第五章7
「こちらです」
案内役の将官に示されたのは、茫漠たる平野の只中であった。
つい先ごろまで幾万の軍兵を統べる司令部が設置され、慌ただしく人員が往き来していたとはとても思えない、漠寂たる景色がどこまでも広がっている。
「……」
びゅるり。
延々と遮蔽物のないところを遠慮会釈なしに吹きすさぶ風が、瞬時に己を感慨ごと包んだ。
藤林は瞳を細めてゆっくりと遠く、大地の描く稜線に視線を流していく。
一人の男の生きざまをかみしめるように。
その死に想いを馳せるように。
「石原……」
そこはまさにあの傑物たる存在を悼むに相応しい場所であった。
すでに内地で行われた、本来の葬儀には参列していたのだが。
当人の遺言と、夫人の要望らしい身内と関係者に限った、慎ましい葬送の儀式。
あの時にはまださほど実感はなかったのだ。
本人の遺骨を目の前にした、小規模ながら物々しい、僧侶の読経と抹香の香りが漂うあの空間では。
強いていうなら、共に連れ立った小畑利四郎が帰り際にぽつりと漏らした「アイツらしい……」という独言だけが妙に記憶に残った程度であった。
『この葬儀が? それともあの死に様が?』と、相変わらずぶっきらぼうで言葉数の少ない男の口から零れた一言に僅かな時間、意識が囚われただけ。
だが、今目の前にしている光景はあの空虚で何ら実感のなかった時とはまるで違う、生々しいまでの喪失感と一人の人間の記憶をまざまざと喚起し齎すものだった。
(本来は戦後まで生きていたはずだったな……)
藤林が知る歴史では、石原莞爾は同じく病没するとはいえ、戦後数年生きたはずである。
だからまず間違いなく己が担ぎ出したせいで寿命を縮めたのは確実。
満州の最前線で数年にわたり、あのソ連との対峙を続けさせたのだ。
その精神的、肉体的消耗と疲労は疑うべくもない。
つまりはあの男を殺したのは己に他ならなかった。
そうして一人の男を犠牲にして得られたのは、表向きには『停戦条約と僅かな領土』だけである。
ノモンハンに関する一連の後始末、ソ連との和平交渉がようやく目途もつき、終わりが見えつつある今。
日本があの武力衝突で得られたものは、相互の不可侵と、改めて河川が国境線であることの合意。
つまり本来の歴史との違いは、『20km国境がずれた』だけなのだ。
だが決して公式にはならない、誰もそうと認識することは永遠にないだろう何よりの戦果。
本来なら失われたはずの幾万の将兵の命が救われたという事実。
下手をしたら全面戦争になっていてもおかしくない、まさに綱渡りの国家存亡の危機から逃れたという、これ以上ない結果。
そのためにこそ、一人の男の犠牲は決して無駄ではなかったと確信するのである。
ならば己にできることは何か。
「石原殿っ。偉大なる先達の貴方に、無限の感謝と尊敬を……っ。本当に、本当にありがとうございましたっ!」
そう心からの祈りと真情を捧げることしかあるまい。
永田鉄山と石原莞爾の立場、関係を前提とするならば明らかにおかしな発言ではあったであろう。
だが、一筋の涙が頬を伝うのを感じながら、荒野に向かって敬礼する藤林には関係なかった。
どれだけ内地からの随伴員と、案内役の関東軍の人間が違和感を感じて、いぶかしがったとしても。
大日本帝国、陸軍大臣兼対満事務局総裁、陸軍大将 永田鉄山としてではなく。
日本国自衛隊、第一空挺団 藤林健として、悼辞を口にすることに何の抵抗もなかった。
未来から訪れた漂流者は、死んだ男がこの時代唯一無二の『友人』であったのだと遂に理解し、永遠に亡くしたことを思い知った。
時に1939年、8月。
藤林はこの後、アメリカによる禁油宣言があるとは未だ想像だにしていない。
さらにその一月後、運命を嘲笑うように黒竜江省で『あの』世界最大規模の油田が発見されてしまうことさえも。
ドイツがポーランドに侵攻し、瞬く間に欧州を席捲するまさにその時、激動の時代が始まる寸前の一幕であった。




