第三章2
もちろん、何もかもがうまくいっていたわけではない。
1936年秋。
藤林は国民党との外交交渉に限界を感じていた。
外務省と現地武官からの報告を、陸軍次官の執務室で確認し、暗たんたる思いに包まれて頭を抱え込む。
(まさか、これほどとは……)
当初はある程度の現実的譲歩と融和的姿勢をこちらから見せれば、緊張関係も和らぐはずだという見積もりがどうしてもあった。
中国側の挑発行為に乗らずに専守防衛に努め、もはやこれ以上の侵略意思がないことを示せばきっと相手の態度も軟化してくれる……少なくとも大規模な軍事行為に出ることはないはずだと。
だが、実際に己が永田鉄山として外交に関わるようになって短くない時を経て、もはやそんな希望的観測が如何に甘く都合がいいモノであったのかを痛感していた。
所詮、平和ボケした平成令和の日本人の感覚。
そうとしか言いようがないほど、この時代の国家間の不信感、利益構造、自己都合主義を低く見積もっていたことを後悔するほかなかった。
特に永年、劣等民族だとみなしていた日本人に満州を奪われ一方的に軍事力で圧倒されている現実に対する中国人の憎悪の深さ、尊厳を傷つけられた痛みの激しさはもう取り返しがつかないものだと。
国民党との正式な外交ルートを通じた交渉は全く進展がなく、外交筋と現地武官から伝え聞く状況はますます悪化する一方。
諜報部門からは、組織的大規模奇襲攻撃の動きについての報告が止まない。
さらには連日のように、民間軍人問わず現地日本人が襲われる事件が勃発。
つまり……。
完全に暗礁に乗り上げていたのだ。
後世の、当事者じゃない人間はどこまでも無責任であった。
簡単に、戦争をしなければよかったじゃないかとか、日本人が我慢すれば攻撃されなかったはずだとか。
振り返れば自分自身も含めて、己の恵まれた環境を棚に上げて好き勝手吹聴していたものだと思う。
やはりいつでもどこであろうとも、境界条件の限界はどうしても存在し、盤石で確固なものなのだ。
そんな当然のことを何故か我々戦後日本人は忘れる傾向にあったなと自嘲する。
「もはや……」
開戦は避けられないのかもしれないと。
ここに至って、あれほどこの時代の軍部の瞑を確信していた彼も、とうとうそう覚悟せざるを得なくなりつつあった。
未だに東條始め、当時の陸軍首脳が早期終結の道を断固として推進しなかったことに対する忸怩たる思いは残っていたとしても、開戦に至らざるを得なかったことには一定の納得を示しつつある。
恐らくこれはアメリカとソ連、さらには欧州各国の思惑も作用しているに違いない。
日本と中国を対峙させ、消耗させ合うことが列国の利益になることは明らか。
史実的にも国民党と共産党へのソ連の工作、アメリカの支援があったことは事実であった。
もはや日本がどのように努力してもどうにもならぬよう、外堀を埋められている状況というのが実態であろう。
(ならばせめて)
圧倒的戦力の初期導入による、初戦の制覇、そして早期講和と短期終結。
それしかあるまい。
どうせやらざるを得ないならば、最も効率よく被害が少ない方法を選び、最善の努力をするしかない。
――対支一撃論。
藤林は自分がいつの間にか、史実の永田鉄山と同様の結論に至りつつあることを知らない。
重い、重い決断をしつつあった。
これも日本人……だけでなく中国人も含めた数多の犠牲が出ぬようにするため。
そのためにこそ、少数で限定的な人命の損失を許容する。
藤林はようやく「自衛官」ではなく「軍人」としての自覚を持ちつつあった。
だからその『これまでと方向性の異なる外交の試み』は開戦を前提にした一種の工作に過ぎなかったのだ。
少しでも中国側の大規模軍事行動の発生を遅らせ、こちらの準備を整えるために時間を稼げればという程度の。
仮にうまくいかなくて元々、もし僅かでも効果があれば損失を抑えられるかもしれないというくらいの。
そんな思惑で藤林が外交官に依頼した、その内容とは……。
中華民国、南京――
……満洲の共同経営だと?
蒋介石は、外交ルートを通じてもたらされた日本側の口上に、驚きを禁じ得なかった。
荒唐無稽というほかない申し出である。
あの日本が、まさか本気でそんな譲歩を申し出てくるとは――。
にわかには信じ難かった。
到底あり得ぬこととして、まず疑ってかかるのが当然であった。
そもそも、蒋という男は根っからの猜疑心の持ち主である。
物事の表層を鵜呑みにするような性格ではない。
額面どおりにこの提案を受け止めるわけがなかった。
だが、それでも――。
「共同経営」という言葉が孕む響きの異様さ、そしてその背後に見え隠れする真意の重みに、彼の思考は揺さぶられる。
何せ、日本にとって満洲権益とは国家存亡に関わる至上命題のはずである。
そのためにこそヤツらは我が大地を蹂躙し、あの悪逆非道の侵略を成し遂げたのではなかったか。
であればなおのこと、満洲の権益を(たとえ部分的であれ)中国側と分かち合うなどという発想が、真に出るとはとても思えない。
おそらくは何か別の意図目的、譲歩の仮面をかぶせた陰謀、あるいは単なる時間稼ぎの方便であろうと確信する。
それ以上でも、それ以下でもあるまい。
だが、そうであってもなお――この提案を無視するわけにはいかなかった。
それがどれほどの欺瞞に満ちていようとも、真意を探る必要があるのは明らか。
いずれにせよ、交渉を続けざるをえないことだけは間違いなかったのである。
(とりあえず、大規模奇襲攻撃は留まらせて置く他あるまい……)
彼は最早習慣になっている、いつも通りの確認を窓口の担当官にする。
「何か気づいたことはないか? 向こうの言葉遣い、動き、間の取り方、何でもいい」
すると、その男は一瞬ためらい、やや戸惑いを含んだ口調でこう言った。
「……奇妙なことを聞かれました」
「何だ?」
「別れ際に――こう問われたのです」
──張作霖の息子は、お元気ですか?──
沈黙が落ちた。
蒋介石は無言のまま、静かに指を組み直した。
天王府と呼ばれた時代から幾人もの支配者が座した執務室の灯に揺れる深い影。
そのまなざしは、敵味方問わず利害に対する人間の本能を見通し、わが身の危険を臆病なまでに察知し回避しようとする昏い独裁者のそれになっていた。




