最終話
その日、私はクロワジール王国へ旅立つミランダを見送った。
まだ全快ではないが、動けるようになったので、年が明ける前に発つことにしたのだ。新年は向こうで兄とその友人たちと共に迎える予定だ。
彼女は最後までジェイク様のことを聞かなかった。マッソー侯爵が与えると言った相応の報いについても尋ねなかった。
彼女の中でジェイク様との関係はもう終わったこと、無理にでも終わらせた。ミランダの七年を台無しにした男の名前を口にすることも嫌だったのだろう。
彼女は前だけを見て進むことにしたのだ。
当のジェイク様は学園に来なくなってからの消息は知らない。噂では退学した後、近衛騎士団の入団試験に落ち、王国騎士団の入団試験にも落ち、リリーナにも見捨てられ、行き先を失くしたらしい。そして、市井をうろついている姿を見たとか見ないとか……。
クルーガー伯爵とターナー伯爵は金銭トラブルから殺し合いになってしまった。と言うことで収められた。
クルーガー伯爵が死亡し、ハリボテだった伯爵家が崩壊するのは早かった。手掛けていた事業は信用を失ったことにより、多額の負債を抱えて倒産した。いったんクロワジール王国に戻ってミランダを受け入れる準備をしていたライナス様は慌てて帰国した。そしてクルーガー伯爵家での最後の仕事と、家屋敷、領地を売って返済に充てた。伯爵位も国に返還した。
リリーナと母親は差し押さえられる前に、いち早く宝石貴金属を持って姿を消した。
平民となったミランダに憂いはなかった。
「私もお兄様と同じ医学の道へ進むわ、私の頭じゃ難しいのは覚悟してるけど、頑張る! 学費はマッソー侯爵が援助すると言ってくださってるし、甘えることにしたの」
「良かったじゃない」
「この火傷痕じゃ、結婚は望み薄だし、一人でも生きて行けるようになりたいの」
フッと悲しそうに目を伏せたミランダにかける言葉は浮かばなかった。
あなたにもいつか、あなた自身を見てくれる男性がきっと現れる、そう言いたかったけどやめた。今の彼女に対しては無責任、気休めに過ぎないから。
ミランダを見送ってから、私はリジェール様と共に墓地へ来た。
母の墓石の前には兄が先に来ていた。
「申し訳ありません、母上の無念は晴らせませんでした」
兄は静かに頭を垂れていた。
「自白させて裁きを受けさせるという作戦は失敗に終わりました。二人が殺し合ったのは想定外でした、でも、結果、報いは受けたけど」
当事者が二人とも亡くなっては、交換殺人を白日の下に晒すのは困難だ。母とミランダのお母様の事件は、事件にもならずに真相は葬られてしまった。
「お兄様」
「ああ、来たのか、ミランダ嬢の見送りは済んだんだな」
「ええ」
「寂しくなるな」
ミランダの門出に水を差すようなことはしたくなかったから涙は堪えた。それが今頃になって目頭が熱くなってきた。
兄はそんな私の頭に手を乗せた。ダメよ、その弾みで零れちゃうじゃない。
「お母様に報告は済んだの?」
私は涙を堪えるために話題を変えた。
「ああ、クソ野郎が死んだことはな」
「言葉が乱れてるわよ」
「いいんだよ、クソで」
そうよね、なんの罪もないお母様を殺した男ですものね。一度は愛した男に殺されたお母様があまりにも可哀そう……。
「キンバリーほどの美貌はなかったけど、お母様は美しい人だったわ、聡明で優しく穏やかな女性だったのに、なぜ愛されなかったの?」
「そうだな、ターナーの好みではなかっただけで、悪い男に目を付けられなければ、普通に幸せになれていたかも知れない。運が悪かったのか、男を見る目がなかったのか……なにより、間違いに気付いた時、正す勇気がなかった弱い女性だったんだ」
「お前、自分の母上に対して厳しすぎないか」
私もリジェール様と同意見だが、兄の言葉も頷けた。間違ってしまったことは取り消せなくても、その後に進む未来はいくつもあったはずだ。少しの勇気があれば、別の道を選ぶこともできたのに……。
「パトリシアはともかく、キンバリーは本当に無関係だったのかしら、リリーナの母親の方も」
「それこそ、もうどうしようもない」
「いつか必ず、報いは受けるよ」
リジェール様が言ったが、悪い奴に必ず罰が当たるとは限らない。悪事を重ねても、何食わぬ顔をして生きている輩も多い昨今だが……。
ターナー伯爵家はホプキンス侯爵家からの支援とベッカー伯爵からの結婚支度金があったので借金こそなかったものの、執務をこなしていた兄が家を出たことと、伯爵が死亡したことが重なり、執務に支障をきたしていた。給料が滞ったために使用人は次々と辞めていった。
それでもキンバリーは自分が女主人と言い張り居座っている。パトリシアに婿を迎えてターナー伯爵家を立て直す気満々だが、パトリシアは後妻の連れ子でターナー伯爵家の血を引いていないと言うことになっているのだから、親戚筋が黙っているはずはない。兄が相続を放棄したので、遠縁の親族の誰かが伯爵位を継ぐことになるだろう。
その時、キンバリーとパトリシアの母娘がどういう扱いをされるかは、私たちの預かり知らぬことだ。
私は裁判をすることもなくホプキンス家に引き取られることになった。ベッカー伯爵への婚約解消の慰謝料も伯父が支払ってくれた。
「そう言えば、宝石貴金属を持ち逃げしたリリーナと母親は、国境で逮捕されたらしいぞ」
「逃げきれなかったんですね」
「刑務所行だな」
彼女たちが盗んだものの中には、ミランダのお母様の形見もあったらしい、ミランダの手元に戻るように祈るわ。
「今日は喜ばしい報告もあるんですよ」
兄は声のトーンを上げて再び墓石に向き直った。
そして私を引き寄せた。
「アリーが婚約したんです」
そうなのだ、私とリジェール様の婚約が正式に調った。
イーストウッド領は遠方で辺境伯は急に王都まで出向くことが出来なかったため、代理として恐れ多くも国王陛下が婚約式に臨席してくださった。そうして私たちは正式な婚約者となった。
婚約に当たっては躊躇いがあった。
籍がホプキンス侯爵家に移ったと言っても、兄と私は殺人犯の子供なのだ。そんな私が由緒正しきイーストウッド辺境伯家子息の婚約者になっていいものか、わからなかったが、
〝親は選べない、親がしたことの責任を子供が負う必要はない〟
とクリストファ殿下が背中を押してくれた。
「リジェならきっとアリーを幸せにしてくれます」
「アリーを必ず幸せにします。……違うな、アリーと二人で幸せになります」
リジェール様は私を抱き寄せた。
「だってアリーが幸せなら俺も幸せだから」
「リジェール様」
私は思わず彼の首に抱きついた。
「そこまでだぞ、離れろ」
兄の呆れ返った声。
「羨ましいか」
意地悪なリジェール様の声。
「お前も早くみつけろ」
「大きなお世話だ」
二人の声を聞きながら、私はリジェール様の胸で幸せを噛みしめた。
* * *
学園が冬期休暇に入るとすぐ、私はリジェール様のご家族にご挨拶するためイーストウッド辺境伯領都の本邸へ向かった。
馬車に揺られること十日、リジェール様と二人きりの幸せな旅はアッという間だった。もちろん護衛騎士は随行していたが、私たちに気を遣って空気に徹しくれた。
「すっかり日が落ちてしまったけど、この草原を抜ければ領都に入る。今日は関所近くの宿に泊まって、明日の朝に出発すれば昼にはイーストウッド本邸に到着するからね」
「いよいよね」
「なにも心配することはない」
「心配なんかしていないわ、あなたとドリスのご家族だもの、いい人たちに決まってるわ」
リジェール様は嬉しそうに私を抱き寄せた。
ふと、馬車の窓から夜空が見えた。
星が出ていた。
「綺麗」
「ああ、街の灯がないから星がよく見えるだろ」
御者に合図して馬車を止めた。
私とリジェール様は馬車から出て、しばし宵闇の空気を吸った。
夜空には宝石をちりばめたような星々が煌めいている。王都では見られない風景だ。
私とリジェール様は今にも降ってきそうな星空を並んで見上げた。
彼が私の肩を抱き寄せる。
近づく彼の瞳にも星が輝いているのを見ながら、私はそっと目を閉じた。
あっ、この場面、いつか夢で見た……。
恐ろしい夢だけじゃなく、幸せな予知夢も見ていたのね。
あの時は、ここで目が覚めてしまったけど、今は……。
リジェール様の唇が、そっと私の唇に重ねられた。
おしまい
最後までお読みいただきありがとうございました。応援、感想、誤字報告をいただき感謝します。次作も(準備中)読んでいただければ幸いです。