先祖が眠る大地へ
旅立ちの日が近づくにつれ、エルザの胸にはひとつの思いが膨らんでいた。
——伯爵に、覚悟を見せたい。
守られる子どもではなく、共に歩く者として。
その夜、エルザはひとり鏡の前に立った。
長く伸ばしてきた黒髪を、震える手で掴む。
少し迷い、そして歯を食いしばる。
はさみが鳴った。
さらり、と床に落ちる髪。
何度も切り落とし、肩まであった髪は短く整えられた。
古いシャツとズボンを身につけ、胸を布で押さえ、男装する。
腰には銃を下げていた。
鏡に映ったのは、少女ではなく、旅人の少年のような姿だった。
「……これでいい」
エルザは伯爵の部屋を訪ねた。
扉を叩くと、書類に目を通していた伯爵が顔を上げる。
「エルザ?」
その瞬間、伯爵の目が見開かれた。
「……その姿は」
「大事なものを、お見せしたいんです」
静かな声だったが、揺るぎはなかった。
二人は庭へ出た。
夕暮れの光が木々を赤く染めている。
エルザは腰のホルスターから銃を取り出した。
深く息を吸い、先祖から伝わるいにしえの言葉で呪文を唱える。
「――大地の息吹よ、我が意志に応えよ」
引き金が引かれた。
乾いた銃声。
だが次の瞬間——ズンという空気を押しつぶすような音がした。
弾丸の軌道の先にあった木々が途中から叩き折られるように倒れた。
まるで見えない刃が走ったかのように。
伯爵は言葉を失った。
「……これは……」
エルザは銃と弾丸を伯爵に見せた。
「わたし、術式を込めたんです!伯爵の魔術と私の呪術を組み合わせました!これなら私一人でも何人も倒せます!他にもできるんです!魔術と呪術の組み合わせで!」
銃身と弾丸に、淡く光る魔術陣が浮かび上がる。
呪文に反応し、複雑な紋様が流れるように走った。
「弾に精霊の力を封じて、撃った瞬間に解き放つんです!
どんな魔術でも込められる……だから——」
興奮した声で続ける。
「銃と魔術を合わせれば、誰にも負けません!」
エルザの瞳は輝いていた。
褒められると信じていた。
だが——
伯爵はなにも言わなかった。ただ、その銃とエルザの顔を瞬きもせず見つめていた。
伯爵の笑顔が見られると思っていたのに、むしろ伯爵の顔は困惑と、深い悲しみが浮かんでいた。
エルザはそれに気づいた。
「エルザ……」
伯爵の低い声。
「君は……」
この子は人を殺すために魔術を研究していたのか…
どうしてそんなことに…
私はどこで間違えたのか…あの時か…いや
あの時か…
だめだ…
ちゃんと向き合っていなかったのか…
私は失われた知を守るために研究してきた。
誰かを殺す道具を作るためではない…
ここでエルザのやったことを全て否定することはできる。
それでは、エルザはもっと間違った方向に歩いていくかもしれない。間違った考えのまま、一人で歩かせたくない
共に旅をし、学ばせる。それが私の責任だ…
伯爵は決心した。
それが顔に出ていた。
エルザはそれを否定ととらえた。
エルザは唇を噛みしめた。
期待していた賞賛はなく、残ったのは冷たい沈黙だけだった。
(怒られる…伯爵は喜んでくれなかった…ダメだったんだ…私は間違えたのか…)
だが、意外な言葉が返ってきた。
「君を連れて行く…仕度をしなさい…」
だがその言葉は極めて事務的なものだった。
伯爵は自分でこの責任をとることを決意した。
伯爵は執事を呼んだ。
言葉通りにとれば、伯爵は連れて行くといった。
だが、それは、エルザが期待した言葉ではなかった。
私は間違えたんだろう…たぶん…
それでも私は行く…
この目で同族がどうなったかをみなければならない。
イルマもなにもできなかった。
私も何もできていない。
なにができるかわからない。
いけばなにをすればいいのかわかるかも知れない。
そんな考えは甘いだろ…いい加減だと言われるだろ…
その考えで自分がなにもできなくて失意と自己嫌悪の中に落ちたとしても…
それが私の宿命だから…
エルザの胸には、安堵と痛みが入り混じった。
理解されなかった悲しみ。
それでも見捨てられなかった温もり。
複雑な思いを抱えていた。
それでも旅は始まる準備を始めた。
エルザはルーカスに旅のことを話しに行った。
ルーカスは馬小屋で馬の世話をしていた。
「ルーカス…」
エルザは声をかけたが反応はなかった。
もう一度声をかけた。
ルーカスはただ馬のブラシをかけていた。
構わずエルザは話し始めた。
「私、伯爵と旅に出る…ごめんなさい…話すの遅くなったね(笑)」
ルーカスは怒っている…
当然だと思った…友達なのに…なんでも話してきてたのにこんな重大なことは話さなかったから…
「私…これから変わってしまうかも…(笑)だから、今までの私はこれが最期になる気がする…ルーカスには今までの私をそのままにしてほしい…」
エルザはなぜこんなことをいうのか…ルーカスにはまだわからなかった。
エルザは、自分の覚悟をルーカスに話していた。
その覚悟は伯爵には喜んでもらえなかった。
ルーカスにはこの覚悟を知られたくはない。
エルザはわかっていた。
自分の覚悟をした先へいけばルーカスと同じ世界にはいないだろうということを。
それは先祖から与えられた宿命なのに。
出発の日は城のみんなが見送ってくれた。
伯爵は出発直前まで執事と打ち合わせの話をしていた。
「エルザ様、ご無事でのお帰りをお待ちしております。」
執事の言葉通り、これは帰ってくる旅なのだ。
みんなにとっては…
伯爵は帰ってきている。
そういう旅のはずだから。
だが、エルザにはそうではなかった。
先祖からの声がエルザを呼んでいた。
あの大地からの声が…
ルーカスの姿はなかった…
馬車は離れていった。
汽車は長い大陸を貫いて走った。
窓の外には、森、平原、町、荒野が流れていく。
エルザはとうとう見覚えのある港町に着いた。
——初めて旧大陸に来た場所。
伯爵と出会い、学び、苦しみ、成長した時間。
すべてがこの場所につながっていた。
汽車を降り、船に乗り換える。
ここから始まったんだ…
長い船旅の間、過去の船の旅も思い出していた。
なにもわからずの船旅だった過去の自分とは違う。
この船旅は過去へ戻る旅…
もう一度あの時に戻るんだ。
奴隷として売られかけていた、あの港へ。
服を買ってもらい、人生が変わった場所へ。
胸が熱くなる。
先祖が眠る大地へ…
長い航海の末——
新大陸の港が見えてきた。
エルザの心臓が強く打つ。
そこは、あの日。
血の怨霊が舞い、人生が変わった場所。
伯爵と出会った港だった。
「……ただいま」
故郷へ向かう第一歩。




