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ネコの苦難

作者: 詠天

 虎谷茜子こたにあかねこは、絶望の淵にいた。


 バーアルカディアのカウンターでビールをグッとあおると無言でおかわりを注文する。

 薄暗いbarの中では、顔色までは見て取れないが、青白い顔をしているに違いない。

 その顔色と飲みっぷりは、失恋して自殺を考えているように見えるのかもしれない。

 そんな他人の眼を、お構い無しに立て続けに茜子はビールをあおった。


「おかしいと思ったのよね~だって誰も居ないんだもん…」


自然と独り言が口をつく

今日は絶対に外せない仕事があり、それにあわせて早めに出てきたつもりだった。

約束の時間が迫ってきたが、誰も来ていないことから中止になったのかと思い、上司である土佐賢治に電話したところ、大目玉を食らってしまった。


 …場所間違い… 典型的で単純な大ポカだった。


土佐に指示された店は、バーアーカイブ。

自分が今居るのは、バーアルカディア。

この店からアーカイブまでは、車で30分以上かかる。

先ほどの電話で土佐からは懲戒免職も覚悟しろと言われた。

遅くとも明後日には処分が言い渡されるだろう。


このところ単純なミスが多く続き、トドメがこの場所間違い…仕方が無いといえば、それまでだが...

まるで極刑の判決を待つ囚人のような気分だった。


「あ~アタシの運命もこれまでか~」

また独り言を言ってしまった。

そして人目もはばからず『グエッ』とげっぷを吐いた。


 週末の店内は、時間と共に次々と若い学生やスーツ族で込み合っていた。

この店は、海賊をモチーフにしているようで、マスターらしき人物は鼻の上に大きな傷を持ちアイパッチをしてカウンターの中で、いかにも怪しそうに酒を作っている。

2人いる従業員も、海賊のようにボーダーのシャツにドクロのバンダナを巻いている。

(誰か私を、船で連れ去ってくれないかなぁ~…いかんいかん、現実逃避しちゃってる)


 茜子は見た目二十歳そこそこにしか見えないが来年30を迎える。

焦っているつもりは無いが最近結婚という言葉が良く浮かぶのも事実で、同級生が次から次へと結婚していき、この3年ですでに50万近くのご祝儀を払っている。

手っ取り早く職場結婚などで早めに回収したいところだが、茜子の職場は、男性が圧倒的に多いわりに仕事の性質上、自分を女と扱ってくれたことは無い。

そんな環境なので必然的に化粧などしない日のほうが多くなり、最近では自分に女としての魅力が無いのだと思うようになっていた。

そのくせ、胸だけは大きくて学生時代から茜子のコンプレックスのひとつだった。

友人には無意味な巨乳と馬鹿にされる始末…

(このまま免職になるのなら、お見合いでもしようかな?)

そんなことを思いながら5杯目のビールに手を伸ばした。


「隣いいですか?」

突然声を掛けられて茜子はビックリした。

「あ!ごめんなさい、あんまりあなたが素敵だったんで声を掛けてしまいました」

スリムなスーツを着た、ビジネスマン風の男が立っていた。

(ありゃりゃ…かなりのイケメン…え!?ナンパ!?ナンパなんて学生の時以来…)

ナンパ慣れしていない茜子は極度に緊張したが嬉しい気持ちを隠せなかった。

ニヤけた顔で「どうぞ…」と椅子を引いた。

声が上ずっていたかもしれない…


 男は進藤光一と名乗り、35歳で商社の役員と言うことだった。

「商社と言っても、小さい会社なんですけどね」

控えめな進藤に茜子は好感を持った。

 進藤は話し上手で、茜子を飽きさせることは無かった。

アルコールのせいもあり茜子は饒舌になっていた。

「へぇ、公務員なんだ?市役所?」

「ええ…そんな感じです…」

「じゃ、近々クビになるかもしれないんだ?」

「そうなんです。まだ決まったわけじゃないですけど…なるかも?」

茜子は照れ隠しのように「テヘ」と笑って見せた。


「もしそうなったら、僕の会社で働きませんか?公務員ほど保証は無いけど、君の力になりたいんだ」

そう言って進藤は真剣な眼差しで茜子の手をギュッと握った。

無意識にスーッと眼に熱いモノが溢れてくる。

不覚にも茜子は涙を流してしまった。

こんなに自分の事を思って優しい言葉をくれた人は初めてだったからだ。

(捨てる神有れば拾う神有…この人は私の運命の人なのかも知れない)

アルコールのせいもあったが、この人に任せてみてもいいのかも知れない…そんな気にさせる一言だった。


 茜子は自然と頭を進藤の肩にもたげた。

こんな身近に男性を感じたことは何年ぶりだろうか?

進藤の大きな手が、優しく茜子の肩を包み込む。

茜子は幸せな気分だった。

そして初めて会った男性にこんなに心を開けた自分にビックリしていた。

(やはり運命の出会いなのかもしれない…いや!この人こそが運命のヒトなんだわ!!)

その時、胸ポケットの携帯が振動をした。

上司の土佐からだった。露骨に嫌な顔になった。

(げっ!せっかくの幸せの余韻が…)

一瞬無視しようかとも思ったが、出ることにした。

土佐はまだ自分の上司なのだ。

「ごめんなさい、例の上司から電話なんです」

茜子は、携帯を持って店外に出た。


電話の内容は、茜子にとって衝撃的な内容だった。

覚悟して通話ボタンを押したものの、あまりの内容に涙が止まらなかった。

しばらくして店に戻ろうとすると怪しいマスターが、鼻の傷を触りながら入口でタバコを銜えて立っていた。

「なぁアンタ、あの男はやめたほうがいいよ。初めての客にこんな事言うのもなんだが、まともそうに見えているが奴は相当ヤバイ系だぜ」

「マスター、へんなコスプレしてるのに優しいのね…」

茜子は自然と微笑んだ。

マスターは頬を真っ赤にして言った。

「俺は、マスターではない。キャプテンと呼べ!そしてこのアルカディアは俺の船だ!ここにいる連中は、このドクロの旗の下に集まった…」

茜子は遮るように言った。

「でも、もうアタシには彼しかいないのよ」

そう言うと店の中に戻っていった。


席に戻ると進藤がニコやかに茜子を迎えた。

茜子は、感極まって涙を流した。

本気の涙だった。

「泣いていいよ、僕は何も聞かない」

「進藤さん、アタシ何もかも忘れたい。忘れたいの!」

そう言って、カウンターに顔を伏せた。

その背中に進藤の手がやさしく触れる。

「僕が忘れさせてあげるよ」

進藤が、スーツのポケットから小さなビニールに入ったピンクの錠剤をスッと差し出した。

「…これは?なんか…ピンク色で可愛い」

進藤は柔らかな笑みを浮かべた。

「だろ?これはね魔法の薬さ…なんてね!ただの安定剤だよ。嫌な事を忘れさせてくれるはずさ」

「ホントに!?」

「ホントさ、安心して僕を信じて」

茜子は、進藤に抱きついた。

「進藤さん、ありがとう!」

止めどなく涙が溢れ出た。

もう離すものか!という勢いで進藤に抱きついた。

その様子に、周りの客がどよめいて「ヒュ~」と口笛を吹いた。


「茜子ちゃん痛いよ…てか…胸でけぇ~」

「本当に有難う!!アタシ…これでクビにならなくて済んだわ!」

「………は?」

「ごめんね、アタシ…刑事なの。実は今日バーアーカイブで大きな取引きがあるって事でね、手入れに行く予定だったの」


一瞬で店の中が静まり返った。


店内の皆が、茜子と進藤の成り行きを何事かと見ている。

「さっき上司からの電話でね、踏み込んだら一足先に元締めのブッシャー(売人)が逃げてたんだって。情報が漏れてたらしいわ…でもよかったぁ~この薬、MDMA…通称バツでしょ?進藤光一、0時38分覚せい剤所持の現行犯で逮捕します」

進藤は抵抗する間もなく、呆気にとられたまま手錠を掛けられた。

「なんだこれ!?お前公務員だって…」

「そうよ、警察官も立派な公務員でしょ?…アタシだってね!せっかく幸せをつかめるかも?なんて思って、嬉しかったり悲しかったりだわ!!」

 その時、騒然としていた店内に土佐が5人の捜査員とともにやってきた。


「ネコ、よくやった。進藤、アーカイブの店長が吐いたよ。今日手入れが入るって奴から聞いたんだろ?俺もお前に聞きたいことが山ほどあるんだ。ゆっくり話しようぜ」

捜査員が、両脇から進藤を抱えて連れて行こうとした。

「このクソ女!人を騙しやがって!!」

憤怒の形相で、進藤は吐き捨てた。

茜子は、即座に立ち上がると進藤の鼻に拳をハンマーのようにして振り落とした。

鼻血を噴出しながら「ううっ」と呻く。

「捨てる神有れば拾う神有…ある意味アンタは、アタシの運命のヒトだったわ」

憤る茜子を土佐がたしなめる。

「ネコ、だいぶ飲んでるなお前、今日はこのまま帰れ、明日キッチリ調書と始末書上げろよ。しかしお前は相当悪運が強いな」

土佐は、茜子の頭をグシャっと撫でた。

そしてカウンターのマスターに向き直り。

「マスター、令状フダ無しですまなかったな。緊急だったんで勘弁してくれ。これでこいつを飲ましてやってくれ」

そう言ってカウンターに1万円札を置いた。

「じゃ、ネコ!飲みすぎるなよ!!」

捜査員一同は、そのまま店を後にした。


その途端、店中は嬌声に沸いた。

茜子は一躍ヒーローならぬヒロインになった感じだ。

茜子は土佐に褒められたのか、けなされたのか解らなかったが、少しだけ優しさを感じた気がした。

すると急に力が抜けたように、ペタンとスツールに腰掛けた。

そして大きな息を吐いた時、目の前に生ビールのタンブラーが差し出された。

怪しいマスターが、鼻の傷をいじりながら言った。


「アンタ、デコスケ(警察官)だったのか。正義は俺の信条でもある。アンタ気に入ったよ、そのビールは俺のおごりだ」

茜子は、ビールを軽く掲げて笑って見せた。

「ありがとうね。ハーロック」

マスターは、照れたように笑った。

「なんだよ…わかってんじゃん…ネコ」

   

                                    END


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