その7
翌日、兄と私は時間をずらして別々に登校した。
〝なんでそんなことをしなきゃならなんだ? 一緒に行けばいいじゃないか〟とハーヴェイ伯父様は訝しんだが、きっとパトリシアは待ち構えている、面倒は避けたかった。
門をくぐると、
「アリー!」
真っ先に駆け寄ったのはリジェール様だった。
「もう大丈夫なのか?」
心配そうに私の顔色を窺う彼を見上げて、心臓が早鐘のように打った。
「ええ」
まだリジェール様との近すぎる距離に慣れない私は平常心を装うので精一杯。
「顔色悪いみたいだけど」
それはあなたのせいです! 緊張のあまり吐きそう。
「大丈夫です」
「昨日、ロニから大事ないと連絡もらってはいたけど」
あんなところで倒れたから、きっと迷惑をかけてしまったのね。
「申し訳ございません、ご迷惑をお掛けしました」
「別に迷惑じゃないよ、ただ心配だっただけ」
リジェール様が私を心配してくださったなんて、感激だわ。
「軽い貧血ですから、たいしたことありません」
「ちゃんと食べてる?」
「伯父と同じこと仰るんですね、昨日は伯父の家でしっかりご馳走になりました」
「じゃあさ、今度は俺にご馳走させてよ」
「えっ?」
なんで? 驚いて見上げた私に目に映るのは彼の眩しい笑み。
「ダメかな」
「い、いえ……」
リジェール様はまた私の頭にポンと手を乗せた。昨日もそうだったけど、年頃の令嬢にする行為ではないと思う。そうか……リジェール様にも妹君がいらっしゃる、それと同じ扱いなのだ。
「じゃあ、約束だよ」
爽やかな笑みを残して校舎に向かったリジェール様を見送りながら、私はしばし茫然と立ち尽くした。
膝がフワフワして足が地面についていない感覚で動けなかった。
続々と登校してくる生徒たちのなかで、ボーっと突っ立っている私は不審な目で見られているだろう。
「いつの間に憧れのリジェール様と親しくなれたの?」
後ろから来たミランダが覗き込んだ。意味ありげな笑みを浮かべる。
「注目されてたわよ」
無理もない、あのリジェール様が私のような地味女に声をかけたのだもの、何事かと注目浴びるはずだ。
「親しくとかじゃなくて、昨日、生徒会室へ行った時に少しお話しただけよ」
食事に誘われたのだって、きっと社交辞令で実現はしないだろう。
それより、リジェール様に憧れていることはまだミランダに打ち明けていなかったのに、すでにバレてた?
「生徒会室へ行ったの? お兄様に会いに?」
「いいえ、パトリシアに絡まれているところをリジェール様に助けられて生徒会室へ避難させてもらったのよ、でもその後、貧血で倒れちゃって」
「えーっ、大丈夫なの?」
「だからリジェール様も心配してくださったのよ」
「ほんとにそれだけかしら」
ミランダの瞳は興味津々に輝いているが、それ以外のなにがあるのよ。
「それだけよ」
「ま、そう言うことにしておきましょ、急ぎましょ、授業が始まってしまうわ」
* * *
悪夢のこともあり、私は例の噂をミランダの耳に入れておいた方がいいのだろうかと、ずっと迷っていた。
授業がうわの空なのはいつものことだが、あっと言う間に昼休みになった。
私たちは学生食堂でランチボックスを注文し、騒がしい食堂ではなく、いつものように中庭のベンチでランチをした。
遠からず噂は耳に入るだろう、誇張された話を聞かされるより、私から話をした方がいいと腹をくくった。
「えっとぉ、ジェイク様とは最近お会いしていないの? 以前はランチのお誘いも度々あったじゃない、ここのところないなぁと思って」
いきなり〝噂を聞いたんだけど〟とは言い出せなくて、きっかけを探った。
「ええ、この前も言ってたように忙しいみたいの、ジェイクは成績優秀じゃないけど、剣術の方はリジェール様、アンドレイ様に次ぐ実力だから、卒業したら近衛騎士団に入団して、王太子殿下付きの騎士を目指しているのよ、だから、学生の間に少しでお力になって売り込みたいみたい」
剣の腕だけで側近になれないわ。信頼できない嘘つきを殿下はお傍に置かないと思う。って、嘘つきだとバラしたのは私なんだけど。
「ジェイクの希望が叶うと嬉しいし、今は寂しくても応援したいのよ」
ミランダにもジェイク様が嘘つきだと言わなければならないなんて辛すぎる。どうやって伝えればいいの? ミランダはこんなにジェイク様のことを慕っているのに。
「あのね、ミランダ、ジェイク様のことなんだけど」
意を決して言いかけた時、
「こんなところにいた!」
最悪のタイミングでパトリシアが現れた。
今朝はホプキンス侯爵邸から直接登校したので、彼女とは顔を合わせることがなくて気分が良かったのに台無しだ。
「昨日は生徒会室へ行ってなにをしていたの?」
「別になにも」
「嘘! 変じゃない、あのままお兄様とホプキンス家へ行くなんて」
ミランダがいるのにお構いなしにパトリシアは話しはじめた。
「それは別件よ、ハーヴェイ伯父様が夕食に招待してくださったのよ」
「そんな予定なかったじゃない」
「伯父様、急に思い立ったのよ」
「どんな話をしたの?」
「いちいちあなたに報告しなきゃならないのかしら」
「どうせ、私の悪口を吹き込んでたんでしょ」
どの口が言う、あなたこそ、私のことを悪者に仕立て上げてるじゃない。
でも、こんなのは相手にするだけ無駄だ。
ランチは終わっていたので、パトリシアの取り巻きが来る前に立ち去ろうとした。
「行きましょ、ミランダ」
いつも計ったように彼らが現れるのはパトシリアの演出なのだろう。
しかしパトリシアは行く手をふさいだ。ほんと面倒臭い奴だ。
「やっぱり、ホプキンス侯爵と共謀してお兄様に嘘を吹聴して、私を陥れようとしているのね。侯爵は先妻のお兄様だから、似ているあなただけを可愛がって、私とお母様のことをよく思ってらっしゃらないから」
当然だわ、妹を騙して結婚して、いまだにホプキンス家から金を巻き上げている父の愛人と娘なんだから。
「お兄様はね、人がなにを言おうと、自分で直接聞いたこと、見たことしか信じない、誹謗中傷に耳を傾ける人じゃないわ。四年も一緒に暮らしていて、まだお兄様のことを理解していないのね」
パトリシアの顔色が変わった。余計なことを言ってしまったかしら。
「そりゃ、あなたは生まれた時から一緒だったでしょう、本当は私がいるべき場所だったのに、あなたが奪い続けていたのよ」
「はあ?」
「あなたの母親は、横恋慕して、愛し合うお父様とお母様の間を引き裂いたのよ! ホプキンス侯爵家の権力を使って無理やりお父様と結婚したのよ!」
「なにを言っているの?」
「脅されて引き下がるしかなかったお母様は、小さな別宅に隠れて過ごす生活を余儀なくされた、見つかれば妬深いあなたの母親になにをされるかわからなかったからよ!」
パトシリアは興奮状態で捲し立てた。
「だから私は同じ年に生まれたお父様の娘なのに、肩身の狭い思いをしながら隠れて暮らすことを強いられたのよ。その間もあなたはあの大きなお邸で、贅を尽くして暮らしていた、本当は私に与えられるべきものをすべて奪ってね」
私は驚きのあまり、返す言葉が出なかった。この子はそんな嘘を吹き込まれているの? それを信じているから私を憎んでいるの?
私のお母様を騙しただけじゃなく、娘まで騙し続けているなんて、最低の男だ。そんな奴が私とロドニイ兄様の父親だなんて!
それにターナー伯爵家は、母の実家ホプキンス侯爵家からの援助で成り立っていることも、プライドの高い父は隠しているのね、だからこの子はとんでもない思い違いをしているんだわ。
ホプキンス侯爵家とはなんの縁もないあなたたち親子が、そのお金で生活してきたことの方がおかしいのよ、あなたたちに与えられるべきものこそ、本来なにもないことすら知らないなんて……。
ある意味、可愛そうな子、父の本性も知らないで、憎しみを間違った方向に向けさせられているなんて……。向けられた私もたまったものじゃないけど。
「いい加減にしなさい、妄想もたいがいにしなさいよ」
聞くに堪えない暴言にミランダの方が憤慨した。彼女には父が金目当てに母と結婚したこと、実家から援助を受け続けていること話したことがあった。
「いいのよミランダ」
今、私がパトリシアに〝あなたこそ騙されている〟と言っても信じないだろうから。
「ほんと大変ね、こんな人と一緒に暮らしているなんて、あなたの身が心配だわ」
「なんですって!」
カッとなって叫んだあと、パトリシアが急に不敵な笑みを浮かべたので、私はゾッとした。
早くこの場から離れなければと思ったが遅かった。