殺意なのか愛情なのか
「兄さまだ! 兄さま兄さま、僕はとても素晴らしいことをしていたんだよ! なんたってあのリディアを追い詰めていたんだから」
ガブリアスは酔いしれるように、足取りを軽くしながらアーサーに近づいた。しかしその直後、ゴッと骨が砕けるような音が部屋に響いた。
「素晴らしい……? この状況を見て、お前は本気でそう言ってるのか?」
私の前では、たとえ心の内に殺意を抱いていても、穏やかで優しそうな笑みを浮かべていたアーサーが、鋭く、そして冷え来たった目でガブリアスを見ていた。
ガブリアスは突然アーサーに頬を殴られ、床で崩れ落ちるように倒れている。
「な、なんで……? 兄さま、今僕のことを殴ったのか? どうして? 兄さまに褒められたくてしたことなのに、どうして兄さまは今怒っているんだ!?」
わなわなと震えながらガブリアスはアーサーを見上げている。
──兄さま。
アーサーが現れてからというもの、ガブリアスは一体何度「兄さま」と呼んだことだろう。考えたくはないけれど、ガブリアスはアーサーの弟なのかもしれない。そしてその弟は私を殺そうと躍起になっていた。
「ヴィクトリア、説明しろ」
突然、部屋の端っこで小さくなっていたヴィクトリアに話が振られ、彼女は飛び跳ねるように「は、はいっ」と返事をした。
「その、これは……」
けれど、その先がなかなか出てこない。今にも泣き出しそうなヴィクトリアは私と目が合うと、いきなり指をさしてくる。
「こ、この人が悪いんですよ! 私という婚約者がいるのにっ──」
「わかった、もういい。お前は二度と俺の前に現れるな」
「……え? で、ですが、私たちは婚約者で──」
「何をしたか、お前もわかっていないようだな。この部屋にいる男たちを用意したのはお前なのだろう? ヴィクトリアを襲うように命じたのは」
アーサーはどこまでわかっているのだろう?
まるで全てを見てきたかのような口ぶりだ。これもアーサーの作戦?
「それとも、ここで制裁を下すか? 勝手なことをしたのはお前たちだからな」
アーサーはガブリアスとヴィクトリアを見る。二人は「ひぃっ」と声をあげるばかりだ。
「どちらが先に責任を追うんだ? それとも二人同時でも──」
「やめて」
思わず声が出ていた。それが私だとは、自分でも気付かなかった。アーサーの冷たい視線が私に降り注ぐ。
……ああ、この人は、人を殺すことをなんとも思わない人だ。瞬間的にそう思うぐらいには、アーサーには慈悲というものを感じなかった。おそらく誰も止めなければ、最悪の場合、ガブリアスもヴィクトリアもここで命を失っていたかもしれない。
実際はそうならなかったとしても、彼は人を殺すことに躊躇いはないのだろう。たとえそれが身内だったとしても。
「……リディア、君は黙っていてくれるかな」
「これは、私の問題です」
何を出しゃばっているのだろう。殺されるのは、何もガブリアスとヴィクトリアだけではない。私だって、アーサーのターゲットになっているというのに。
「……二人とは、話をしていたんです。ローレンスの、ご友人だというから」
無理があるだろうか。それでも口を止めるわけにはいかない。
「ガブリアスは、ローレンスの弟だったのね。話ができてよかったわ。また今度、ゆっくりお話をして」
「は……? お前は一体何を……」
ガブリアスは「本気で言ってるのか?」と目を見開いている。けれど、微笑みを浮かべて、今度はヴィクトリアを見る。
「ヴィクトリアも、今日は来てくれたのにおもてなしができなくてごめんなさい。日を改めてお茶をしましょう」
彼女もまたガブリアスと同じような顔をしていたけれど、何かを口にすることはなかった。
お願い、早くここから出て行って。
その願いが通じたのか、二人はおそるおそるといった様子で部屋を出ていく。もちろん、アーサーの横を怯えながら通り過ぎていったけれど。
そのほかの男たちも、何が起こっているのか理解はできずとも、アーサーの恐怖だけは察知したのか、さっさと出て行ってしまう。
そうして今、残されたのは私とアーサーだけ。
「……逃がして本当によかったのか?」
アーサーの瞳には、まだ少し冷たさは残っていたけれど、威圧感は感じられなかった。
「お話が中断になったのは残念だけれど」
「お話、か。どうやら物騒な時間だったようだね」
気付けば、部屋の調度品は割れていたり、絨毯には皺が寄っていたりと散々だ。
「……お遊びが過ぎたみたい」
「前のリディアだったら、あんなやつらは一瞬でどうにかできたんじゃないのか」
それは私も思う。でも、私はリディアの身体を借りてるだけで、リディアのようにはどう頑張っても振る舞えないのが現状だ。
「言ってるでしょ、お遊びだって。でも大丈夫、これからパーティーに戻るから」
おそらく髪も乱れているだろう。ドレスだって別のものに変えたほうがいい。この姿でアーサーの前にいるのもよくないと、彼に背を向ける形で後ろを見る。
「戻るまでに少し時間がかかるとみんなに伝えてくれる? 準備が整ったらすぐに──」
けれど、それは途中で遮られた。なぜかアーサーに後ろから抱きしめられたから。
「えっ……ど、どうしたの?」
「……俺を責めたり、しないのか」
その声は、ついさっき弟や婚約者に向けていたものとは別物のように、か細く、頼りなく聞こえる。
「責めるなんて、どうして?」
聞いてみるけれど、アーサーは何も言わなかった。もしかしてこれも油断させるためだったりして?
後ろからぐさりとやられてしまえば、私は抵抗できないままあっさりと死にそうだけど。けれど肌を突き刺すような痛みはいつまでもくることがなく、反対に、抱きしめられる力だけが強くなっていく。
「……パーティーに戻らないでほしいと言ったら、リディアはどうする?」
「戻らないほうがいい理由次第……かも」
アーサーが何を考えているのかわからない。小説ではずっとリディアの視点で展開されていた。だから読み取っていくしかないのに、これから先、何が起こるか予想さえできない。
「リディアを、ほかの男のものにしたくない」
でも、これは演技なの?
この声も、この抱きしめ方も、まるで私を求めているかのように錯覚してしまう。




