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離れない

 血の海の中で、レオとリディアが少し離れた距離で倒れていた。


 リディアの傍らには、まるで血を吸うようにあの呪いの剣が横たわっている。使用人たちは誰もが、あれが呪いの剣だと呼ばれていることなど知らず、目の前の惨状にただ慌てふためいている。


「リディア!」


 その俺も、気付けばリディアの元に駆け寄り声をかけていた。俺の呼びかけに、リディアは表情ひとつ動かすことなくぐったりとしている。顔も血の気が失せたように真っ白だ。


「リディア、起きろリディア」


 肩を揺らしよびかけると、彼女の瞼が薄っすらと開いた。


「……アーサー?」


 呼びかけられたその名に、思考が停止した。


 リディアにはずっと、ローレンスと名前を偽って接していた。アーサーなどと名乗ったことなど一度もない。それなのになぜ俺の名前を知っているのか。


 脳裏にガブリアスとヴィクトリアの顔が浮かぶ。あの二人が漏らしたのか。


 ……いや、ガブリアスのあの様子だと、リディアに接触する前に今回の事件が起こったのだろう。


 だとしたら誰が?


「アーサー、ごめん、な、さい」

「どうして謝るんだ」

「あなたの……お母様を、殺して、しまって」

「ちが、」


 ガブリアスの話では、レオが犯人だという話だった。それもどこまで真実味があるか定かではないが、むしろリディアは覚えのない罪をきせられただけの被害者だ。


 それなのに、リディアはゆっくりと首を左右に振った。


「私が、……殺してしまった、んです。だから、……償わないと」

「償うって……どうしてリディアの兄貴まであんな状態に」


 そこで、リディアは顔を歪めた。とても辛い出来事を語るかのように、口を開く。


「……お兄様は、私を止めようとしてくれたんです。それを私が抵抗して……それを続けていたら、誤ってお兄様に」


 ガブリアスから聞いていた話と違う。リディアだけの話を聞いていたら、そのまま信じていただろう。でも、今は違う。


 ──レオの罪を、リディアは背負おうとしている。


「……本当は、あなたの手で私を殺してもらうべきだったのに……勝手なことをして、ごめんなさい」

「いい……もう喋るな。それ以上続けたら──」


 そのとき、リディアが咳き込んだ。大量の血を吐き出すように。


「リディア、リディア!」

「……ああ、お召し物を汚してしまってごめんなさい。……アーサーには謝ることがたくさんあって、尽きない」

「だから喋らなくていい」

「……ずっと、あなたに言えなかったことがあるんです」


 ──私は、本当のリディアじゃない。


 そう微かに口にした彼女の言葉に耳を疑った。


「リディア、今なんて……」

「信じてもらえないかもしれないけど、……私は、別の世界の人間で、……意識だけ、リディアの身体の中に入っているの……」


 それはガブリアスから事前に聞かされていた内容と一致する。


 でも、本当にそんなことがあるというのか。ありえない。今まで聞いたこともない。それでもリディアが嘘をついているようには見えない。


「でも……あなたのお母様を殺した罪は、私が償います。だからどうか、……アーサーは幸せになって」


 まるでそれが最後の言葉だったかのように、リディアはゆっくりと目を閉じた。そして、何も言わなくなった。


「リディア……リディア!?」


 何度も、何度も呼びかける。


 必死でリディアの肩を揺すった。でも、彼女の体はどんどん冷たく、無機質なものになっていく。


 その瞬間、頭の中で一気に混乱が広がった。リディアの言葉、「私は別の世界の人間」だという告白。そんなことが本当にあり得るのか? だが、彼女の瞳の中に宿った悲しみと覚悟を見る限り、嘘だとは思えなかった。


 俺はその言葉を無意識に繰り返していた。


 彼女が言う通り、もしそれが事実ならば、俺たちの関係は一体何だったのか。彼女は本当に誰で、どこから来たのか? そして、彼女が「アーサー」と呼んだ理由は?

 

 俺が名乗ったことのない名前を、どうして知っていたのか?


「兄さま! 離れたほうがいい!」


 ガブリアスの声が、俺の意識を引き戻した。焦りと警告が込められたその声に、思わず立ち止まる。ガブリアスが指し示す先、呪いの剣が今、異常なほどの光を放っていた。


「……なんで、光ってるんだ」


 俺の言葉は、半ば自問のように空に投げかけられた。視線の先にある剣は、まるで何かを求めるように赤く染まり、血のように鮮烈な色を帯びていた。その赤い光が、周囲の暗闇を際立たせ、まるで呪いそのものが具現化したかのように恐ろしい気配を放っている。


「兄さま、早く!」


 ガブリアスが再び叫んだ。その顔は真剣そのもので、今すぐにでもその場を離れろと言わんばかりに険しく歪んでいた。だが、俺の足は動かなかった。


 目の前で倒れている一人の女性から目が離せない。彼女を置いて逃げることはできない。


 そのとき、あることを思い出した。


「リディアを助けられるかもしれない」

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