心から
呪いの剣を壊すことは難しいとされてきた。そもそも、剣そのものが現れないと困るからだ。けれど、もし仮に目の前の実物が現れたとしたら、剣そのものを壊せばいいだけの話ではない。
問題は、その剣がただの鉄の塊ではなく、何かしらの「意思」を持っていることだった。
俺が柄に触れた瞬間、全身に冷たい衝撃が走った。まるで、骨の髄まで凍りつくような感覚。次いで、頭の奥に鋭い声が響いた。
──我を手にする者よ、汝は何を望む?
脳に直接語りかけるようなその声は、重く、深い。まるで底の見えない井戸のような不気味さがあった。
「俺は……リディアを助けたい」
そう叫んだはずなのに、声が出ているのかすらわからなかった。意識が剣の中へと引きずり込まれていく。目の前の光景がゆがみ、真っ赤な闇に包まれたかと思うと、次の瞬間にはまったく別の空間に立っていた。
そこは、血のように赤い大地が広がる異様な世界だった。空には太陽も月もなく、ただ鈍い赤黒い光が世界を染めていた。
「ここは……?」
呆然とあたりを見回していると、前方に黒い影が揺らめいた。その影がゆっくりと形をなし、人の姿に変わっていく。
──それは、リディアだった。
「リディア!」
俺は駆け寄ろうとした。だが、足が動かない。まるで見えない鎖に縛られているように、身体が硬直していた。
リディアはこちらをじっと見つめている。だが、その瞳は、俺の知っているリディアのものではなかった。暗く深い闇が宿っていて、まるで魂を吸い取るような、底知れぬ光を放っていた。
「リディア……なのか?」
彼女はゆっくりと口を開いた。
「私はリディアじゃない。……リディアの中に宿った“呪い”よ」
その瞬間、理解した。
呪いの剣はただの武器ではない。人を取り込み、意志を持ち、宿主の魂を食らって生きながらえている存在なのだ。
「じゃあ……リディアはどこにいる!?」
俺の叫びに、黒い影は不気味に微笑んだ。
「お前が、この呪いを受け継ぐというのなら、彼女を解放してあげる」
「俺が呪いを受け継ぐ?」
「そう。お前がこの剣の真の主となれば、リディアは自由になれる。だが、それは同時に──」
その言葉の意味を理解する前に、周囲の空間が一気に揺れ動いた。大地が裂け、無数の黒い手が地面から這い出してくる。
「時間がないわ。決めなさい、アーサー」
俺は息を呑んだ。リディアを救うために、この呪いを背負うのか。それとも、別の方法を探すのか。
いや、リディアを救うために、この呪いを受け継ぐ。それが唯一の方法なら、迷う理由などない。
「……いいだろう。その呪い、俺が引き受ける」
そう宣言した瞬間、世界が揺れた。足元の赤黒い大地が波打ち、無数の闇の手が俺へと伸びてくる。身体が重くなり、胸の奥が焼けるように熱くなる。
「よく決断したな……新たな主よ」
低く響く声とともに、呪いの剣が赤黒い光を放ち、俺の手へと吸い込まれるように飛んできた。その柄を握った瞬間、全身に鋭い痛みが走る。まるで、魂をえぐられるような感覚。
その時だった──。
「ダメ!!」
風を切るような鋭い叫び声が響いた。振り返ると、そこに立っていたのはリディアだった。本物の、俺の知るリディアだ。
「リディア……!? どうしてここに!?」
彼女は息を切らしながらも、必死に俺へと手を伸ばしてくる。その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
「アーサー、あなたがこんなものを背負う必要なんてない!」
「でも、リディアを助けるためには……!」
「違う!」
リディアは叫ぶと、俺の手から剣を奪い取るように掴んだ。瞬間、呪いの剣が凄まじい光を放ち、黒い霧が弾け飛ぶようにあたりに広がる。
「リディア!!」
彼女の身体がびくりと震えた。剣を握った手から黒い靄が絡みつき、そのまま彼女の体内へと流れ込んでいく。
──違う。こんなはずじゃない。俺が引き受けるはずだったのに。
「どうして、そんなことを……!」
「……アーサーには、幸せになってほしいの」
リディアは微笑んだ。
「だから、これは私の選択」
その瞬間、呪いの剣が砕けるように光を放ち、リディアの身体を包み込んだ。眩しいほどの輝きが空間を満たし、黒い霧は弾けるように消えていく。俺は思わず目を閉じた──。
次に目を開けたとき、俺たちは元の場所に戻っていた。リディアの身体は俺の腕の中にあった。
「リディア……!」
彼女の顔は青白く、まるで命が尽きたかのように静かだった。
「嘘だろ……」
俺の手が震える。何度も名前を呼んでも、彼女は応えない。
──お願いだ、戻ってきてくれ。その時、不意に微かな息遣いが聞こえた。
「リディア、好きだ」
心から、愛してる。




