その29
足音は二つ。
そして。
「いまさらなんのつもりだ、二度と会わない約束だっただろ」
ターナーの声だった。
この場所を選んだのは正解だった。少々距離があっても、反響して話し声がよく聞こえる。室内に灯りはなく窓から差し込む月明かりだけなので、顔までは確認出来ないが、シルエットで一人はターナーだとわかった。そしてもう一人はクルーガー伯爵だろう。
クリストファ殿下の目論見通り、二人は偽の手紙でまんまと誘き出された。
「それはこちらのセリ」
ドン! と何かがぶつかる鈍い音と共にクルーガー伯爵の言葉が途切れた。
ターナーが体当たりしていた。
「うっ!」
うめき声が聞こえた。
「こっちは裁判を控えているんだ、アリスンを奪われたら、うちは破産だ。過去の亡霊にかまっている暇はない」
「貴様ぁ」
なにが起きたかは想像がついた、ターナーがクルーガー伯爵を刺したのだろう。
「マズイな」
同じことを考えたクリス殿下はパチンと指を鳴らした。すると一斉に数個のランプが灯った。その数だけ騎士の姿が浮かび上がる。
そして、状況が把握できずに呆然と立ち尽くすターナーと、腹にナイフが刺さったまま辛うじて立っているクルーガーの姿が照らし出された。
騎士たちが二人を取り囲む。
「ターナー伯爵、殺人未遂の現行犯で逮捕する」
「な、なんで……どういうことだ」
待ち伏せされていたことが腑に落ちない。顔面蒼白に見えるのはランプに照らされているせいだろうか?
「あの手紙を見て来たと言うことは、五年前の母上の事件に暴露されたくない秘密がある証拠だな」
兄がゆっくり歩み寄った。
「ロドニイ!」
ターナーは兄に詰め寄ろうとしたが、騎士に止められた。
「お前があの手紙をよこしたのか!」
「ハメられた…のか」
血に染まった腹部を抱え込むように膝をついたクルーガー伯爵は、血の気が引いていく真っ青な顔で悔しそうに漏らした。
兄はそんな彼を一瞥しながら、
「ずっと調べていたんですよ、母の死の真相を」
「お前の母親は病死だ」
「ではなぜ、ここへ来たのです」
斜め後ろに控えていた私に視線を流した。
「アリスンまで」
ターナーは愕然とした目を向けた。
「あなたとクルーガー伯爵はここで知り合った。そして交換殺人を計画実行したのではないのですか」
「何を根拠にそんなバカなことを!」
あくまでシラを切り通そうとするターナーに、根拠が私の夢だとは言えない。
「お前の息子は切れ者だと聞いていたが…、ざまぁないな、息子に…嵌められるとは…、俺はとんだとばっちりだ!」
クルーガー伯爵は苦しそうな息遣いから声を絞り出した。
「喋らないほうがいいぞ、出血がひどくなる、お前はすぐ病院へ」
クルーガー伯爵を支えていた騎士が言った。その時、クルーガー伯爵はいきなり騎士を振り切って立ち上がり、ターナーに突進した。
腹に刺さっていたナイフを引き抜いて握り直しながら、ターナーに体当たりした。
一瞬の出来事に騎士も不覚を取った。瀕死のクルーガーにこんな力が残っていたなんて、誰一人思いもしなかった。
クルーガー伯爵が突進した勢いのまま、二人は重なり合って倒れた。
「しまった!」
兄は駆け寄った。
そして私もあとに続いた。
足元に横たわるターナーとクルーガー、うつ伏せだったのが幸い、顔は見えなかったが、身体の下には流れ出た血が広がっていた。
兄が慌てて私を抱き寄せ、見せないように胸に顔を押し付けた。
騎士たちが二人を引き離した。
「お前が……気付いていたとは……それで復讐を」
ターナーにはまだ息があった。
「パティは…なにも知らない、あの子は許してやっ」
そこで言葉は終わった。
騎士が二人の首筋に手を当てて脈を確認していた。
首を横に振っていたので、おそらく息を引き取ったのだろう。
「最期まで勝手なことを言いやがって」
兄は吐き捨てるように言った。
哀しい気持ちはなかったのに兄の胸元は私の涙で濡れていた。
それは悔し涙だ。
あんな人でも血の繋がった父親、なのに少しも愛されていなかったことを思い知らされたからだ。最期までこの男の娘はパトリシアただ一人だったのだ。
クリストファ殿下とリジェール様、アンドレイ様も私たちの傍に来た。
この顛末は誰も予想していなかっただろう。
「僕が甘かったな、まさか話しもせずいきなり相手を殺しにかかるなんて」
そんな残忍な人間と血が繋がっていると考えただけで鳥肌が立つ。
「これでは五年前の事件の真相は藪の中だな」
クリストファ殿下の口調は淡々としているが、その奥には悔しさが込められていた。
「二人がここへ来た時点で、交換殺人が行われたことは間違いないでしょう、そして、報いは受けました」
「しかし、彼らが犯した残忍な犯罪を白日の下に晒して、裁きを受けさせたかったのだろ」
クリストファ殿下はそう言ったが、
「いいえ、これでよかったんです」
四人は私の言葉に驚きの目を向けた。
「よく考えてみたら、実の父親が母親を殺したなんて耐えがたい悲劇です、今、心も体も傷ついたミランダが、前を向いて進もうとしている時に、知らせたくない真実ですから」
「君はどんな時も他人を思いやれるんだな」
リジェール様が兄から私を奪い取って抱きしめた。
「そう思うなら、最初からこの計画に乗らなきゃよかったんじゃないのか?」
アンドレイ様の言うことはもっともだ。
しかし私もこうなるまで考えが及ばなかったのだ。
「俺も、母の無念を晴らしたいという自分の気持ちばかり優先させて、ミランダ嬢のことは全く考えていなかった。そうだよな、これはターナー家だけの問題じゃなかったんだ」
学園に入学してミランダと出逢った時から、私たちの境遇はよく似ていると思っていたが、こんな繋がりがあったとは想像もしていなかった。私たちの出会いは偶然ではなかったのかも知れない。そう、きっとお母様たちが結び付けてくださったに違いないわ。
「殿下、こんなことにお手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」
兄は深々と頭を下げた。
「いいや、犯罪が見過ごされていたなら正さなければない、そんなことが起きないように警察組織をもっと強固なものにしなければならないな。それに、将来ことを考えると、君には貸しを作っておくのもいいと協力したまでさ」
「将来のことって、兄をこのまま側近に取り立ててくださるってことですか?」
私は殿下の言葉尻に喰いついた。
「おや、君の妹も抜け目ないね」
「アリー、厚かましいぞ」
「だって、私たち殺人犯の子供になってしまったのよ、伯爵家もこの先どうなるかわからないし、身分が無くなるかも知れないわ、兄様は優秀なのに学園に通えなくなったらと思うと……」
「お前はどうなんだよ」
「アリーは心配いらない、俺のところへ嫁に来ればいいから」
「だから、まだ早いって」
私たちがそんな話をしているうちに、遺体は運び出されて、騎士の姿も殿下の護衛を残して消えていた。
あまりにあっけない最期だった。
計画通りにはいかなかったが、ターナーが零した言葉から、交換殺人が確かにあったことが窺える。ただ、自白とは取れないし、証拠はない。
私は母の顔を思い浮かべた。
母はいつも微笑んでいた、優しい人だった。あんな男に騙されなければもっと幸せな生活が送れたかも知れない。まだ生きていて、もっと長生きできたかも知れない。
理不尽に奪われた命は戻って来ない。たとえ、奪った奴が報いを受けたとしても……。