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第四章5



 ノモンハン事変に対する藤林の選択肢は三つあった。


 一つは外交的努力で完全に未発とすること。

 一つは未来知識を総動員して、有利な状態で挑みソ連を圧倒すること。

 そしてもう一つは史実と同じ流れを踏み、可能な限り被害を抑えること。


 まず外交的努力での解決。

 最初に検討したのがこれである。

 やらずに済むのならば武力衝突が起こらないに越したことはない。

 藤林の第一の目的は日本を敗戦国とせずに、日本国民の生命を一つでも救うことなのだから。


 この国境紛争――モンゴルと満州、つまりソ連と日本の主張の食い違いが原因であるこの問題に関して、藤林は軍部、外務省を含む関係各所の見解を徹底的に確認した。

 そもそもの原因は、満州とモンゴルの境界を河川とするか、そこから満州寄りの「20km内陸」に置くかということなのだ。

 歴史的経緯で言えば、清国時代に慣習的にそう定められていたらしい。

 だから道理だけで見れば、ソ連・モンゴルの主張が正しいということにはなる。


 だがそう単純でない側面もあり、帝政ロシアの時代にはこうした背景が十分に認識されておらず、一時期はロシア自身も河川を国境と捉えていたことがあった。

 そしてシベリア出兵時に当時のロシアの地図を手に入れた日本軍が、満州の建国時にその認識で国境としたのは当然だったかもしれない。

 改めてソ連側が清国時代の境界を踏襲する方針を示したことで、満蒙国境に関する認識のずれは決定的となった。


 大国間の領土問題となったのだ。


 すでに国境近傍では満州とモンゴルの間での小競り合いが止まない。

 当然のように宗主国である日本とソ連が主体となった話し合いが満蒙で行われている。

 軍部と外務が参加して現地で行っているその、調停の実態を把握することから藤林は始めたのだが。


 一縷の望みをかけた状況確認で上がってきた報告はまず絶望的なものだったといっていい。


 当初こそ、話し合いの体裁がされていたのもつかの間、すぐに形骸化して何ら進展のないものになっていた。

 さらにはモンゴル側の調停推進派の担当者が姿を見せなくなって間も無く、ソ連によって粛清されたことが明らかになったことで、もうあちらの意思は確定したも同然であった。


 つまりは領土問題にかこつけた武力行使をこそ望んでいるのは間違いなかった。

 20kmの国境線のずれは、もはやていのいい口実でしかないと、外務省ですらそう判断せざるを得ない状況になっていた。

 外務次官の堀内から報告された省内意見、「外交的解決の可能性は限りなく低い」という回答。

 こうして藤林は、第一の選択肢を放棄するしかなくなった。

 ではもはや何がしかの武力衝突を起こさざるを得ないならば、どのような形で為しうるべきか。


 次に考えたのは、歴史の大きな流れそのものを変え、先手を打ってソ連に勝利する道だった。

 日中戦争回避により温存された陸海軍を総動員し、己の知る未来知識を駆使して決定的な軍事的勝利を得る――そんな道が、理論上は存在するかに思えた。


 歴史改変という壮大な思考実験を実現する蠱惑的な誘惑、甘美にすぎる夢想。

 およそ誰でも一度はそんな英雄譚を思い描き、酔いしれるものである。

 そして今、藤林は自分がまさにそれを可能にしうる状況にあることを自覚している。

 決断し、一歩踏み出してしまえば……。

 あの歴史とは全く異なる、果てしない栄光と繁栄に満ち溢れた道があるのかもしれない。

 それこそアメリカや中国との関係性すら考慮することなく、日本が独立国家として完全に自立自存してしまうような。


 だがこれはあらゆる意味でリスクが大きすぎる賭けに他ならなかった。

 たとえソ連の内情や軍事動向を熟知していても、それだけで圧勝できる保証はない。

 むしろ、全面戦争となれば因果の流れが一気に変わり、泥沼の消耗戦に陥るか、日本の一方的な敗北にさえつながりかねない。

 日中戦争を回避できたとしても、代わりにソ連を敵に回して国が焼け野原になるのでは、意味がないのだ。

 現実的に限りない人命の喪失がかかっているのに、おいそれと冒険めいたことをできるわけがない。


 となれば――結論は一つしか残されていなかった。


 史実と同じ流れを極力踏襲しつつ、その中で未来知識を活用して損害を抑える。

 つまり『あのノモンハン』を再現し、乗り越える形をとるのだ。

 それこそが、最も現実的で合理的な選択であろう。


 1937年の夏以降、藤林はそれまで以上の懊悩と煩悶の末、ようやくそう決断するに至ったのである。

 アメリカとの交渉は相変わらず進展はなく、日中戦争の発生を恐々と牽制しながらの永い時間であった。

 一歩間違えたら、自分が知る史実以上のおぞましい戦火大乱を巻き起こしかねないのだ。

 およそどれだけ魅力的に思われようと、不用意なリスクを取るわけにはいかなかった。

 ……尤も、ただでさえ日中戦争回避という大きな歴史の分岐が発生してしまっているため、これすら危うい『賭け』の一つに他ならなかったのだが。



 そうして1938年7月、満州東南部、ソ連との国境にある張鼓峰で武力衝突が『予定通り』起こされた時には、緊張と共にある種の安堵感に包まれたのだった。



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