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第四章2


 藤林にまるで実感などなかった。

 日本にとって重大かつ致命的な歴史的転換を経たのだと、感じる余裕など皆無だった。


 張学良の粛清と、国共内戦の再開が確たる事実として確認された後も、全く警戒を解くことはなかった。

 もはやこの時代に生きる一人の軍事責任者として当然の、そして最低限の注意と配慮に他ならなかった。


 あれほど物々しく悲壮な想いで決断した、動員準備をいったんは思いとどまったとしても。


 どれだけうまくいっているように見えたとしても、果たしてその先どう転ぶかわからない。

 ちょっとした因果の狂いで、天地がひっくり返ったような劇的な結末の変動が起こりうることなど、嫌という程思い知っている。

 いや、この時代、この世界で最もそれを切実に理解しているのが誰あろう自分なのだ。


 だから外務省と現地武官からの逐次の報告に、いちいち一喜一憂することなく淡々とやるべきことを為すことに徹していた。

 全く進展が見られなくとも継続しているアメリカとの交渉、キナ臭さを増しつつあるソ連の分析と防衛体制の構築、合成ゴムやアルミ抽出などの軍需物資に関する技術開発、主に満開(満洲重工業開発株式会社)を通じた満州へのユダヤ人誘致と国土開発。

 やるべきことは多岐にわたり、シナ情勢だけに注視しているわけにはいかないのだ。


 何より表立っての国民党の日本への態度は全く変わっていなかった。

 こちらが提案する外交的妥協についての一切合切を取り合わないように、のらりくらりとはぐらかすことに終始している。

 およそ、理想的和平停戦関係とはとても言えない状態なのは明らかである。


 ただ確かに相対的には現地日本人への殺傷事件は減少傾向にあり、組織的な対日武力行使などもほぼなくなりつつあるのは事実だった。

 そして日を追うごとに益々その傾向は如実になっていく。

 自然、恐々と細橋を渡るような心持で気構えを解かなかった藤林の警戒心も否応なく和らいでいかぜるをえない。

 もちろん、どのような因果の変動で己の知る史実と異なる形であの戦争が現実化するかわからないから完全に油断することはありえないが。


 1937年7月7日。

 あの運命の日を乗り越えられたことだけは明らかなのだ。

 

 昭和12年の夏がいよいよ半ばを過ぎようとするこの時期に至って、ようやくひとまずは大丈夫そうかと安堵しつつあった。



「相変わらず……」


 暑い。

 黒塗りの公用車を降りて早々、思わず口から漏れ出た呻き交じりの言葉。

 夏季に訪れる熱波と芳醇な湿気が齎す耐えがたい息苦しさは、平成令和とどれだけ時代を超えても変わらぬ日本の風物詩に他ならなかった。

 もちろんこの昭和でも。

 いや、正確には温暖化の影響であの未来世界はより以上の厳しさだったのかもしれないが。

 こうして実際に体感している限り、主観的にはすべて皆自分が慣れ親しんだ日本の夏以外の何物でもない。


 確かな郷愁の上になりたつ季節感そのもの。

 自分は間違いなく生まれ育った場所にいるのだという、決して快適とは言えない環境への実感。

 

 そうして揺らめく大気の中、秘書官を伴って目的地へと進む、藤林の歩みは酷く重いモノだった。

 決して夏の酷暑だけがその理由ではない。


(陸軍の一本化は、やはり無理か……)


 先日の参謀本部との打ち合わせの結果を改めて反芻する。

 藤林はかねてから検討していた、日本軍の組織効率化・適正化を目指そうと調整を続けていた。

 日本国防衛省自衛隊を知る人間としては、どうしてもこの時代の軍組織というもののいびつさを気にせざるを得ない。

 というより、なぜこんな奇形な状態のものが国家組織として運営可能なのか不思議なくらいであった。


 軍事行動を行う軍令を司るものとして陸軍は参謀本部、海軍は軍令部が天皇直属の機関として絶対的独立権を保有し。

 それとは別に人事、予算、組織運営と軍政全般を行う陸軍省、海軍省がそれぞれ内閣の直下としてまた別にある。


 組織横断的な諸問題を抱えざるを得ないことなど、むしろ当然の帰結であったろう。

 実際、歴史的な評価としても日本軍は常に陸海両軍だけでなく、さらに『省』と『部』による四裂状態の不効率が致命的な影を落としていたというのが一般的な理解のはず。

 特に同時代の米国が合衆国大統領の下、陸軍海軍とでほぼ完成された組織構成となっているのだから余計に違和感と危機感を覚えざるを得ない。


 だからこそ、藤林は何とかそれを解決しようと永田鉄山になって間もなくの2年前から奔走し始めていたのである。

 一応、陸軍省の管轄範囲では効率化と命令系統の見直しによって軍組織として限りなく現代化されたとは自負している。

 例え陸海の統合などは難しいとしても、その勢いを以て陸軍内だけでも陸軍省と参謀本部という組織の一本化は何とかできないかとあれこれと検討はしていたのだが。


 やればやるほど思い知ることになったのである。

 藤林の知る平成令和の時代にはなかったもの。


 『統帥権』というものが如何に重く神聖不可侵なものであったのかを。


 それさえなければ、まず最初に検討した内閣直下の軍政機関である陸軍省のもとに参謀本部を置く構想が最も妥当かつ効率的なもののはずだった。

 文民統制の観点からも、軍部暴走の危険性への牽制ともなるし、最適な在り方だったろうと確信していたのだが。


 それが統帥権というもののために不可能だということを、組織改革の相談相手としていた陸軍関係者や政府高官との話でようやく理解したのだった。

 ならばと、参謀本部へ軍政を統合する可能性についても検討はした。


 だがこちらは軍部を抑える機構が無くなることになり、先の文民統制が完全に破棄されることを意味するのは自明であった。

 例えば統帥権を与えている上位存在に確固とした現実的な指示命令権、米国における大統領と同じ機能があればまた別だったかもしれないが。

 そんなことが絶対的に無理不可能なことなのだと思い知るまでが、藤林がこの時代の『一般常識』を把握するまでの時間だったといっても過言ではない。


 およそ万世一系の君、やんごとなき現人神、天皇陛下というのは神聖不可侵にして絶対、かつ君臨すれども統治せず。

 軍部に統帥権という指揮権を与えても、己自身は原則的に一切の俗事に関わらず。


 人の世の穢れ事にお関わりあそばすなど、なんて畏れ多いこと。


 それがこの時代の当たり前であり、揺るがしようがない絶対的な境界条件に他ならなかった。


(ならば……できる範囲でやるしかあるまい)


 そう、現実的な路線での検討にいよいよシフトしつつあった。

 つまりは、統帥権という動かしようがない地鎮石をそのままにしてなしうる効率化は何か。

 導き出した答えが、陸海両軍の軍政組織の統合であった。



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― 新着の感想 ―
兵部省か軍務省か。初代大臣には誰が就任するのかね。
この統帥権が日本の文民統制を崩壊させ、軍国主義に走らせる最大の原因になったんですよね。まあ、その問題を最初に作ったのが民主的な選挙で選ばれた議員(本人は人気取りのためにやった)だったのは皮肉ですが。
世界中が第一次世界大戦と世界恐慌の影響で、食うために周りの国を叩き潰したくて仕方ない時勢、食えない不満故の世界大戦が始まるのは仕方なかったのか。
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