その26
「ライアン君?」
入室した青年をマッソー侯爵夫妻はご存知のようだ。
えっ? ライアンと言えば、確かミランダのお兄様の名前。私がミランダと知り合った時はもうクロワジール王国に留学していたので、一度もお会いしたことはなかったが、ミランダの事件を聞いて戻ったようだ。
ミランダと同じ茶色の髪と瞳の落ち着いた雰囲気の青年、顔立ちもどことなく似ていた。
「ミランダ」
ライアン様はベッド脇に跪いた。
「こんなことになっているなんて!」
「誰?」
リジェール様が私に耳打ちした。
「ミランダのお兄様、クロワジール王国に留学中の」
「あなたが留守中にこんなことになってしまって、申し訳ないわ」
マッソー侯爵夫人はライアン様の横に屈んで頭を下げた。
「やめてください、あなたのせいじゃない」
ライアン様は恐縮しながら夫人を立ち上がらせた。
「事情は把握しています、ミランダのことはこちらにいる友人に頼んで、定期的に様子を報告してもらっていたんですが、友人は学生ではないので学園内の噂まではわかりませんでした。まさかジェイク君をリリーナに奪われた上に、軟禁されていたなんて……」
「そうなんですか? ミランダは連絡がつかないと言っていましたけど」
私は思わず口を挟んだ。だってミランダから〝兄は自分を見捨てて逃げた〟と聞かされていたから。
「それは、義母が手紙を握りつぶしていたからなんです」
「まあ! なんてこと」
マッソー侯爵夫人が声を上げた。私もそんなことをされているとは思わずに愕然とした。どこまで酷い人たちなのだろう。
「俺も無理にでも会いに戻れば良かったんですが、俺がミランダを気にかければかけるほど、さらに虐げられるんじゃないかと心配で」
我家と同じパターンだ。
「なぜ後妻はミランダをそこまで憎むのだ?」
マッソー侯爵の疑問ももっともだ。ミランダが彼女たちになにをしたと言うの?
我家の場合は、ターナーが嘘を吹き込んでいたのでパトリシアが私を憎む理由があった。クルーガー家も同じだったのだろうか?
「あの人たちの思考は理解できません、ただ先妻の娘と言うだけで気に入らない、目障りだと、そんな理由で虐げる人たちなんです。ミランダが進学するとき、クロワジールに呼び寄せて俺と同じ学園に留学させようかとも考えたのですが、ミランダにはジェイク君がいたから、ミランダはジェイク君を愛していました。だから、彼がいれば大丈夫だと思っていたんです」
「本当に申し訳ない、ジェイクがあんな娘に誑かされるなんて思ってもいなかった」
「思わないでしょ、異母姉の婚約者を奪うなんて」
「我々がもっと早く気付いていれば」
マッソー侯爵も頭を下げた。二人とも本当にミランダを可愛がってくれていたようだ。
「いいえ、ジェイク君を誑かしたリリーナも半分は俺の妹ですから、申し訳ないと思っています」
「愚息とは縁を切りました」
ライアン様はその言葉に驚きに表情を浮かべたが、すぐに、
「俺もクルーガー家と縁を切る決心がつきました」
笑みを浮かべた。
「クロワジールでは医学を学んでいて、来年から研修医として病院で働くことが決まっているんです。いずれは正規の医師資格を取得して自立する予定ですし、もう帰る必要もありません」
ライアン様は眠り続けるミランダを見下ろした。
「父が愛人と異母妹を家に入れてからクルーガー家は歪んでしまった。事業もうまくいっていないのに財力以上の贅沢をさせて、俺がなにを言っても耳を貸さないし、いずれは借金で首が回らなくなるでしょう。そんな家を押し付けられるなんてまっぴらです。だから見限って自力で生きていく道を選んだんです。ミランダが目を覚ましたら連れて行きます。妹一人くらい養っていけますから」
「ほんと? ほんとに私を連れて行ってくれるの?」
ミランダが言った。
えっ? 意識を取り戻していたの? いつの間に!
「ミランダ!」
私は慌てて彼女の顔を覗き込んだ。
ミランダは弱々しい笑みを向けてくれた。
「意識が戻ったのね!」
「ええ、ついさっき」
「ミランダ!」
ライアン様は彼女の手を握りしめた。
「お兄様」
「良かった!」
「バカなことをして申し訳ありません」
そして、涙を浮かべているマッソー侯爵夫人に、
「とんでもない事をしてしまいました、あの時は私、正気じゃなかったんです、どうお詫びしたらいいか……」
「それはこちらのセリフよ、あなたが理不尽な仕打ちを受けて、追い詰められていることに気付いてあげられなくてごめんなさい」
「ジェイクには相応の報いを受けさせる」
「報い?」
ミランダはいつから目覚めていたのだろうか? ジェイク様への会話は聞いていなかったようだ。
「あなたはなにも心配することないのよ、ライアン君も駆け付けてくれたし、私たちも出来るだけのことはさせてもらうわ」
「私、ずっとお兄様に見捨てられたと思っていたの、でも、そうじゃなかったのね」
ミランダは潤んだ瞳でライアン様を見つめた。
「当たり前だろ、大事な妹だ。一人にさせてすまなかった、これからは一緒に暮らそう」
「ええ」
ミランダは私に視線を移した。
「私が学園を退学すれば、あなたが一人になるんじゃないかと思ったけど、その心配もなさそうだし」
横にいるリジェール様を見て微笑んだ。
「良かったわねアリー、それからありがとう、あなたたちが助けてくれなければ私死んでた、お兄様のことも誤解したままで、化けて出たかも知れないわね」
「それは怖いわ」