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序章


 眩い閃光と、轟く爆音。

 土煙が巻き上がる中、藤林健は地面に叩きつけられた。


「……っ!」


 肺の中の空気が一気に抜け、視界がぐにゃりと歪む。耳鳴りがひどい。

 自分がどこにいるのか、何をしていたのか、一瞬でわからなくなった。

 次の瞬間、脳裏に浮かぶのは、空挺降下訓練の最中だったということ。

 そして主降下傘が開かず、予備も絡まったまま、己が地表に激突したのだと。


 死んだ──そう思った。


 だが、目を開けた。

 キンと耳がなるような静けさ。

 土の匂いではない、油や木の染み込んだ古い建物の匂い。

 視界に入ったのは、灰白の天井、重厚な書棚、木張りの床、そして──


「っ!?」


 怒号とともに、目の前で何かが振り上げられた。

 鉄の鈍い光。

 刃物だと瞬時に認識する。


 意識に刻み込まれた訓練の成果と本能が自動で励起する。

 反射的に身をかわし、相手の腕を掴み、捻り上げた。


 唸るような苦悶の声に、制圧に成功しつつあることを理解する。


 だが、奇妙な違和感が腕から伝わる。

 自分の筋肉の張りが、重量感が違う。

 掴んだ手が──明らかに己のものではない。


「な…、に……?」


 声も、自分のものではなかった。


「貴っ様ァァッ! 統制派の犬、国賊めがぁぁぁぁぁっ!!」


 刃を持った男が、何とかこちらの抑えから逃れようと暴れながら睨みつけている。

 軍服を着た中年男、目は血走り、理性を失っていた。

 まったくわけがわからない。

 だが相手が自分に殺意を持って襲い掛かろうとしている、危機的状況だというのは明らか。


 そして次の瞬間、男が溢れんばかりの憎悪を込めた名前を聞いた途端、激しい頭痛が藤林を襲った



「 永田ァァ!」



 映像の奔流。

 割れるような耳鳴りの中で、頭に流れ込んでくる情報の洪水。

 演習場、統帥権、軍務局長、昭和、天皇機関説、満州事変。


 ──俺は……永田鉄山?


 圧倒的な混乱とともに、現実感が崩れ去っていく。


「冗談じゃねぇ……っ」


 藤林は呟いた。

 これは悪い夢だと思った。

 訓練中の事故で死んで、次に目覚めたら、1935年の帝国陸軍──そのど真ん中にいるなんて、そんな話があるか。

 しかし、目の前の狂気に満ちた中佐が、もう一度刃を振りかざしたとき藤林は直感した。


 これは現実だ。


 自分は死んでおらず、確かに生きている。

 だが生きている場所が、時代が違う。


 そのとき、体の芯奥から熱い何かがあふれ出してきた。

 彼は自衛官として、戦うために生きてきた。

 戦場で、祖国を守るために。


 そして今、再び「戦場」にいる。


 ただし、それは銃でも爆弾でもなく、時代そのものとの戦いだった。


「……やりなおせるってのか?」


 目の前の狂人を突き飛ばし、藤林──いや、永田鉄山は立ち上がった。

 昭和十年、八月十二日。相沢事件が回避された瞬間だった。


 運命の歯車が、静かに音を立てて狂い始めていた。



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