第一章3
──人生で、これほど足取りの重い“帰宅”があっただろうか。
日比谷の霞が関を背に、車は市ヶ谷方面へと進んでいた。
昭和10年、夏。
日が傾いてもなお、湿り気を帯びた熱気が街並みにまとわりつく。
遠く蝉の声が響き、空は茜色に染まりはじめていた。
「閣下、ご自宅へは直行なさいますか?」
運転手の問いかけに、永田鉄山――いや、藤林健は曖昧に頷いた。
(まさか自分が、永田鉄山の“家”に帰ることになるとは……)
それは歴史の教科書に記されていた一文の裏側に飛び込んだような、現実味のない感覚だった。
だが、確かに彼は生きていた。
1935年、軍務局長・永田鉄山として。
そして今、自宅へ向かっている。
(家には、永田の家族がいるだろう。たしか……妻も、子も)
思わず喉が鳴った。
名前も、顔も、年齢も分からない。
ましてや、どんな口調で会話を交わしていたのか、どんな思いで家族と接していたのか──そんなものは、史実にも書かれていない。
(“永田鉄山”として、俺はふるまえるのか……?)
車が止まった。
重厚な木造の屋敷。門前に立ち、深呼吸を一つ。
まるで昇任試験を受ける前のような緊張が襲う。
(ええいっ、ままよっ!)
どうせ駄目でもともと。
こんな非現実的で異常な状況、なるようにしかなるまいと。
そうして逡巡を振り払うように足早に門をくぐると、玄関に出迎える一人の女性の姿があった。
「あなた、おかえりなさいませ」
その声を聞いた瞬間だった。
──記憶の底から、何かが閃いた。
いや、“染み出す”ように、湧き出してきた。
笑顔。手の温もり。着物の香。膝枕の柔らかさ。かすれた笑い声。ささやかな喧嘩。
断片が波のように押し寄せ、次の瞬間、永田鉄山の家族としての記憶が洪水のように流れ込んできた。
「ただいま。遅くなってすまないな」
自分でも驚くほど自然な声だった。
藤林はそのまま靴を脱ぎ、廊下を歩く。
柱の節、畳の匂い、襖の音──どれも初めてなのに、懐かしさすら感じる。
「夕餉の支度、すぐに整いますわ」
「ありがとう。……うむ、助かる」
食卓につき、息子と短く言葉を交わす。
彼は小学校高学年か。
軍人の子らしく礼儀正しく、どこか遠慮も感じる。
それもまた“永田鉄山の家庭”らしい。
ぎこちないながらも、会話に不自然さはなかった。
記憶と感情が補完し合い、彼を完璧に“永田”へと導いていた。
夜、書斎に戻る。
ようやく一人になった瞬間、深いため息を吐く。
「……やっていける、かもしれないな」
硯の墨の匂い、机に刻まれた小さな傷、並ぶ書籍。どれも、永田が生きていた証であり、これからの藤林が背負う“座標”だった。
藤林は椅子にもたれ、ふと天井を仰いだ。
(しかし……この“自然さ”は何だ? まるで俺自身が“永田鉄山”であることに、疑いを持っていないかのような……)
そう思った瞬間、冷たい汗が首筋を伝った。
(……俺は、本当に“藤林健”なのか?)
彼は自分の手を見つめた。
関節の太さ、骨の感触、わずかに筆だこのある指先──見慣れたものではない他人のもののはずが、今は妙に馴染んでいる。
(まさか……俺は、“永田鉄山”という男が、錯乱して作り出した幻じゃないのか?)
すべては、相沢事件の直前。
死の恐怖と混乱のなかで、永田が“もう一人の自分”を脳内に生み出したのではないか。
自分はただの思念、もしくは夢……あるいは、死の間際に一瞬だけ生まれた妄想にすぎないのではないか。
「……そんな馬鹿な」
呟く声にしても、はっきり“永田鉄山”のもの。
しかし。
もし妄想だとしたら、この戦後日本から令和に至るまでの歴史的変遷のあらゆる知識が一人の人間が頭の中で生み出したということになる。
ましてや藤林健という一人の人間の人格と人生まで。
果たしてそのような網羅的かつ莫大、微に入り細にわたるものをただの推論と想像だけで創り上げることなどできようか。
フッと自嘲的に笑った。
とりあえず自分は間違いなく藤林である。
事故直前までの、陸上自衛隊空挺団員としての生々しい感覚と記憶ははっきりと残っている。
それに……。
仮に永田という人物の妄想だとして、だからどうだという開き直りもあった。
(実際どうあれ、今はもうこのままの自分を全うするしかあるまい)
目の前の問題に現実的に取りうる手段を模索して対応する。
時代と場所を超えて共通する、軍事に携わる人間の本質。
それが藤林を淡々とこの状況に適応を促していった。
現代陸上自衛隊員としてなのか、あるいは昭和の高級軍事官僚としてのそれなのか。
どちらか定かならずとも、確かにそれをもたらしたのが軍人としてのリアリズムだったのは間違いなかった。
「やるしかあるまい……」
そうして永年、永田鉄山が愛用していたのだろう書斎の長椅子にぐったりと座り込み、今日の記憶を反芻し始めた。
東条との衝撃的な邂逅と、その後の陸軍省内の人材の確認把握。
武藤章、根本博ら、主な永田派の人材との面会はもう果たした。
「あとは……石原莞爾か」
柱時計が夜九時を告げた。
昭和十年の夏の夜は、なおも深く、静かに更けていく。