強制徴農の時代は来るのか
1990年より、将来的な日本の農業は行き詰まっていると言われ続けてきた。
個人的な感覚ではあと10年前後で最後の生え抜き専業農家世代が活躍を終えるだろう。おおよそ今70歳前後の人たち。早い人では中学を卒業してすぐ、機械化の波を乗りこなしながら現在まで食糧生産の中軸を担ってきた人たちだ。
何故この世代はいつまでも主力層から外れないのか。それは体力や経験とは別の軸の力が高いからだ。
それはずばり、機械いじり能力。
イメージできる人は多いかもしれないがローテク機械はいじるのが楽だ。
パソコンがエラーを起こすと機械に疎い私は全くお手上げなのだが、単純な作りの砕土ミキサーなんかは砕土ブレードが金属疲労で砕けようが回転篩のターナーがイカれようがモーターが過負荷で溶けようがその都度新しい部品を自作して付け替え、動力に1970年製の自走式農薬噴霧器の化け物トルクを誇るディーゼルエンジンを流用して延々とこき使い続けている。今ごろ暗い物置の中でヤツは攻殻機動隊のワンシーンのように自分とはなんぞや……と感慨に耽っているのかも知れない。悪いね明日も仕事なんだ砕土ミキサーくん。頑張ろうね暇庭も頑張るから。
脱線したので元に戻ろう。簡単な機械などはいくらでもいじって原形を留めなくなっても使い続けるのだが、これが高度な機械になると途端にできなくなる。自分が自分で弄れるのはギリギリトラクターの耕耘クローくらいで、トラクターの動力部は私の父しか管理できない。
さらにもう一段階上がって田植え機になるともう私はダメだ仕組みが全くわからない。なんで車体前部にしかエンジンがないのに植え付け爪がちゃんと回るんだよおかしくない?動力どこから取ってんの?コンバインとかさらにわかんねーよ丸一年くらい開けたり閉めたりして勉強させてくれよとーちゃんよ。
また脱線してる、もとに戻そう。
ちゃんと説明すれば、今最後のベテランと呼ばれる70歳前後の人たちは、ローテク機械を使い始めそれが少しずつ高度になっていく過渡期をゆっくり学びながらここまで歩んでこれたのだ。歳を取るにつれ膝も腰も容赦なく壊れていく。けれど長年かけて結晶した「機械いじりの勘」だけはアルツハイマーですら破壊し得ない。隣の家の94歳のボケた爺さんに、耕耘クローの連結パーツ間違ってると思うぞ。と言われて、何いってんだこの老いぼれがと思いながらチェックすると確かに私が間違えていた。連結パーツを拳ひとつ分長いものを使っていたのだ。長い方は雪かき用キャリアーのもの。遠目にみて分かるはずないのだが……。終戦後すぐに動力式稲刈り機をゼロから叩き上げで使いこなした男の輝きは棺桶に入り切るまで失われないということなのだろうか。
そういう世代が上から順に現役から退いていく。あとに残される私たちは機械がだめになれば機械屋に頼るしかない。機械に金がかかるのはもうこの世の定めのようなもので、機械を使ってまで農業をやるなら自分の体力の限界に迫るような広大な農地を管理し続ける必要が出てくる。機械を使わないなら毎年何百十万円の売り上げを手作業でひーこらしながらやっと作る。
そこにやはり未来はないだろうと、そう思う。食糧生産はもはや完全に破綻しているのだ。補助金を食い漁りながらそれでも迫る赤字から逃げ続けるだけの人生を、一体誰が望むものか。
そこまで考えると、薄暗い考えが脳みその後ろの方からじわじわと染み込んでくる。
なら、もう、いわゆる徴兵制のように、日本国に生まれた人間は例外なく、20代のうち2年程度、田んぼや畑をやってもらうようになるのか?
もしそうなったら、彼らに食わせるものなどあるのか?着せる作業着などあるのか?なら150年も時代をさかのぼって、ボロを着せて手でクワを振るわせるのか?腰をかがめて手で稲刈りをさせ脱穀させて、それを土地の所有者がカントリーに納めるようになるのか?
バカなと思う。そんなことあるはずないと言い切ってしまいたい。なのに、毎年通帳を見てため息をつく自身の仕事を思い出すと、否定しきれないものがあって、眉間にしわが寄るのがわかる。
そんな時代が来たら。そんな時代を迎えてしまうなどということは。あってはならないはずなのに。目の前の稲刈り後の田んぼに、人がいる姿を想像する。笑顔のない若者たちが、好きでもない田仕事を押しつけられ、くたびれた様子でのろのろと働くという想像をする。誰かを食わせる仕事という誇りを取り上げられ、今になって農奴の時代が再来する。そういう情景を。
秋の冷たい風に吹かれ、私は身震いする。曇天の下、陰惨な想像は、いつまでもいつまでも消えなかった。
脱線が非常に多くなって申し訳ない。エピソードを書いているとつい楽しくてやりすぎる。
一応農業について、一番ダメなパターンはこれかなと考えている。
産業としてはもう農業はダメかなという肌感覚があるのは本当だ。食糧生産を社会保障の一環にまとめてしまうならこうなるしかないが、いやそれは……と、百姓の意地と厳しい現実のあいだで今も暗い顔をして考えている。




