ロッカー室
人間はロッカー室だ。心という名のロッカーを抱えている。
今までの人間の数多の所業は、他人の心を知るためのものだった。
暗号などはその最たる例だ。人々がこぞって暗号を解読したがるのは、なにも人に知られたくない秘密、人に奪われたくないものが何かを知りたいからではない。
心が知りたいのだ。こいつは、こいつらはこんなものを隠したがる人間なのか、と。
暴力もそうだ。自分の力を見せつけたいからでも、他人を屈服させたいからでもない。
確認したいのだ。心の中で自分のことを馬鹿にしてはいないか、自分のことを仲間外れにしてはいないかを。
何かのために努力するのも同様だ。自分に自信をつけるため、夢を掴むためという理由だけではない。
心の中を知っている状態にしたいのだ。尊敬させて、この人はこんなに凄い人間なんだと、相手の心の中を上書きさせる形で。
どうしてそんなに他人の心が知りたいのか。
わからないという状態に耐えられないからだ。怖くて、不安で、寂しくて。他人の心の中がわかればきっとこの苦しみもなくなるだろうと、そう考えている。
また、だから他人に悟られないようにしている。こういうふうに思っているのだ。怯えてびくびくしているなんて知られたら、きっと見下され、ひとりぼっちにされる。安心するために他人の心が知りたいのだと気付かれたら、必ず恥ずかしい奴だと笑われる、と。
そして、最近になってついに他人の心を知ることが不可能だと気付いた。ロッカーは無数にあるだけでなく、そのほとんどは他人が開けることはできないことがわかったのだ。
そして、開き直った。現実とは、人間とはこんなものだと、冷めた風を気取って、自分は初めから心になんて興味がないと強がった。
彼らは肝心なことを忘れている。自分自身の中にある無数のロッカーが手付かずだということを。
いや、忘れてなどいない。恐れているのだ。自分が本当は何を思っているのかを知るのが。そして不安なのだ。もしかすると、醜いことを思っているのではないかと。
彼らは色々なことを知らなければならない。
決して、醜いだけが人間ではない。本来人間とは優しい生き物なのだ。動物の中で唯一、客観性、共感能力を持ち、それを、他人のために使うことができる。他人に置かれている状況を見て、自分事のように喜び、怒り、哀しみ、楽しむことができる。
その行動の源こそ心なのだ。心は普遍的な存在だ。一人の心の中に全ての心があり、全員の心の中に一人ひとりの心が入っている。その心が誰一人として見捨てたりすることはない。
だから、それに向き合うための苦痛が、その身を焼き尽くすほどのものであるはずがない。それに加えて、心が醜さで終わるはずもない。
そして、自分の心に向き合えば、そのロッカーはいずれ開かれる。自分が鍵をかけたのだから。
そしてその鍵は、他の人のロッカーを開けてあげることができる。他の人の心の中にも、自分が鍵をかけたロッカーがあるのだから。
これからは、みんなで心に向き合おう。まずは自分の心と向き合って、それから周りの人に優しく鍵を教えてあげよう。
それで最後には全てのロッカーを開こう。それが心の願いなのだから。




