その10
「今日、図書館でパティを脚立から落として怪我をさせたらしいじゃないか」
夕食の食卓、私が席に着くと、父はいきなり怒鳴るような口調で私を責めた。
脚立から落とした、に話が変わっている。その上、パトリシアは左手首に包帯を巻いていた。
一人芝居なのだから怪我をするはずはないのに、大袈裟にしたのだろう。
「その上で、友人に嘘の証言をさせてパティを陥れようとしたらしいな」
「私はなにもしていません」
私は目も合わさずにナプキンを膝に置いた。
本当なら夕食は抜きでもいいから、すぐ部屋に戻りたいところだが、それはそれでまた後で面倒なことになる。
「じゃあ、なぜパティは怪我をしているんだ」
「知りません」
「お前と言う奴は!」
父は憤慨して立ち上がった。
「お父様はその友人がどなたかご存知ですか?」
父が私のほうへ来ようとしたので、殴られては割に合わないと、私はさっそく盾を使わせてもらうことにした。
「お前の友人など、どうせロクな令嬢じゃないだろ」
「オニール公爵令嬢のクローディア様ですよ」
「なに?」
「ご存知ですよね、クローディア様のお父上は宰相閣下です、高潔なご令嬢が嘘の証言をしたというお言葉はどうかと思いますけど」
父は驚きの目をパトリシアに向けた。
彼女がバツ悪そうに目を逸らしたのを見て、
「では見間違いをされたんだろう」
と、腰を下ろした。
「クローディア様にも、そう言えますか?」
「お姉様はいつの間にか高位貴族のご令嬢に取り入って、私の悪口を吹き込んでらっしゃるのよ、だから騙されて、お姉様を庇われたに違いないわ」
「クローディア様は聡明な方だ、簡単に騙されるような方ではない」
兄が援護射撃を放ってくれた。
「酷いわ! お兄様まで私が嘘をついているとおっしゃるの!」
パトシリアは涙をポロポロと零した。いつ見ても見事な嘘泣きだ、涙ってこうも簡単に出るものなんだと感心する。
「もういい、この話はこれまでだ」
いつもならとことんパトリシアの味方をする父も、今日はスッパリ話を切った。
「お父様も私を信じてくださらないの」
「そう言う問題ではない、貴族社会というモノをお前はもっと学ばなければならないな」
さすがの父もパトリシアの嘘を認めざるを得ないだろう。クローディア様が宰相であるお父上と同じ正義感が強い方だと言う噂は耳にしているだろうし、嘘までついて私を庇う理由もない。なにより、公爵家に言いがかりをつけるわけにはいかない。クローディア様は立派な盾になることが証明された。
その後はいつものように一言も発せず、黙々と食事を口に運んだ。味も何もしない、ただ押し込んでいるだけ。
パトリシアの睨むような視線が突き刺さるが、見ないようにした。
* * *
お兄様が援護してくれたのは嬉しかったけど、明日からのことを思うと気が重い。どんな嫌がらせをされるんだろう、勉強は出来ないくせに悪知恵は妙に働くから。
部屋に戻り、悶々としながら寝付けないでいた。
父に溺愛され、わがまま放題、欲しいものはなんでも買い与えられている――私の母の実家の援助で――のに、それ以上なにを望んでいるのだろう?
そんなことを考えながら水を飲みに下りた。本来なら、ベッド脇に用意されていなければならないはずだが、私付きの侍女もメイドもいないし、五年前から自分のことは自分でするようになった。ちなみにパトリシアには侍女一人、メイド二人がついている。
一階に下りると、廊下に兄の姿があった。さっきのお礼を言おうと近付いたが、目が合ったとたん、引き寄せられて壁に押し付けられた。
驚いている私の口をふさいで静かにするよう合図した。
兄の視線の先はリビングルーム、まだ灯りが煌々としており、人の気配がしていた。
声が聞こえた、父と義母、パトリシアの話し声だ。
「いつもそうなのです、学園ではお父様の目が届かないからと、私は苛められているのです、お兄様も騙されているのですよ」
キンキン声で訴えるパトリシア。
「本当に酷い奴だな、可哀そうに」
嘘だとわかっているはずなのに、父は彼女の言葉を肯定した。
「アイツはドロシーによく似ている。少しばかり頭がいいからとお高くとまって見下した様な目を向ける。本当に可愛げのない奴だ」
父は母のことを最初からそんな風に思っていたのだろうか? それでも、実家の支援を得るために、プライドを捨てて母に媚びるしかなかったのだろう。母は父の偽りの気持ちを見抜けなかっただろうか?
「学園に行くのが怖いです、なにをされるかわかりません」
「アリスンを退学させれば済むことですよ」
義母のキンバリーが言った。
なんですって! そんな勝手なことを! 私は思わず動こうとしたが、お兄様に抱き留められた。
「もう少しの辛抱だ、アリスンは年が明ければ嫁に出す予定だからな」
「お義姉様に縁談あるの?」
「ああ、ベッカー伯爵は手広く商売をしている裕福な貴族だ」
「そんな! お義姉様にはもったいないですわ」
「私より年上で、愛人を何人も囲っている好色男だぞ」
「まあっ」
「去年正妻を病で失くして、後妻に若い生娘を捜していたんだ。支度金も弾むと言っているしちょうどイイだろ。もう少しの辛抱でアイツの顔を見なくて済む。しかしホプキンス侯爵に知られないように秘かに進めなければならない、知れたらまた口を挟んでくるからな」
「先妻の実家がなぜいちいち干渉してくるのです、我家のことに口出しは無用だと言ってくださいよ」
「まあまあ、あちらは侯爵家、格上の者を敵に回すと面倒だからな」
この会話で、父がホプキンス侯爵家からの援助を受けていることを隠していることがハッキリした。見栄を張るものたいがいにしろ!
それより、私が結婚させられる? なにも聞いていないんだけど。
声しか聞こえなかったけど、三人はさぞかし意地悪な笑みを浮かべながら話していたのだろう。私を厄介払いする話だから。
兄は動揺して震える私を抱きかかえながら部屋へと連れ戻った。




