背景
──何をしているのか。それは自分が一番知りたかった。
リディアが剣を握っていた。それだけで、見てもいない母親の最期を想像した。
母の最期を目撃した人は「息子が待っているんです」と涙を流していたらしい。悪気があったわけではないのに殺された。謝っても許してもらえない。まるでそれが正しい制裁かのように。
殺してしまえばいい。復讐ができればなんだって構わない。それでもただの人殺しになるわけにはいかなかった。
騎士団の予備軍として働いていたリディアでさえ、正式な騎士ではなかった。それなのに、平民である母を侮辱するようにあっさりと殺したのだ。
だからこそ、俺は正式な騎士となり、そして正式な理由を持ってリディアを殺すことを心に誓った。そのためだけに今日まで生きてきた。
けれど、リディア殺しとして命令を受けるまでには時間がかかった。何しろ、彼女が我が国で脅威になるとは誰も思っていなかったからだ。いくら腕のいい騎士になったとしても、リディアだけを殺すことにはそれなりの理由が必要になる。
機会を待った。それこそ、リディアに好意的な態度で近づいて。
何度もあっさりと殺してしまいたかった。そうすれば、母の無念は果たせたかもしれない。それでも、まだ、まだだ、最も苦しい方法で殺すために、そのチャンスを今か今かと待っていた。
そして、俺にとって奇跡のような出会いがあった。
──呪いの剣。
まさかリディアが所持していたとは思わなかった。けれど、あの剣さえあれば、リディアを正当な理由で殺すことができるのだ。国王に報告すれば、すぐに許可が下りた。あとはリディアを殺すだけ。
そのはずだった。
『ローレンス?』
俺を呼ぶその声が、普段聞くものよりもずいぶんと柔らかいことに違和感を抱いた。
剣とその稽古相手がいれば満足だと豪語していたリディアがどこにもいない。久しぶりに目を覚ました彼女は、まるで剣など握ったことがないような少女へと変わっていた。
演技なのかと疑ったこともあったが、それでもリディアと接する機会が増えるごとに、彼女は人が変わったように穏やかになった。
騎士を辞める。そう言いだしてからというもの、戦いに出ることはなくなった。剣を握らないと言っていたが、あれから呪いの剣が浮上したことで、その約束はなくなったようだが、それでも剣を握る回数は各段に減った。
もしかしたら本当に、リディアは騎士を辞めるつもりでいるのかもしれない。
このまま普通の人間に戻るのだとしたら……あのときと全く同じことになる。
平民だった母を、騎士になる直前のリディアが殺した。今度は、騎士を辞めたリディアが、騎士になった俺に殺される。
それは、結果的にあれだけ憎んでいたリディアと同じ行動を取るのではないかと思った。
だからこそ、結婚だった。結婚をして、幸せの絶頂で苦しみ続ければいい。所詮、罪人なのだから。女として得られる全ての幸せを奪ってやりたかった。殺すことができないのなら、そうしてしまえば少しは復讐に繋がると思ったのに。
リディアの行動に驚かされることばかりで、そのことが許せなかった。
どこかで心を動かされている自分がいる。それは受け止めがたい結果でしかない。それならさっさとリディアから何もかもを奪ってしまおう。
「……結局、何もできないのか」
リディアの屋敷を離れ、帰りの馬車の中で手を見つめる。その手は、さっきまでリディアを拘束していた手だ。今でも、彼女の体温が残っている。
殺してしまえばよかった。何も考えず、この手でリディアの時間を奪ってしまえばよかったのだ。
それなのに、できなかった。「殺してください」と頼まれたことで全てが壊れていった。
決してそんなことは言わない人間だった。これも演技なのかと疑いたかった。その瞬間に、子どもを必死で守るために、自分の腕に剣を突き刺した彼女を思い出した。軽く刺すだけなら、まだほかの人間にもできたかもしれない。けれど彼女は、まるで抉るように更に深く刺し続けたのだ。
その痛みを、騎士になる俺が知らないわけではない。だからこそ躊躇してしまう行動だというのに、あのときのリディアには迷いというものを感じられなかった。
そして、心からだと思われるような謝罪。死んで、あの世で母に償うというその言葉を、馬鹿みたいに信じたわけではない。
それでも、剣を向けることができなかった。こんなのはおかしいとわかっている。わかっているが、それでも何もできなかったのだ。
「……俺はどうすればいいんだ」
母を殺した人に、心が動かされる瞬間がある。演じていたはずの自分が、その演技通りに染まっている時間が、無性に腹立たしくて仕方がない。
いっそ、以前のようにどこまでも騎士としての名誉を貫くようなリディアだったらよかった。
それなら、躊躇うことなく殺せたのに──。
「俺は、殺せない」




