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第四章1


 1937年7月、中華民国北平──



 銃を撃つには絶好の夜だった。


 風はなく、空気はどこまでも透明に澄んでいる。

 満天の星の下、ところどころ芦葦ルーウェイが生い茂る向こうに、永定河の穏やかな流れがキラキラと瞬いているのがよく見えた。


(これで獲物がいればもっとよかったんだが……)


 彼はそれだけが不満だった。

 ついこないだまで、辺りには掃いて捨てるほどあの憎き鬼子グイズどもがうろうろしていたものだったが。

 ここ最近、奴らはあまり自分たちの駐屯する拠点の傍には近づこうともせず、頻繁にこちらを挑発するようにやっていた軍事演習もぱったりとなくなってしまった。

 あれだけ調子に乗って大威張りで闊歩していたのが嘘のようである。

 彼のような下っ端も下っ端、特にこれといった考えも主張もなく、とにかく敵と戦って勝つことだけを考えているような人間でも、なんとなく雰囲気が変わったのは察せられた。

 たぶん、アイツら側の都合で何かがあったのだ。

 こちらともめたり、ぶつかり合ったりすることに不都合な理由や状況が。

 さんざん好き勝手やってきてずいぶんとまあ調子のいいものだと、またそれが彼の苛立ちを助長する。

 しかし、当の相手がどこにもおらず消え失せてしまっては如何ともしようがなかった。


 さらには。


 不満は彼の所属する組織の方針転換にもあった。

 つい先だって、とある指導者の一人が裏切りのかどで粛清されたばかり。

 その影響か、あれほど恥知らずな倭夷に民族一丸となって思い知らせてやる機運が高まっていたにもかかわらず、一切の手出しを禁じられる指示が通達されたのだ。


(つまらん)


 夜陰に乗じて、厚かましくも意気揚々と訓練中のあいつらに一発お見舞いしてやろうと思っていたのに。

 でもあの偉大なる委員長閣下じきじきの命令だから、違えるわけにもいかない。

 今はまず、卑劣な裏切り者どもを叩き潰すのが先らしいから。


 皆一様に何もかもを持ち合って共有し、自分のものは何も持たないなどと面妖な考えを広め押し付け、大地を赤く染めようとするアイツら。

 海の向こうからやってきた簒奪者よりも、ある意味もっと厄介で始末に負えないのは確かではあった。

 だから、取り急ぎそちらの問題を解決し、晴れて民族を統一した上でことに当たるという、そのこと自体には異論はない……のだが。


(それでも……)


 やっぱりつまらんと。

 こんないい夜に間抜けな獲物に一発お見舞い出来ないのは全くもって残念なものだと。

 内にこもる一方の苛々と悶々が行き場を求めて、とうとう引き金に宛がわれている指先へと集約された。

 彼の鬱憤をたっぷりと込められた弾丸が虚空に向かって飛び出した。


 ぱあん。


 渺茫とした大陸の闇に、その音は響き、やがて大気の中に消えていった。



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