その5
ミランダが燃えていた。
炎に包まれながら踊るように動き回っていた彼女と一瞬目が合った。
苦痛に歪む顔、彼女の目はもはや救いを求めてはいなかった。なにもかもあきらめた絶望感に満ちていた。
それでも助けなきゃ!
でも、どうすればいいの!
その時、誰かの手が私の背中を強く押した。
私は勢いでミランダのほうへ倒れかかりながらも、背中を押した人物を目の端に入れた。
パトリシア! あなたなのね!
そこで私は悪夢から目覚めた。
同じ夢を見るなんて、最悪!
目を開けると、見慣れない天井、そして、誰かに手を握られていることに気付いた。大きくて温かい手、それは、
「お兄様?」
「気が付いたか!」
兄は私の顔を覗き込んだ。
「ビックリさせるなよ、急に気絶するんだもんな」
そうか、私は生徒会室で急に意識を失ったんだ。
迷惑をかけてしまった。それにしても兄が私の手を握ってくれているなんて、まるで子供の頃に戻ったようだわ。
私の視線に気付いて兄は手を放した。いやいや、ずっと握っててくれていいんだけど。
「ここは?」
「ホプキンス侯爵邸だ、ハーヴェイ伯父さんに迎えを頼んだ。あんな状態で家に連絡すれば、どんな扱いされるかわからないからな」
「ごめんなさい、迷惑かけて」
確かに父や義母、それにパトリシアにも、こぞって健康管理が出来ていないと責められるだろう。下手をすれば、これを口実に領地で療養しなさいと追い出される可能性だってある。
「でも、勝手にこちらに来たら」
「大丈夫、伯父さんには口裏を合わせてもらってる、急に二人を夕食に呼んだと言うことにしてもらった。今日はここに泊めてもらうよ」
兄は既に手を打ってくれていたようだ。
そこへちょうどハーヴェイ伯父様が入室した。
恰幅のいい大男、母や私と同じ、ブルネットの髪に臙脂色の瞳の持ち主だ。私はホプキンス家の血を濃く引いているようだ。
「気が付いたようだな」
「伯父様」
私は身体を起こそうとしたが、
「いいよ、寝たままで、俺に気遣いは無用だ」
「ありがとうごさいます」
「念のために医者に診てもらったけど、軽い貧血、疲れが出たんだろうと言っていた、ちゃんと食べてるか? 睡眠は取れてるのか?」
「え、ええ」
反応が鈍かったことに気付かれてしまった。伯父に心配はかけたくないが、私って正直者だから咄嗟に取り繕えなかった。
伯父は兄の頭をポンと小突いた。
「お前、ちゃんと妹を気遣ってやれよな」
「そうは言っても、俺がアリーにかまうと、アリーがよけいに意地悪されるから」
えっ? そうなの? 面倒だから距離を置いているんじゃないの?
昔のように、アリーと呼んでくれたことも嬉しかった。そうか! リジェール様が私を愛称呼びしたのは、兄が私のことを話すとき、アリーと言っているからなのね。
兄の言葉を聞いて伯父は大きな溜息をついた。
「そんなことだろうとは思ってたんだ、アリーがあの家で肩身に狭い思いをしていることは想像がつく。俺はな、ロザリーの忘れ形見であるお前たちを、我が侯爵家で引き取りたいと思っているんだ。しかし、いくら家格が上でも、実の父親の承諾無しで引き離すなんて無茶は許されないからな。パーシーに著しい落ち度がない限り勝手は出来ない」
「そうですね、俺は跡継ぎだし、俺がいる限りホプキンス侯爵家からの援助は途絶えないと踏んでいるのでしょう。そしてアリーも支度金目当てで金持ちへ嫁がせる駒として残しておきたいから、簡単には手放さないでしょう」
「あの男は、自分で稼ぐつもりはないのか? 稼げないなら、それに見合った生活をするべきだろ」
「愛人と娘には見栄を張って贅沢をさせたいのでしょう」
ターナー伯爵家の領地は豊かではない。それは父に領地経営の才能が皆無だからだ。ホプキンス侯爵家からの援助がなければとっくに破綻しているだろう。
「俺は最初から反対だったんだ、あんな顔だけの胡散臭い男と結婚なんて、……あ、お前たちの父親だったな」
「本当のことだから構いません、幸運にも、俺たちは母上似ですから」
「あら、お兄様は違うでしょ」
プラチナブロンドにエメラルドの瞳は父親譲りだ。
「この忌々しい外見はそうだけど、中身は母上から受け継いだものだ、この頭脳も性格も」
「そうだな、ロザリーは聡明な娘だったのに、なんであんな男にまんまと騙されたんだろ」
「あの男は役者ですからね」
パトリシアが寸劇好きなのは、父親の血を濃く引いているからなのね。
「金目当てなのは最初からわかっていたけど、愛人を囲っていたなんて許せん! うちから援助した金で愛人に贅沢をさせていたかと思ったら、はらわたが煮えくり返る、ロザリーが生きている間に発覚しなくて不幸中の幸いだった」
違う、母はそんなおバカじゃない、とっくに気付いていたはずよ。でも、騙されたなんて認めれば矜持に反するし、それに、私たちのために我慢してくれていたのだと思う。
「なにが亡くなった親友の妻子だよ、あの娘はどう見てもパーシーの娘だろ、ソックリじゃないか、おまけに性格は性悪の愛人譲りときてるから質が悪い、アリーはさぞ辛い目に遭わされているんだろ」
「俺がいる手前、表立っての嫌がらせはないけど、こんな時は金を惜しんで、ちゃんと医者に見せるかはわからないし……突然の失神なんて悪い病気なら大変だろ、ただの貧血でよかったよ」
「良くはないだろ、持病もない十六の娘が貧血で倒れるなんて尋常じゃない」
「そうですね……」
兄のせいではないのに、そんな沈んだ顔をさせてしまって申し訳ないわ。
「さあ、そろそろ夕食の用意が出来ているはずだが、アリーはどうする? ここへ運ばせようか?」
「もう大丈夫、食堂へ行きます」
久しぶりに味がする夕食を頂いた。
ターナー家での食事は、息が詰まるような雰囲気の中、ただ食べ物を口へ押し込んでいるようなもので味などしなかった。だから栄養にならないのかしら?
父と義母、パトリシアは歓談しながら美味しそうに食べているが、私は一刻も早く済ませて自室に戻ることだけを考えていた。兄も同様だろう。
ハーヴェイ伯父様の大きな笑い声は心を和ませてくれる。夫婦仲は良く、従兄弟たちも温厚な性格だ。伯父が言っていたようにこの家に引き取られたら、こんな穏やかな日々が過ごせるんだ。そんなのは夢だけど……。