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第四章3


「さすがの永田さんも、省部の統合は諦められたようですな」


 山本五十六の声には感嘆と呆れとが半々に含められていた。

 場所は海軍省の応接室。

 部屋には藤林に対して山本ともう一人が卓を挟むように対峙して座っていた。


「いや、まだあきらめたわけではありませんよ。ただ、段階的にできることからとやり方を変えただけです」


 藤林は食い下がるように言った。

 だが、どこか言い訳めいた響きがあるのは否めなかった。


「まあ、どだい統帥権自体に手を入れるのは不可能でしょうから。いつお止めになるかと思っていましたが。……そして今度は陸海軍省の統合と」


「ええ。例えば軍政だけでも一緒にできないかと。今現在の海軍省陸軍省と別になっている状態よりも、格段に国家としてまとまりある軍行動が可能になるのは間違いありませんから」


「まあ、実現したら効果的なのは認めますよ。いざ戦時行動となれば、まず備蓄や予算の奪い合いになりますからね。それが軍政組織として同じ拠点、同じ頭を持つものとして調整できるようになれば、まず全体の効率は段違いでしょう」


「あとは兵器の基準共通化も。基礎部品を共有できるだけでも全く違います。さらには航空機など同質兵器の共同開発、行く行くは基準機など用意できれば言うことありません」


 当時の陸軍と海軍は予算から石油や食料の備蓄まで、あらゆるものを平時有事問わず限られたパイを取り合う間柄であった。

 自然、セクショナリズムに拍車がかかる一方、組織的分断は決定的なモノだった。

 さらには兵器開発も陸海それぞれで全く別のやり方で行っていたから、それを技術標準化の下、仕様の共通、部品の共有を可能とするのが必須だと確信していたのだ。


 だから藤林はせめてそこだけでもと、目論んだのである。

 国家備蓄を基準にして取りうる軍事行動を決めるという、藤林なりの総力戦構想。

 現状のように陸海それぞれが別でいがみ合いながら取り合うのではなく、双方を統合して配分できるようにするのが理想だった。


「もちろんいきなり一緒というのは現実的に難しいとは思っております。よって、最初は両者共通の上位組織を設けるか、同じ組織内にそっくりそのまま今の体制を取り込んでしまうような形を考えているのですが……」


 史実では大本営という形で、陸海統合した組織体制というのはうわべばかりでも可能とはなったのだ。

 さらには確か軍需省という形であの東條が軍政機能の一部を統合化していたはず。

 どちらも純戦時下、かつ敗北寸前の危機的状況だからこそ可能になったのだろうが。

 平時でもある程度冗長性を持たせたやり方ならば見込みがあるはずだと考えていた。


「うん、なるほど。まだそれなら大分聞こえる響きは悪くないですな。……君はどうだ?」


 と、そこで初めて山本は横に座る男へと発言を促した。

 それまでずっと、藤林と山本の会話を邪魔しないように聞くのに徹していた彼は、突然の諮問にも滑らかに応えた。


「目的と効果については是非は明らかでしょう。可能ならばやるにしくはないと思います」


 男……海軍省軍務局長、井上成美であった。

 現海軍次官の山本の下、軍務局長として海軍軍政を担っていたのが彼である。

 現実主義者らしい、歯切れのよさでいう。


「ただ……。あくまでも『可能ならば』ということですが」


「難しいかね?」


「よっぽど重鎮たちの理解と後押しが無ければ難しいでしょう。組織改編統廃合に伴う抵抗と反発というのは上位役職者によるものですから」


「重々承知はしているが、やはりそこに至るか」


「我が海軍だけでなく、そもそもそちらは根回しは済んでらっしゃるので?」


「いや、正直それもまだこれからという塩梅だが」


「ならばまずそこからでしょうな。一応、いち私人としては異論はありません。が、これを正式な軍務として行いうるかといえばまた別です」


「うん、もちろんそこまでは求めておらんよ。ただ、今時点でそちらの軍政を一手に担っている人間に、こちらの腹積もりをまずわかってもらえればいい」


 藤林は焦るつもりはなかった。

 もうすでに、大きな挫折を味わっているのだ。

 やるとしても時間をかけて徐々に進めるしかあるまいということは覚悟していた。

 今日はこうして実務のトップと顔つなぎできればそれで充分であろう。

 より地歩固めが済み、具体的な動きになった段階で陸軍側の軍政とりまとめである武藤などを巻き込み調整を始めることになるのだから。


「では、まずは外堀を埋めていくための調整をするので、そちらもできることはお願いしますよ」


「せいぜいがところ、海軍の長老たちにそれとなく話を向ける程度でしょうが。まあやってみますか」


 山本の言葉でひとまず場は閉められた。

 そして一同の間に滲むように緩んだ空気が流れる。


「……そうそう、海軍内ではすっかりアメリカを仮想敵国とした議論が活発ですよ」


 一仕事終えた後の軽い雑談。

 そんな気楽さで軽口をたたくように山本が言う。


「ほう。やはり守勢方針を説得いただいた影響ですか」


「ええ、だからまあ、永田さんのせいとも言えなくはないんですがね」


 悪戯めいた表情であった。

 藤林としても、確かに自分がたきつけた結果だというのは自覚していたのだが。


「山本さんっ」


 ちらりと、静かに上役同士の雑談の聞き役に徹している風の井上へと視線を向けた。

 いくら山本とは互いに腹をさらけ出した仲だと云えども、あの海軍の方針転換のそもそもの発端が陸軍側の人間によるものだというのは、あまり都合がいいものではない。

 まず知れ渡ったりしたら、余計な感情的軋轢と反発を招くだけであろう。

 だから当然の危機感と配慮だった。


 だがそんな藤林の緊張を、穏やかに受け流すように山本はどうともないと言わんばかりに応える。


「ああ、彼は大丈夫ですよ」


 自分の領袖だから。

 ある程度のところは把握していて、すでに永田と自分の関係性もわかっていると、鷹揚な態度と表情で雄弁に物語っていた。

 それでもまだ警戒を解きかねている藤林が問いかけるような視線を向けると、井上もまたあっさりとしたものであった。


「ご安心を。永田閣下のご見識については重々、山本さんから聞き及んでおりますので」


「……そうですか、まあそれなら」


 ようやく安堵したように背もたれに身を任せた。


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