決意表明
──好きになって。
そう言ったアーサーの表情からは、人を揶揄うようなものでも、ましてや嘘を言うようなものを微塵も感じなかった。
頬をなぞる影が、アーサーの端正な顔立ちをより際立たせている。鋭さと柔らかさが同居するその顔は、まるで精巧に彫り上げられた彫刻のようで、息を呑むほどに美しい。
けれど、一番目を奪われたのは、彼の瞳だった。深い青色。ただの青でもない。夜の海のように静かで、吸い込まれそうなほどに深い。文字では彼の情報を知ってはいたけど、実際に見るとこんなにも綺麗なんだ。
「ねえ──」
アーサーと呼びかけて、今はロレンスだったと思い出す。
「ロレンス……これは一体……?」
「やっぱり俺じゃダメなのかな」
どこか傷ついたように、アーサーはぱっと私から離れていく。今もまだ首筋に感じる熱は、確かにアーサーの唇が当てられたことを意味しているはずなのに。
「リディアがどこまで覚えているかわからないけど……」
アーサーはそう前置きし、言いにくそうに口を開いた。
「……君は、呪いをかけられているんだよ」
「呪い……?」
その言葉に、胸の奥がざわりと揺れた。それはさっきも彼が口にしていたことだ。
私は──誰に? どんな呪いを?
アーサーは一瞬、困ったように眉を寄せた。そして、何かを迷うようにわずかに視線をそらす。月明かりの下で、彼の横顔がどこか照れたように見えた。気まずそうに、彼は言葉を紡ぐ。
「簡単に言うと……誰かを求めたくなる呪いなんだ」
……求めたくなる?
その言葉の意味を理解するのに、数秒かかる。それでも答えに辿り着けそうもなく首を傾げるしかない。アーサーは私の反応を窺うように、小さく息をついた。
「でも、リディアはそれを拒んでた。呪いの影響は受けてたはずなのに、それをどうにか押さえ込もうとしてた。だから……」
言いよどむ彼の声が、やけに耳に残る。
「だから、その衝動を発散させるために、毎晩俺と剣の稽古をしてたんだ」
……ちょっと待って。話がなんとなく見えてきた。
つまり、私は誰かに「発情」するような呪いをかけられていて、それに抗うために、毎晩アーサーと剣を交えていたということ?
「その……」
アーサーの声が、ほんのわずか震えた。
「リディアは『男とそういうことをするのは考えられない』って言ってた。それで……稽古で発散するしかない、って」
……嘘でしょう?
あの重厚感あふれる小説の裏で、こんなことが起こっていたなんて。
確かに、動悸を感じるリディアの描写があったような気もする。剣を交えながら、まるで何かを抑えつけるような、熱を帯びた戦い。
それを読み返せば、作者は確かにこの設定を匂わせていたのかもしれない。
つまり……本編には描かれていないけど、こういうシーンが実際にあったということなの?
「……あの、ごめんなさい。まさか、そんなことに付き合わせていたなんて」
アーサーは少し驚いたように目を瞬かせたけれど、すぐに穏やかな表情に戻る。
「いいんだよ。リディアの役に立てるならそれで」
彼は軽く肩をすくめる。
「剣の稽古がいいなら、これからも付き合うよ」
「ううん、剣はもう握らないと決めてるの」
「え?」
握らない、というか、握れないの間違いだけど。
私は前世では剣を握ったことすらない人間だった。転生してリディアの身体になったからといって、急に剣技が身につくわけではない。戦えるはずもない。
けれど、リディアという存在は、騎士として戦場を駆け抜けることを宿命づけられている。王の剣として生き、そして──アーサーを殺す運命にある。
その運命を変えられるのなら、それが何よりの救いだった。
アーサーは、信じられないという顔で私を見つめている。
「今……なんて言った?」
彼の声は、普段の穏やかなものではなく、かすかに鋭さを帯びていた。
「剣を握るのはやめたの。騎士団からも脱退しようかと思ってる」
それが、一番の解決策だと思う。
騎士団にいなければ、私は戦場に出ることもない。王の命令でアーサーと刃を交えることもなくなる。幸いにも、まだ国王からの正式な指令は届いていない。
その前に、さっさと騎士団を辞めてしまえば――私は自由になれる。
アーサーの青い瞳が、わずかに揺れた。
「……リディア、本気で言ってる?」
「もちろん」
……とは言ったけど。アーサーが私を殺すという選択肢は消えてないかも?
私がこの国随一の剣遣いだから、アーサーは私を殺せと命じられているんじゃなかったっけ。だとしたら、私が騎士団を辞めたとしても殺される運命は回避できないかもしれない。
「ロレンス、だから私は騎士団を辞めて、ただ平々凡々と暮らしていくだけ。戦場にも出ないし、これからは誰のことも殺したりしない」
「え、……あ、うん」
明らかに戸惑っている。それもそうだろう。「剣とともに生きていく!」と豪語していた女が、いきなり「剣とはおさらば!」なんて言ってるんだから。
でも、私が戦わない意志を表明すれば、アーサーが私を殺すことをやめてくれるかもしれない。
……なんて、さすがに都合がいいか。
「はは」
なぜか、アーサーは片手で顔を覆い軽く笑った。
「ロレンス……?」
「そっか、そうきたのか。それなら、リディアを手放すわけにはいかないか」
穏やかだったその顔に、ひとつの影が落ちる。
「リディア、俺のことを好きにならなくてもいい。結婚しよう」