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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

同一世界線の話

未亡人の恋

作者: 沙伊

 雰囲気小説です。

 R15は保険。

「ラウラと申します、奥様」

 その少女を見た時の衝撃を、カミルラは生涯忘れることは無いだろう。



 カミルラは亡くなった夫に代わり、広大な領地を治める貴族だった。娘三人はいずれも手を離れ、他家へと嫁いでいる。カミルラは領主として、代わり映えのしない日々を送っていた。

 そんなカミルラの数少ない楽しみのひとつは、入浴の時間だった。僅かな時間の合間を縫って自慢の美貌を磨き上げる。その時だけ、カミルラの心は休まることができた。

 そんな日々の中、新しい侍女が採用された。

 彼女はカミルラの実家の寄子の貴族で、人手不足を訴えたカミルラの要望を受け、彼女の元によこされたのである。


 そうして現れたラウラに、カミルラは心を奪われた。


 豪奢な輝きを放つ黄金の髪に、微笑みを浮かべる唇は艷やかな薔薇色。血色のいい頬は淡く色付き、顔立ちは人形のように整っていて、同性でもどきりとするほど美しい。

 だが何より目を惹いたのは、その大きな瞳だった。磨き上げた極上のサファイアのような瞳には、強い意志の輝きを秘めている。その瞳と目が合ったとたん、ぶわり、とカミルラの体温が上がった。

 着ているのは簡素な青のドレスで、装飾品は胸元の紅い石の付いたブローチぐらいだが、派手ではないからこそ本人の華やかさが際立っていた。

 しなやかだが内から強健さがにじむ、不思議な印象の少女である。

 カミルラは今まで自分や娘達を含めた女性のことを華奢でなよやかな生き物だと思っていた。淑女とはそういうもの、かくあるべしと思っていたのだ。

 だが、ラウラはそんな弱々しさとは無縁の、太陽のごとき生命力にあふれていた。

 それでいて所作は下級貴族としては洗練されていて、侍女にふさわしい品格がある。第一印象を抜きにしても、カミルラが断る理由は皆無だった。

「⋯⋯奥様?」

 呼びかけたのは、ラウラを連れてきた古株の侍女だった。幼少期から世話を焼く彼女の声に我に返り、視線をラウラから彼女に向ける。

「あ、ああ、彼女に城の中を案内してちょうだい。ひと通り案内したら、お茶とお菓子を一緒にわたくしのところに連れてきてね」

「お茶とお菓子ですか? ⋯⋯いえ、解りました。ラウラ、私についてきなさい」

「はい。奥様、失礼いたします」

 古株侍女に連れられてラウラは部屋を後にする。

 だがその直前、ラウラがふと振り返った。不意打ちで蒼い瞳に見つめられ、カミルラの心臓が跳ねる。

「奥様」

「な、なあに?」

「失礼ですが、どこか怪我をされているのでは?」

「怪我? ⋯⋯いいえ?」

「⋯⋯そうですか」

 今度こそラウラは出ていった。

 それを見送ったカミルラは、ほう、と熱っぽい息をつき、熱くなった頬に手を当てる。

 ほんの僅かな邂逅にもかかわらず、ラウラはカミルラの思考のことごとくを奪っていった。こんな気持ちになるのは、人生で初めてだった。


 ──旦那様にも、こんなに胸が熱くなることは無かったのに。


 カミルラは十年前に亡くなった夫を思い出した。

 夫とは政略結婚で結ばれた。五歳年上の夫は苛烈な武人で、戦ばかりで城にいないことの方が多かった。死んだのも戦場だったと聞いている。

 別に仲が悪かったわけではない。むしろ、夫は可能な限りよくしてくれたし、普段いない分、城にいる時はカミルラをとても愛してくれた。

 カミルラもそんな夫を慕っていたし、彼が亡くなった時は、恥も外聞も無く泣き崩れてしまった。病を押して戦場に出た彼を止めきれなかった自分を、あれほど憎んだことは無い。

 だが、一瞬で心奪われるようなことがあったかと言われると、それは否になる。

 愛はあった。夫婦としての情も。だが恋しく想っていたか、と問われれば、そうではなく。

「ああ⋯⋯そうか。わたくし、ラウラに恋をしてしまったのね」

 女が女に、など、カミルラは聞いたことは無かったけれど。それでもこの胸を熱くするのは恋という感情なのだと、カミルラは確信した。

 そう思うと、今度は自分の姿が気になりだす。

 今自分が着ているのは黒いシンプルなドレスで、あとは化粧だけ。無論貴婦人にふさわしい最低限の品格は保っているし、カミルラの美しさを損なっているわけではないが、恋しい人の前に出られる格好かと言われると、それは否としか言いようがない。

「やだ、わたくしったら」

 カミルラは羞恥で頬を赤らめた。

 カミルラは己の美を高める努力を怠ったことは無い。だが夫が死に、娘達が嫁に出るまでの間に、着飾る楽しみは二の次になっていた。昔はあんなに、自らを彩ることが好きだったのに。

 カミルラは傍に控えた侍女に命じてドレスと装飾品を持ってくるよう命じた。ラウラが戻ってくるまでに、可能な限り美しく装いたかった。


    ───


 古株侍女と共に戻ってきたラウラは、カミルラの装いに面喰らった顔をした。それは古株侍女も同様だ。

 カミルラの姿は、先ほどから様変わりしていたからである。

 飾り気の無い黒いドレスは薔薇とレースをあしらったワインレッドのものに。まとめられた黒髪には銀とルビーの髪飾り。華奢な首元には繊細な細工のペンダント。化粧も美貌を引き立てる華やかなものに。

 ラウラが広い城内を案内されている間、その時間をめいっぱい使ってカミルラはその身を飾り立てていた。

「おかえりなさい。さあ、座ってちょうだいな」

 カミルラは満面の笑みを浮かべ、ラウラの手を取った。

 ラウラは目を丸くしたまま、カミルラに引かれるまま椅子に座らされる。向かいにはカミルラが座った。

 古株侍女は一瞬眉をひそめるも、すぐに無表情になって押してきたカートの上のものを机に並べる。

 白磁の茶器と菓子が目の前に置かれて、ラウラはようやく我に返ったようだった。

「奥様? これは」

「そんな他人行儀に呼ばないで、貴女には名前で呼んでほしいの」

 カミルラが小首を傾げてねだると、ラウラの顔に困惑が浮かんだ。

「そういうわけには」

「ねえ、お願い。わたくし、貴女と仲良くなりたいの」

「仲良く⋯⋯ですか?」

「そう。ねえ⋯⋯ラウラ。わたくし、貴女のこと、とても気に入ったの」

 好きになったの、とはさすがに言えず、カミルラは恥じらいながらそう言った。

「貴女と⋯⋯いいえ、貴女を知りたいわ。わたくしに貴女のことを教えてちょうだい」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 ラウラはしばし黙り込んだ。長いまつ毛が伏せられ、蒼い瞳が隠れる。それだけで、カミルラは太陽が隠された気持ちになった。

 その瞳を見たい。その瞳に映りたい。いっそその瞳を自分のものにできたら──そう思い始めた時、ラウラが顔を上げた。

 唇に、静かな笑みを浮かべて。

「⋯⋯私の話で、貴女様の無聊を慰められるとよいのですか」

「ええ⋯⋯ええ! ぜひ話して」

 カミルラは胸の前で手を組んだ。鼓動が激しく脈打ち、体温が上がる感覚が全身を駆け巡る。

 その日、カミルラは遅くまでラウラの話をねだり、夕食の時間まで彼女を離すことは無かった。


    ───


 夜、カミルラはベッドに腰かけながら、今日のことを──というより、ラウラのことを思い返していた。

 茶と菓子をお供に聞いたラウラの話は、カミルラにとって新鮮なものばかりだった。

 ラウラの実家は代々騎士を輩出しており、ラウラ自身も女性ながら幼い頃より剣術や馬術を嗜んでいたこと。

 亡くなった母親は昔女官をしており、ラウラの行儀作法は彼女から学んだこと。

 領地は小麦とホーソンベリーが名産で、農地を見回ったり、実際に手伝ったりしたこともあること。

 代々太陽神を信仰しており、朝のお祈りが日課であること。

 魔力はあるもののそれほど多いわけではなく、身体強化ぐらいしかできないこと。

 ベルタというとても仲のよい幼馴染がおり、幼少期はいつも彼女と一緒に遊んでいて、本当の姉妹のように育ったこと。

 ラウラが語る彼女自身は、自由で、温かくて、どこまでも輝いていた。物心ついた頃から貴族の娘として制限され尽くした生活を強いられてきたカミルラにとっては、妬ましく思えるほどに。

 だがそれ以上にラウラが眩しくて、彼女を育んだ全てが愛おしく感じた。

 そんな楽しい時間は、夕食の時間という避けようのない日常によって終わりを迎えた。

 カミルラは食事があまり好きではない。貴族の料理全般に言えることだが、味が濃く、匂いもきつい料理がカミルラにはおいしく感じられないのだ。

 唯一肉料理は好きなのだが、それも焼き過ぎのものは好まない。偏食というほどではないが、それもあって一食二食抜くことも多かった。

 だが古株侍女はカミルラが食事を抜くことにいい顔をしなかったし、何よりラウラもよしとしなかった。

 本音を言えば夕食もラウラと共にしたかったが、侍女として仕えるラウラがそれを固辞することは目に見えたため、泣く泣く諦めた。

 それに明日からラウラはずっとカミルラの傍にいてくれるのだ。食事ぐらいは我慢しなければならない。

「いつか、同じものを食べられるかもしれないし」

 訪れるかもしれない幸運を想像して身悶えたカミルラは、ふと、ラウラが最後の方で話していた噂を思い出した。



 どういうやり取りでその話が出てきたのだったか──確か、領地の話からそこに至ったように思う。

「そういえば、奥様──カミルラ様は民草に広がる噂はご存知でしょうか?」

「いいえ? 興味無いもの」

「そうですか」

 ラウラは一拍置いて話してくれた。

「人間がここ十年で次々姿を消しているそうです。皆若い未婚の女性だとか」

「ふうん⋯⋯やっぱり聞いたことが無いわ。本当かどうか解らないけれど、見付かるといいわね」

 本音はどうでもよかったが、ラウラによく思われたくてそう言った。それに対しラウラはそうですね、とあっさり頷いた。



 ラウラの話は、小さな棘のように心に残った。

 未婚の年若い女性が、行方知れずになる。それはつまり、ラウラもその対象になる可能性があるということだ。

 ラウラがいなくなったら、と想像して、カミルラは心臓が凍り付く心地になった。

「嫌、嫌よ。ラウラがいなくなるなんて絶対嫌」

 今日会ったばかりの、娘ほどに歳の離れた少女の存在がこれほど自分の中に喰い込むとは思わなかった。

 しかたがないじゃない、と言い訳のように呟く。それだけラウラの存在はカミルラに鮮烈な印象を与えた。彼女は太陽神の信仰者だが、彼女こそ太陽のごとくカミルラに焼き付いたように感じる。

 彼女になら全身を焼かれても構わないかもしれない、そんなことさえ思ってしまった。


    ───


 それからの日々は、カミルラにとって夢のようなものになった。


 カミルラはラウラを常に侍らせ、何をするのも一緒にした。食卓を共にすることは結局無かったが、それでも姿が視界にあることが、穏やかに微笑んでくれることが、優しく声をかけてくれることが、何よりの幸せだった。

 ただ身支度の時と、入浴の時間だけは同席させなかった。ラウラに見せるには、気恥ずかしかったからだ。

 カミルラは人生の中で最も幸福の中にあった。自由の無かった幼少期、制限されていた少女期、見張られていた結婚期──その中に無かったものを、今手に入れた気がした。

 だが──そこに、影が差していた。

 少しずつ、少しずつ、切っ先から滴るように。



「っ⋯⋯!」

「大丈夫ですか」

 不意に上体が傾いだカミルラを、ラウラがさっと支えた。見た目に反した力強さに少しときめきつつ、カミルラは微笑む。

「大丈夫よ、ありがとう」

「⋯⋯最近、目眩を起こすことが多いですね。顔色も悪いです」

 ラウラの指摘を、カミルラは否定できなかった。

 実際このところ、体調が日に日に悪化している。最初の頃は軽い違和感程度だったのに、今では無視できないほど身体が重い。

 それに加え、常に頭痛がするようになった。何かに熱中している時は和らぐが、そうでない時は頭蓋の裏をがりがり削られるような痛みが襲ってくる。

 今目の前にいるラウラに集中したいのに、それができないもどかしさ。カミルラは体調というどうしようもないものにここまで悩まされるとは思わなかった。

「奥様、部屋に戻りましょう。無理をしてはいけませんん」

 古株侍女にそう言われ、カミルラはふてくされた。

「でも、ラウラとお茶⋯⋯」

「奥様の体調が優先です」

「私も、カミルラ様に無理はさせたくありません」

 ラウラにまでそんなことを言われてしまえば、カミルラも否とは言えなかった。それでも、せめてとラウラに身体を寄せる。

「ラウラ、寝室まで連れていってくれる?」

「解りました。失礼します」

 ラウラはそう言うなり、軽々とカミルラを抱き上げた。横抱きにされたカミルラは勿論、古株侍女も唖然とする。

「ラウラ⋯⋯貴女、力持ちなのね」

「剣を振り回すのに比べたら、カミルラ様を運ぶぐらいわけないですよ」

 悪戯っぽく言うラウラに、カミルラはまた胸を高鳴らせる。

 ラウラと接する時間が長くなればなるほど、彼女に惹かれていく。身体に触れる体温が、冷たくなったカミルラを温めた。

「ねえ、ラウラ。貴女って騎士の家の娘なのよね」

「ええ。それが何か?」

「わたくしが望んだら、貴女はわたくしの騎士になってくれるかしら?」

「⋯⋯私は女ですので、騎士にはなれませんよ」

 この国で騎士になれるのは男だけだ。ラウラが騎士の家系出身で、いくら剣や馬術を学んだところで、騎士として身を立てることはできない。ましてや、一応彼女も貴族令嬢。戦に関わる職業は歓迎されないだろう。

「なら、せめてずっとここにいてちょうだい。ね、いいでしょう? ずっと、ずっとよ。結婚しないで、ずっとわたくしといてちょうだい」

 カミルラは甘えるように懇願した。

 侍女は結婚すると家に入る。古株侍女のように子供が成人すれば復帰することもあるが、それは十何年も先だ。

 ラウラの年齢を考えると、二年もたたずに結婚する可能性が高い。カミルラはそれを恐れた。

 ラウラが離れるのもそうだが、誰かのものになってほしくない。ずっと自分の元にいて、傍に寄り添ってほしい。

 そんな本音を隠しながら言うと、ラウラは目を伏せた。

「⋯⋯私は、結婚するつもりはありませんよ」

「本当?」

カミルラは無邪気に笑った。この瞬間は、頭痛を忘れられた。

 そうこうしているうちに、寝室についてしまった。ラウラはそっとカミルラをベッドに下ろし、一歩下がる。

「では、私は一旦下がらせていただきます」

「ええ⋯⋯また後でね」

 古株侍女に着替えと化粧落としを指示しながら、カミルラは身体から力を抜く。それを見守った後、ラウラは踵を返した。

 だが出ていく直前、ふと振り返る。蒼い瞳に不意に見つめられ、カミルラの肩が跳ねた。

「な、なあに?」

「⋯⋯カミルラ様、ベルタという名前を覚えてますか?」

「ベルタ? ⋯⋯ああ、貴女の幼馴染のことね。それがどうかして?」

 カミルラが首を傾げると、ラウラは視線をさまよわせた後、言った。

「彼女は、平民出身なんです」

「まあ、そうなの。平民を幼馴染と呼ぶなんて、ラウラは変わってるわね」

「カミルラ様は⋯⋯平民をどう思っていますか?」

 カミルラは脈絡の無い質問に困惑した。なぜそんなことを訊いてくるのか解らなかった。

 どう答えるべきか悩んだ末、思ったままを口にした。

()()でしょう?」

「⋯⋯そうですか。そう、ですね」

 ラウラは頭を下げた。

「妙なことを訊いてしまいました、お許しください。どうかお大事に」

 ラウラは今度こそ部屋を出ていった。

 カミルラはため息をついた。ラウラは時々突飛な話を投げかけてくる。初対面や、初めてお茶をした時もそうだった。

「ねえ、わたくし変な回答だったかしら」

「いいえ。奥様のおっしゃる通りだと思います」

 古株侍女は顔色を変えずに言った。

 ──平民を気にするなんて、おかしな

「でも、そんなところも好きなのよね」

 自分の呟きに、つい赤面してしまうカミルラだった。


    ───


 カミルラは、生まれた時からあらゆる縛りを課せられてきた。

 その中で特に言い聞かされたのは、淑女は美しくあるべき、ということだった。

 美しくあれ、と望まれたカミルラは、それをひたすらに守ってきた。

 だって美しくなければ価値など無いのだ。美しくなければ嫁ぐこともできず、嫁げても夫に見向きもされない。夫を喪ったとしても、顧みてもらうには美しさが必要だ。

 誰にも見てもらえないのは寂しい。誰にも心を傾けられないのは恐ろしい。その想像は、制限された生活の中でカミルラの心を追い込む。

 窮屈で、退屈で、鬱屈した人生だった。それでいて常に焦燥に駆り立てられ、美を追い求めることをやめられなかった。

 それに、己の美しさはカミルラを慰めてくれた。鏡に映る自分の美貌と、それを飾り立てるドレスや装飾品は、目立ったものの無い、ただ広大なだけの領地で暮らす中での数少ない娯楽となった。

 だが人の美しさには限りがある。衰えていくのだ。

 それでも美しくなければ、美しくないと、誰にも見てもらえないから。

 何より、ラウラに見てもらえないから。



 深夜、カミルラは寝室を後にした。

 夕食は結局摂っていない。

 体調が悪くなっているからなのか、日に日に食欲も無くなっている。唯一口にできるのは肉とワインだけ。

 それでも、日課となっている入浴の時間だけは削れなかった。

 そして、今日もそのために専用の部屋へと向かい──

「⋯⋯ラウラ?」

 部屋の前で、愛しい少女に会った。

 カミルラは戸惑いで足を止めた。なぜラウラがここにいるのか解らなかったからだ。

 何しろラウラにこの場所を教えていない。自分磨きの姿など、好きな人に見せるのは恥ずかしかったから。そうでなくとも城の地下にある部屋だから、ラウラにとって訪れる機会の無い部屋のはずである。それも、こんな深夜に。

 それに、いつも手伝いをする侍女が見当たらない。部屋の前で待っているのは、本来は彼女達なのに。

「ラウラ⋯⋯どうしてここに?」

「カミルラ様をお待ちしておりました」

 右手を後ろ手にしたラウラはいつもの侍女姿であったが、その表情は違っていた。いつも柔らかな微笑を浮かべていたのに、今は全くの無だ。美しいがゆえに、その顔が恐ろしく感じてしまう。

「待つって、どうして? ここは⋯⋯ここには、ラウラには来てほしくなかったのに」

「どうしてですか?」

「だって」

 カミルラは頬を染めてうつむいた。

「そこには、わたくし専用の浴室(、、)なのだけれど⋯⋯入浴の様子を貴女に見られるのが、恥ずかしかったから」

「恥ずかしい⋯⋯それだけですか?」

「ええ、そうよ。でも⋯⋯もし気になるなら、ラウラにも見せてあげる。よかったら貴女も一緒に入りましょう?」

 思い付きで口にしたが、それはとても素敵な提案に思えた。ぱっと顔を上げたカミルラは、満面の笑みでラウラの手を取り、部屋の鍵を開けた。

「さあ入って! 最近新しいもの(、、、、、)を手に入れたのよ」

「⋯⋯!」

 部屋に招かれたとたん、ラウラの目が見開かれた。驚愕に満ちた顔を見て、カミルラは満足げに頷く。

「びっくりしたでしょう? でもね、これが一番美容に効くのよ。これに入ったり、飲んだりするのも効果的なの!」

「⋯⋯そうですか」

 ラウラの声は、低い。その苦々しい声に、カミルラは首を傾げた。

「ラウラ?」

「貴女は⋯⋯これが悪徳(、、)だと思わないんですね。これが許されると、本気で思っているんですね」

「なあに? ⋯⋯っ!?」

 カミルラはラウラの顔を覗き込もうとして──叶わなかった。

 胸を突く衝撃、次いで、熱と痛み。心臓が一際大きく跳ね上がり、同時に何かが逆流する感覚。


 ラウラは、カミルラを剣で貫いた。


 隠れていた右手には、剣があった。刀身が短く、短剣よりは長いというほどの、銀色の剣。ちょうどラウラの下半身とスカートで隠れる程度の長さゆえ、カミルラは気付けなかった。

「な⋯⋯え?」

「カミルラ様、私は貴女をずっと裏切っていました」

 ラウラは剣を引き抜いた。カミルラの胸から血がほとばしり、ラウラの顔を濡らす。

 血にまみれたラウラは、凄絶な美しさだった。

「私は、貴女に仕えるために来たのではありません。貴女の罪を暴くために来たのです」

「罪⋯⋯? わたくしの罪って、何のこと⋯⋯」

「この部屋がそうですよ」

 ラウラは剣で部屋の中心を指し示した。

 床も、壁も、天井すら紅黒い部屋の中。そして同じく紅黒い鉄製の器具の数々。


 そして器具によって全身を斬り刻まれ、刺し貫かれて宙吊りにされた少女達。


 紅黒いのは、元からそういう色だったのではない。流血によって染め上げられ、染み付いたものだ。

 そして──少女達の息は、まだある。無数の刃と針によって皮膚という皮膚、肉という肉を細切れにされ、もはや人の形をしていないにもかかわらず、か細く肺を動かしている。

 更に、吊られた少女達の足元には大きな浴槽が設置されており、彼女達の血がそこに溜まっていた。その浴槽にも、落とし切れない紅がこびりついている。

「初めて会った時に語った噂⋯⋯一部伏せてお話しました」

 ラウラはカミルラを振り返った。

「詳細はこうです。女領主カミルラ様のところに奉公に出た未婚の若い娘が皆行方知れずになっている。領主が殺しているのだ、と。また貴族の間ではこんな噂もありました。夫人は黒魔法に傾倒していて、生贄を求めていると」

「あ⋯⋯」

 カミルラは言葉を失った。

 身に覚えがあるからだ。確かにカミルラは、黒魔法に没頭していた時期がある。

 戦ばかりでなかなか帰れない夫が、手慰みにと義母に隠れて黒魔法を教えてくれた。

 使うには生贄が必要だった上、義母の目があったためにそれを試せたのは義母と夫が亡くなった後だったが。

 何しろ黒魔法は法律で禁止された魔法だ。疑い程度なら問題無いが、実際に行使すれば罰せられる。

 ラウラはそれを知ったから、カミルラを刺したのだろうか。

「ち、違うのラウラ⋯⋯確かに黒魔法のことを調べたことはあるけど、使ったことはないの」

「嘘ですね」

 弁明しようとしたカミルラを、ラウラはばっさり切り捨てた。冷たい声に、カミルラは身体をすくませる。

「カミルラ様、貴女は娘達を殺し、その血で黒魔法を行使したのでしょう? そして若さを手に入れた。初めてお会いした時、驚いたんですよ。五十歳って聞いてたのに、三十歳より若く見えたんですもの」

 年齢を指摘され、カミルラは場違いにも恥じ入った。だがそれを、ラウラの鋭い眼差しが抑える。

「それと同時に濃い血の臭いがしました。鼻が慣れたのか、貴女もほかの使用人も気が付いてなさそうでしたけど。この城も、どこもかしこも酷い腐臭が漂っていますし」

「違う⋯⋯違うの、本当に黒魔法は使ってないの」

「なら、なぜこんなことをしたのですか?」

「だって、血が必要だったの。若い雌の生き血(、、、、、)が。それを浴びたら肌がみずみずしく、輝きを放つの! わたくしが美しくなるの‼」

 カミルラの声はだんだん半狂乱の様相をていし始めていた。見開かれた瞳は潤み、ついに頬を涙が伝う。その涙が、カミルラの顔に跳んだ血を洗い流した。

「わたくしは美しくなければならないの。だってそれがわたくしの存在価値なのだもの。そのために家畜を使っただけだわ。わたくしは何も悪いことはしていないの!」

「本当に⋯⋯解ってないのですね、貴女は」

 ラウラの瞳が伏せられた。長いまつ毛が哀しげに震える。

「カミルラ様、平民は家畜ではないのです。私達貴族のような特権を持たないだけで、同じ人間なのです」

「人間⋯⋯? なに、言ってるの。奴らはわたくし達とは違うわ。だってみんなそう言ってるじゃない。お父様も、旦那様も、お義母様も、平民と貴族は違う生き物だって⋯⋯貴女だって」

「それと」

 カミルラの言葉を遮り、ラウラは顔を上げた。蒼い瞳が──カミルラが恋焦がれた強い意志を内包したサファイアが、カミルラを射抜く。

「やはり貴女は黒魔法を使っています」

「え?」

「ねえ、カミルラ様。私、貴女のどこを貫いたと思います? 心臓ですよ。人間は心臓を貫かれては生きていられないんです」

 ラウラは剣の切っ先をカミルラに向けた。

「どうして心臓を貫いたのに、そうして立って、話してられるんでしょうね」

「あ⋯⋯」

 カミルラは自身の胸に手を当てた。

 穴の空いた胸。血を流し続ける傷。明らかな致命傷の証。


 ──どうしてわたくし、生きているのかしら。


「貴女が人間じゃなくなっているのは、何となく解ってました」

 ラウラは言う。淡々と、感情を感じさせない声で。

「噂が本当なら、と思って、聖別されたアミュレットを持ってきたんです。魔を祓う力があるから。まさか、カミルラ様ご自身が魔になっているとは思いませんでしたけど」

 そういえば、ラウラはいつもブローチを着けていた。今もなお胸元で輝いているものが、そうなのだろうか。

「貴女が人のままなら⋯⋯いえ、たとえ人のままでも、私はこうしたわ」

 ラウラは一歩、踏み出した。

「ベルタ、貴女の仇取るからね」

 ベルタ──ラウラが幼馴染と称した平民。

 どうしてその名前が出てくるのか、カミルラは解らない。ラウラが剣を向け、責め立てている罪も、解っていない。

 解るのは、ラウラが剣を振り下ろそうとしている事実だけ。


 ──ああ、だけど。

 ──貴女に殺されるのは、それはそれで幸せかもしれない。


 カミルラは迫りくる白刃を、恍惚とした想いで迎えた。

 初めましての人もそうでない人も、こんにちは、沙伊です。

 歴史上の殺人鬼バートリ・エルジェーベトにインスピレーションを受けて書いた作品です。登場人物の名前は小説「カーミラ」からもじってます。

 今回初めてGL要素のある小説を書いたのですが、GL要素はほぼ添えるだけのものになりました⋯⋯皆様の暇潰しになれば幸いです。



 以下、小説内で書ききれなかった設定。

 ラウラの剣:初対面からスカートの中に隠していた。自分も被害者のひとりになる可能性を承知で、刺し違える覚悟だった。結果、なぜか一目惚れされた。

 黒魔法:別名代償魔法。その名の通り行使に代償や生贄を必要とし、他者を呪ったり人外化する可能性が高いため、法律で禁止されている。

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― 新着の感想 ―
こんばんは。 とても楽しく読ませていただきました。 カミルラの名前はもしやカーミラから?と思ったら実際にそうだったので、やはり!と嬉しくなりました。 ラウラとカミルラの認識のズレが上手に物語に反映され…
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