザだった。
「さあ、いこう…」
それは、自分自身にいい聞かせている言葉だった。
魔力石の鈍い光は一層力を増していた。
その光はエルザを覆い始めていた。
光は波となり、胸の魔力石から後ろへと流れていく。
襲撃者達の銃撃はエルザには無力だった。
弾道が曲がってしまう。
その光の波が弾道を歪めていた。
「伯爵…感謝します…罪を犯す私を罰してください…」
「なんでだ!おかしいぞ!撃ち続けろ!」
「なにかの魔術か!クソ!魔女め!」
撃ち続けながら男達は少しずつ後退り叫んでいた。
彼女は静かに歩きながらライフルに弾丸を装填する。
そしてライフルに小さく呟く。
「風よ…私は黒の月…力を」
「奴らのところに…」
彼女は撃つ。
銃声。
弾丸は空中でわずかに軌道を変える。
岩の陰にいた男の肩を撃ち抜いた。
「後ろから?そんなバカな!」
振り返っても誰もいない。
エルザは丘からゆっくり歩いて降りてくる。
黒いマントが風に揺れる。
赤黒い瞳が燃えていた。
もう一撃する。
ゆっくりと装填する。
狙い撃つ。
もうどこに身を隠していても、意味がない。
まるで背後から撃たれたように次々と倒れる。
襲撃者の一人が銃を向ける。
「死ね!」
引き金。
しかしその瞬間。
エルザのほうが速かった。
魔弾。
男の手が吹き飛んだ。
叫びながら転がる男。
エルザは静かに言う。
「帰りなさい」
「この土地はお前たちには必要はない…」
その声は、不気味な響きを帯びていた。
襲撃者達はその声で戦慄した。
聞きたくない、そんな声だった。
彼女は周囲を見た。
燃える家。
泣く子供。
そして空。
風が吹く。
残った襲撃者たちは互いの顔を見る。
そして一人また一人ずつ森の中へ消えていった。
村に静けさが戻る。
エルザは空を見上げた。
鳥が一羽、円を描いて飛んでいた。
彼女は小さく言う。
「……ありがとう」
その目は、以前よりもはるかに赤黒い深い光を宿していた。
そして彼女の力は覚醒していく。




